猫を祀っている神社は国内にいくつかあるようですが、今日は、そのひとつに行ってきました。
猫好きにとって、「巡礼の社」です(笑)。
住所: 山形県東置賜郡高畠町高安277
座標: 37.993635,140.202803
この記事では「神社」と書いていますが、それは、入り口に鳥居があるから。下の方で出てきますが、この社は観音堂のようです。そもそも仏教由来の観音様を祀る社が神道の鳥居を持つ神社と言えるのかについてはよく分かりませんが、日本はおおらかな国なので、全国にこんな例はたくさんあるようです。
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正式には、「猫の宮」と呼ぶようです。
ネットで調べると関連記事はいくつかヒットするのですが、住所が書かれていないのでどこにあるのか分からない。
亀岡文殊の近くにあるらしいので、亀岡文殊まで行って、「猫の神社はどこですか」と神社の人に聞きました。すると、「ヤマザワの交差点を右に曲がって進み、注意していると看板が出ているので分かりますよ」との答え。言われたとおりに進むと、ありました。
もっと小さな「祠(ほこら)」をイメージしていたのですが、立派な社が建っています。
なぜ、このような社が建てられたのか興味の湧くところですが、近くの看板に「猫の宮由来記」というものがあったので読んでみました。なかなか面白いです。
【猫の宮由来記】(清松院縁起聞伝書による)
延暦年間の頃(和銅より約70年後)、この村に、信心深い庄屋夫婦がいました。
二人には子供がなく、丈夫な猫が授かるよう祈っていました。
ある夜、観音様が夢枕に立ち、「猫を与えるから大切に育てよ。さすれば村中安泰、養蚕が盛んになる」とお告げがありました。
授かった猫には「玉」と名付け、大変可愛がり丈夫に育てました。歳月が経つにつれ、不思議なことに、どこへ行くにも傍を離れず、何物かを狙うが如き睨み据える行動をとるようになりました。
その異常さに思いあまった主人は、ある日、隠し持った刃物で猫を切り捨てます。
ところが、切り捨てられた猫の首は天井に飛び、そこに隠れていた大蛇の首に噛みつき、大蛇を殺してしまいました。
大蛇は、昔、犬に退治された古狸の怨念の姿であり、猫は観音様の化身で、猫の行動は庄屋夫婦を守るための振る舞いだったのです。
村人は庄屋を救った「玉」をねんごろに葬り、観音堂を建て、その供養を行い、恩徳を偲び、これを「猫の宮」と呼びました。
以後、村人は猫を大切に育て、養蚕が盛んになり、安泰な生活が続いたそうです。
屋根のところに「猫の宮」の文字が見えます。
参拝者が持ってきた猫の写真がたくさん奉納されていました。
「猫の宮由来記」には「延暦年間の頃」とあったので、782年から806年頃のことのようです。
(和銅より約70年後)とも書かれています。和銅元年は708年なので、その70年後は778年。和銅は8年間しかなかったので、和銅8年(715年)の70年後は785年。つまり、大体、778年~785年頃の出来事のようです。何なんだ! 年代を特定できるという言い伝えの詳細さは!
養蚕が村の重要な産業だったことが分かります。しかし、奈良時代に養蚕はあったのかなぁ。
早速調べてみると、日本の養蚕は弥生時代に中国大陸から伝わったとされているらしい。魏志倭人伝にも養蚕のことが書かれている。また、聖徳太子が制定した十七条憲法に「春より秋に至るまでは農桑の節なり民を使うべからず。 」と記されています。かなり古い時代から日本各地で養蚕が行われていたようです。
「猫の宮由来記」を読んで、「あれっ?」と思ったことがあります。たぶん、皆さんも感じたのでは。
まず、子供のいない庄屋夫婦は、なぜ、「丈夫な猫が授かるよう祈っていた」のでしょうか。また、観音様は、庄屋夫婦に子供を授けるのではなく、猫を授けたのでしょうか。普通、子供のいない夫婦は、子供が授かるようお祈りし、観音様はその願いをかなえてあげました、というのが民話の世界かと思うのですが。
ネコ師 「きっと、この庄屋夫妻は子供嫌いだったんだよ。」
猫妻 「猫って、そこら中にいたんじゃないの」
ネコ師 「当時は猫は貴重だったと思うよ。子供はそこらじゅうにいても、猫は珍しかったんじゃないかなぁ」
猫妻 「でも、なんで猫なんだろう?」
ネコ師 「当時、養蚕は村にとって大切な産業だったんだ。でも、せっかく紡いだ生糸を鼠がかじって台無しにしてしまう。だから、庄屋夫婦は子供ではなく、当時貴重だった鼠を捕る猫が授かるようにお祈りしたんだよ。奈良時代ごろに、経典などの大事な書物をネズミから守る益獣として、中国から輸入された事が、日本猫の始まりと言う説があるようだし。」
猫妻 「ちょっと話が飛躍しすぎでは?」
ネコ師 「次の疑問は、なぜ、「玉」と名づけたのか」
猫妻 「だんだんどうでも良くなってきたんだけど」
ネコ師 「猫の名前が「タマ」と付けられているのは、「宝玉」を表すからなんだ。それだけ猫が貴重な存在だったと言うことだよ。」
猫妻 「もしそうなら、日本中にもっと「猫の宮」があっても良さそうじゃない。どうして猫を祀る神社は少ないの」
ネコ師 「・・・・」(答えられない質問には狸寝入りをする。)
【追記】
高畠町出身の方とたまたま飲む機会があったので、猫の宮のことを聴いてみました。
すると、・・・、面白い話を聴くことができました。
彼によれば、猫の宮が今のような立派な社を持つようになったのはそれほど古くはなく、彼が子供の頃には小さな祠があるだけだったそうです。そして、猫が死ぬと、その祠の辺りに猫の亡骸を捨てに行ったとか。
ところで、この「猫の宮」の直ぐ近くに「犬の宮」があります。次回は、この「犬の宮」の記事を書きます。