フアナ・アスルドゥイ・デ・パィージャ(Juana Azurduy de Padilla, 1780-1862, 81歳)
今日は、スペインからアルトペルーが独立する時の英雄、革命リーダー、愛国の女戦士フアナ・アスルドゥイ・デ・パディージャをご紹介します。
スクレの空港は、フアナ・アスルドゥイ・デ・パディージャ空港といい、彼女の名前が付けられています。
彼女は夫のマヌエル・アセンシオ・パディジャと共にリオ・デ・ラプラタ副王からの解放のための戦いに参加し、反乱軍の指揮をとりました。
2010年3月、アルゼンチン大統領クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネルがスクレに来た時、「自由の家」で行われたセレモニーで、フアナのアルゼンチンでの軍の階級として「陸軍中将」を授けました。
ボリビアのヒロインの遺灰の前で、神秘な雰囲気の中で、フェルナンデスはアルゼンチン軍の権威の象徴であるの1本のサーベルを、フアナの代理としてエボ・モラレス大統領に手渡しました。彼女の演説は、なかなか魅力的なものでした。
「アルゼンチンの大統領として、女性として、政治活動家として、私は、ここにいることを誇りに思います。彼女の前で、彼女の遺骨の前で、私はアルゼンチン軍の将軍の名誉と栄光に満ちたサーベルを、彼女のために、また、アルゼンチン国民のために、ボリビア大統領に渡します。しかし、とりわけ、いつも、歴史はゆがめられ、隠されます。」
クリスティーナは、式典で、昨年亡くなったアルゼンチンのフォーク歌手メルセデス・ソーサの「Juana Azurduy」を歌いました。ソーサがフアナ・アスルドゥイに捧げた歌です。
クリスティーナは、このメルセデス・ソーサの曲でフアナを知ったと告白しています。
このアルゼンチン大統領は、きれいな人だなぁ、と実況中継をテレビで見ながら思っていました。エボ大統領が鼻の下を伸ばしっぱなしでした。
メルセデス・ソーサの歌はYoutubeで聞くことができます。まず、この歌をお聞き下さい。歌詞の本当の意味、そして、クリスティーナの行動、言動の意味は、この記事を読めば分かると思います。
歌詞の日本語訳は、下のようなものだと思います。ネコ師の勝手な訳ですが。
【「フアナ・アスルドゥイ」歌詞和訳】
フアナ・アスルドゥイ、アルト・ペルーの花、あなたよりも勇敢な隊長は他にいない。
フフイのもっと向こうであなたの声とあなたの勇ましいギャロップの音が聞こえる。ドーニャ・フアナ・アスルドゥイ。
私は未熟な祖国に恋をして、寝不足のまま大地を駆け巡る;スペインは、女性たちと戦わなければ、この大地を通り過ぎることはできない。
フアナ・アスルドゥイ。アルト・ペルーの花。あなたよりも勇敢な隊長は他にいない。
大砲が轟く。あなたのライフルを貸してください。革命はジャスミンの香りでやってくる。
アルト・ペルーの太陽の土地では、未だにトゥパクアマルを呼ぶ声がこだましている。
女性が守備する土地。自由なアマゾン
あなたの部隊に入り、あなたの命令を伝えるラッパ手になり突撃したい。フアナ・アスルドゥイ、アルト・ペルーの花、あなたより勇敢な隊長はいない。
スペイン語歌詞
Juana Azurduy,
flor del Alto Perú,
no hay otro capitán
más valiente que tú.
Oigo tu voz
más allá de Jujuy
y tu galope audaz,
doña Juana Azurduy.
Me enamora la patria en agraz,
desvelada recorro su faz;
el español no pasará,
con mujeres tendrá que pelear.
Juana Azurduy,
flor del Alto Perú,
no hay otro capitán
más valiente que tú.
Truena el cañón,
préstame tu fusil
que la revolución
viene oliendo a jazmín.
Tierra del sol
en el Alto Perú,
el eco nombra aún
a Túpac Amaru.
Tierra en armas que se hace mujer,
amazona de la libertad.
Quiero formar
en tu escuadrón
y al clarín de tu voz,
atacar. Juana Azurduy,
flor del Alto Perú,
no hay otro capitán
más valiente que tú.
