2011年01月27日

ボリビア:スクレの修道院と教会の呼び名についての基礎知識


 以前から不思議だったことの一つに修道院の呼び名があります。

 コンベント(Convento)とモナステリオ(Monasterio)の二つ。

 スクレの歴史にやたらと詳しいホテルの受付嬢にきいたら、彼女曰く、「コンベントは女子修道院で、モナステリオは男子修道院のことです」。教科書的な回答です。

 この回答にすぐさま反撃するネコ師。

 「ラ・レコレタ修道院は、男子修道院だけれど、どの資料もコンベントという単語を使っているし、通称もコンベント・デ・ラ・レコレタになっているよね。これはなぜ?」

 またまた難題を持ち込む常連客(ネコ師のこと)に対し、プライドの高い受付嬢は必死に応戦。「確かにそうだけど・・・・。ラ・レコレタ修道院に付属する神学校などが女子修道院の経営になっているせいではないかしら。もしかしたら、ラ・レコレタ展望台も女子修道院の所有かも。詳しいことは叔母に聞いてみます」。

 彼女のおばさんは歴史の先生で、よくお世話になっています。お会いしたことはないですが。

 難題を持ち込む常連客はさらなる難題を質問します。

ネコ師: 教会を表す単語で、イグレシア(Iglesia)とテンプロ(Templo)があるけど、この違いは何? 「ラ・メルセ寺院(Templo de La Merced」は「Templo」だけど「Iglesia」とは呼ばれないよね。なぜ?」

 イギリスのウエストミンスター寺院のように教会と寺院の使い分けがよく分からないので質問しました。ウエストミンスター教会とは言いません。

受付嬢:(まだ質問するのかと半ばあきらめの表情で)「Iglesiaには司祭が宿泊する場所が併設されていません。ミサの催行や祈祷の機能だけ持っています。Temploには司祭の宿泊所が併設されています」

ネコ師:「・・・・・」(ここで畳みかけるように質問するはずが単語を思い出せずに、ネコ師撃沈)

 質問するはずだったのは、「スクレの歩き方:Eclesiastico博物館」で書いた「 Eclesiastico」という単語。これは、司祭の宿泊施設を示す単語らしいのですが、適訳を知らないので記事のタイトルには「教会博物館 Museo Eclesiastico」と書いています。この建物はカテドラルの隣にあります。これとの関連性を質問したかったのですが、「 Eclesiastico」という単語はほとんど聞いたことがないので思い出せずに撃沈しました(汗)。

 ということで、この記事は続きます。

【追記2011.2.1】

 さて、続きです。

 受付嬢に先日の再回答を求めたら、また違うことを言い出しました。たぶん、前回言ったことを覚えていない。この受付嬢は、物忘れが激しく、頼んだことを直ぐに忘れてしまうこまった人でもあります。

「Iglesia」と「Templo」についての新たな見解です。

受付嬢 「『Iglesia』はミサを行ったりするカトリックの信仰上の行為に重点が置かれているのに対して、『Templo』は建物に重点を置いた呼び方で、機能的には全く同じです」

ネコ師「・・・・」

 この前と説明が違うけど、いろいろ反撃したいのを我慢して、ここら辺で矛を収めることにしました。

 宗教用語は難しいです。


posted by ネコ師 at 03:10| Comment(0) | スクレの教会 | 更新情報をチェックする

2011年01月08日

スクレの歩き方:サンフランシスコ教会


サンフランシスコ教会:Iglesia de San Francisco


 古都スクレは古い町なので、教会について書くのはかなり難しい面があります。ネット上にある情報は混沌としていて、実はよく分からない部分があります。

 当時チャルカスと呼ばれていた現スクレの地にスペイン人征服者がやってきて町を築いたのは1538年のことでした。最初にスペイン人達は粗末な礼拝堂を造りました。その場所は、現在ラ・レコレタ修道院のある小高い丘の上でした。当時、わき水があったのはこの場所だけだったそうです。現在、スクレの中心となっている中央広場(5月25日広場:Plaza 25 de mayo)は、ここから300m位離れており、80m位低い場所にあります。

 この礼拝堂を整備したり造り直したりしてサンフランシスコ修道院と呼ばれるものができたようです。1540年のことです。

 この修道院の近くにサンフランシスコ教会が建設されます。ところで、現在のサンフランシスコ教会は、中央広場の近くにあるので、いつの時点か分かりませんが移転したようです。

 現在のサンフランシスコ教会やラ・レコレタ修道院は、1809年から1825年まで、軍に収用され、軍の施設として使われました。

 スクレで最も古教会は1538年に建てられたサン・ラサロ教会です。この教会は、ラ・レコレタ修道院から少し下った所に造られました。二番目に古のが、1581年に建てられたルネッサンス様式のサンフランシスコ教会です。2 つの鐘楼を持つ美しい教会です。
 
 1540年にサンフランシスコ修道院の建設が始まり、その後、教会が造られていったようです。1577年に再開した教会の建設には建築家フアン・デ・バジェホ(Juan de Vallejo)が雇われ、1580年に教会の主要部分がほぼ完成しました。その時から、様々な拡張工事が始まります。中央礼拝堂は1595年にFrancisco de Hinojosaのからの千ペソの寄付金を用いて豪華に改装されました。教会の内部は、細密に彫刻された、金箔で覆われた祭壇と祭壇画が掲げられています。

この教会の最初の目的は、ラプラタの子供達や住民にキリスト教の教義の基礎を教えることでした。
その後、修道院の建設を進め、寺院を拡張していきます。

セドロの木を用いたムデハル様式の豪華な羽目板があります。

教会の地下には、ラプラタの建設に携わったスペイン人征服者たちの遺骨が残されています。

 また、この教会は歴史のモニュメントとしても知られています。教会には入り口の両側に二つの鐘楼がありますが、この塔の鐘が、1809年5月25日に勃発した南米最初の「自由の叫び」と呼ばれる革命を住民に知らせるのに使われました。

 教会入口の前を飾る新古典派様式のアーチ状のアーケードは、アントニオ・ホセ・デ・スクレ大元帥の命令で愛国者マリアノ・スアレス・ポランコ(Mariano Suárez Polanco)の栄誉を称えるために造られたものです。彼は、フアナ・アスルドゥイ・デ・パディジャ(Juana Azurduy de Padilla)の率いる反乱部隊の従軍牧師でした。1809年5月25日に人々を呼び集めるために、サンフランシスコ教会の鐘が鳴らされました。この鐘を壊れるまで鳴らし続けたのが彼でした。

 毎年、5月25日、「アメリカ自由化の火花」を称え、この鐘が鳴らされます。

 いよいよ写真をアップします。世界遺産スクレの写真と言えば、必ず出てくる光景です。スクレ市内の中でもここは、良い撮影スポットだと思います。

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関連市内地図


クリックすると拡大表示できます。
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【参考URL】

http://www.boliviatravelsite.com/attractions.php?attraction=Churches%20in%20Sucre
http://bicentenariosucre.blogspot.com/2009/03/la-campana-de-la-libertad.html
http://www.monografias.com/trabajos36/museos-quito/museos-quito2.shtml


posted by ネコ師 at 02:09| Comment(0) | スクレの教会 | 更新情報をチェックする

2011年01月07日

スクレの歩き方:聖ラサロ教会


聖ラザロ教会(Iglesia de San Lázaro)


 聖ラザロ教会(Iglesia de San Lázaro)は1544年に建てられました。スクレで最も古教会として知られています。

 現在の建物には、当時の壁材や支柱がそのまま残されています。内部の祭壇は、16世紀の彫刻家Juan Hernandezによるものです。

 1790年、主任司祭フアン・アレホ・セラジャ(Juán Alejo Zelaya )が、四旬節の間、インディオを教化するため、中庭に礼拝堂を造りました。これは、アメリカ大陸でもほとんど例のない「開かれた礼拝堂」として有名です。

世界遺産スクレで最も古い「サン・ラサロ教会」


サン・ラサロ教会


教会



posted by ネコ師 at 03:07| Comment(0) | スクレの教会 | 更新情報をチェックする

2009年11月23日

世界遺産スクレ:ラ・レコレタ修道院と樹齢千年のセドロの木


 世界遺産に登録されている古都スクレの中でも、このラ・レコレタ修道院は市を代表する観光名所の一つになっています。今日は、50枚の写真を使って、この修道院をご案内します。

 ラ・レコレタ修道院は、スクレの南側の市内を一望できる高台にあります。以前ご紹介しましたラ・レコレタ展望台は、この修道院の一部です。ここは別名、恋人たちの丘(La Munaypata (cerro de los enamorados))と呼ばれ、市民の憩いの場にもなっています。


ラ・レコレタ修道院(Monasterio de La Recoleta)