フアナ・アスルドゥイ・デ・パディージャの生涯
フアナ・アスルドゥイ・デ・パディージャ(Juana Azurduy de Padilla)は 1780年7月12日、チュキサカ(現スクレ)で生まれました。彼女はスペイン系とインディオのメスティソでした。彼女の母親の家系は裕福でしたが、父親はスペイン人により殺されました。
彼女はチュキサカで育ち、12歳の時、修道女になるためにスクレのサンタ・テレサ修道院に入ります。修道院で彼女があまりにも頻繁に反抗的態度をとることから、最終的に17歳の時に修道院を追放されました。彼女は、ケチュア語とアイマラ後を話すことができました。
1802 年、マヌエル・アセンシオ・パディージャ(Manuel Ascencio Padilla)と結婚しました(1805年の説も)。
1809年5月25日の 独立革命の勃発後、フアナと彼女の夫は、民衆の軍隊に参加し、副王の罷免の後、管轄庁長官にフアン・アントニオ・アルバレスが任命されることになります。
フアナの場合が特別例外なのではなく、当時の女性の多くがその後の戦いに組み込まれていきます。
フアナは彼女の夫に積極的に協力し、アルト・ペルーを解放するためにブエノスアイレスから派遣されて来る軍隊と一緒に行動するために、「Los Leales」として知られていることになる騎兵中隊を組織しました。
戦闘の最初の年、予期しなかったペルーの王党派の動きにより、彼女は自分の子供を放棄することを余儀なくされ、たくさんの戦闘に参加することになります。
チャルカス・アウディエンシアは、2つの地域に分けられ、その一つは解放軍が、他はスペイン王に忠実な軍隊によってコントロールされていました。
1810 年、マヌエル・ベルグラノ(Manuel Belgrano)の解放軍に統合され、フアナの戦闘ぶりに非常な感銘を開けたマヌエルは、彼女にシンボルとしてサーベルを贈呈します。
彼女の特筆すべき活躍は、1816 年3月8日のビジャール(Villar)地域で起きました。
彼女の夫は、チャコ地域に行かなければならず、この地域の戦略策定を妻に任せます。この場所は、攻撃の標的となっていました。しかし、フアナは、大胆な襲撃で、相手軍の連隊旗を敵の将軍から彼女自身の手で奪い取り、ラプラタの丘の占拠を指示します。
この行動により、ブエノス・アイレス政府は、1816 年8月13日、フアン・マルティン・デ・プイレドン(Juán Martín de Puyrredón)によって署名された令よって、リオ・デ・ラプラタ連合地域の総帥をフアナ・アスルドゥイとすることに決定し、この地域の独立軍の基本である義勇軍の階級を陸軍中将(teniente coronel)としました。
ペルーを解放したいホセ・デ・サン・マルティン将軍の軍隊に編入になった後、戦争の戦略が変更になりました。サン・マルティンは、太平洋側からリマを攻撃することにします。そのためには、チリを完全に解放する必要がありました。この決定を不安定な状態のアルト・ペルーの解放軍に伝えます。この時、フアナとその夫は、極度の危機的な状態のもとにあり、彼女らの4人の子供たちは餓死しました。
その直ぐ後、彼女は5 番目の息子を妊娠していました。しかし、夫は既にビジャールの戦いで戦死していました (1816 年9月14日)。この戦いで負傷したフアナを助けようとして夫が亡くなりました。彼の遺体は、ラグーナの村で王党派により吊されました。そして、フアナは絶望的な状況でした: 未亡人になり、妊娠しており、しかも、王党派が効果的に領土を制圧している状況でした。
フアナは娘を出産後、ゲリラ(カウディージョ)のマルティン・ミゲル・ゲメス(Martín Miguel Güemes)の下へゆき、アルト・ペルー北部での作戦に参加しました。マルティンが死に、北部のゲリラは崩壊します。フアナは、(現アルゼンチンの)サルタ地域でひどく貧しい生活を余儀なくされました。
1825年、スクレ元帥によるボリビアの独立宣言後、フアナは、新しい政府が資産を彼女の故郷に返すように何度も働きかけますが認められません。スクレ元帥は、彼女に年金を支給しますが、彼女が77歳になった1857年、ホセ・マリア・リナレス政府の下でその年金は廃止されることになります。フアナは、夫と5人の子供を革命で亡くし、孤独と極貧の中、1862年、81歳で亡くなります。亡くなったのはアルゼンチンのフフイ(Jujuy)でした。・・と思ったのですが、Wiki(Es)に書いてあるとおり、スクレなのだそうです。
彼女の亡骸は共同墓地に埋葬されますが、それから100年後、彼女の遺骨は掘り出され、スクレの自由の家に彼女の遺骨が安置されています。
フアナが率いた反乱部隊は、大部分が男性で、一部女性もいました。この反乱にはたくさんの女性が戦闘に参加しています。女性部隊の隊長がフアナだったわけではありません。
下の写真は、スクレから2時間半のところにあるプレスト村の広場に建つフアナ・アスルドゥイの銅像です。昨年建立されたばかりの新しいものです。
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