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修道院に併設する博物館

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修道院から、展望台方向を望む。

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広場の一角にあるフランシスコ会の学校

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 二階部分は、修道院訪問者の客室になっているそうです。訪問者といっても観光客ではありません。

 展望台から市内を望む。

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展望台までの道

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 車の通れるメインの道路は別にありますが、ここが近道になっています。週末には数店の出店が出ます。

 展望台から見た修道院

 正面左側の白い建物が修道院です。

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ラ・レコレタ修道院の内部

 修道院の建設は1600年に始まりました。段階的に建設され、本格的な工事は1608年に始まり、完成までに55年を要しました。

 ラ・レコレタ修道院は、元々は華麗なバロック様式を持つサン・フランシスコ教会として建設されました。サン・フランシスコ教会が町の中央部分に新たに建設されたことから、修道院として使われることになりました。

 修道院内部には、回廊に囲まれた4つの中庭があります。

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二階に登ります。暗いので足下にお気を付けください(笑)。

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二階より中庭を見下ろす

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大統領暗殺の場所

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 1828年、ペルーのアグスティン・ガマラ(Gamarra)将軍の率いる軍隊がボリビア併合を目的に侵攻。ボリビア国内の親ガマラ派(gamarristas)によって兵舎に改築されたレコレタ修道院で、1829年1月1日、第三代大統領として12月25日に選ばれたばかりのペドロ・ブランコ(Pedro Blanco)が暗殺されるという事件が起こりました。それが、この場所です。

 この前年、ボリビアの解放者のスクレ元大統領(スクレ市は彼の名前に由来します)は、国内の反体制派への対処が困難と判断し、ベネズエラに去っています。

 向こうで待っているのがこの博物館のガイドさんです。写真撮影に夢中のネコ師が迷子にならないよう(?)、見張っています。
 この博物館の内部は、勝手に歩き回ることはできず、ガイド付きのチームで廻ることになっています。最初はガイドに監視されているようで不満だったのですが、観光客が修道士の修行のゾーンに迷い込まないように気を遣っているようでした。

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 修道院の聖具室には、少なくとも13のフランドル絵画(記事の最後で解説しています)が飾られています。幼少のキリスト画や前回ご紹介した長崎でのフランシスコ会の殉教者(日本26聖人)の回想の絵もあります。(関連記事 『大航海時代、日本はどこの国の領有下?』)

 地球の裏側の、しかも日本の鎖国時代の出来事が、ここスクレでつながっています。とても奇妙な感覚に襲われます。

 修道院の内部は、芸術的・伝統的・宗教的要素を備えた貴重な品々がありますが、中でも、セドロ*1(葉巻の箱に使われる香木)で作られた聖歌隊席に施された彫刻は有名です。

聖歌隊席より礼拝場を望む

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香木セドロに彫刻が施された聖歌隊席

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 壁に描かれたフレスコ画が当時のまま保存されており、17世紀のコロニアル時代にタイムスリップした気持ちになります。

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中庭を取り囲む回廊。

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 回廊の柱が外側に傾いているのが分かるでしょうか。これは、建物が古くて傾いてきた分けではなく、当初から傾けて作られたものだそうです。傾けることにより、雨が回廊に入り込むのを防ぐ効果があるとか。

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 修道院内部は、博物館として公開されています。中庭が4つもあるくらいなので、内部はとても広いです。公開されているのは一部分で、修道士の暮らす区画は非公開になっています。

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 このデッカイ本は何なんでしょうか?

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 たぶんラテン語で書かれた聖書だと思うのですが。それにしてもデカイ字ですダッシュ(走り出すさま)

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 さて、これは何でしょう? 巨大な楽譜のようにも見えますが。

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 このように、台が対面式になっています。この説明を聞いたのですが忘れてしまいました たらーっ(汗)

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 これ、なんだか分かりますか。ピアノではありません。なんと修道士が亡くなったとき使った棺桶です。1967年まで使われていたとか。棺桶をリユーズするとは、経済的です(汗)。

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 昔の写真がありました。セピア色に色あせた昔の写真はノスタルジーを感じさせてくれます。

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オレンジの木の中庭

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 オレンジの葉っぱです。

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 ラ・レコレタ修道院の最大の魅力は、千年杉ならぬ千年セドロの木(El cedro milenario)です。

 インディオ・チャルカ族は、樹齢千年のセドロの木で作られたトーテム・ポールを崇拝していたことが分かっています。1965年に、このセドロの木は国の記念物に指定されました。

 オレンジの木の中庭の横にあります。

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 この木の回りを右から左に3回廻ると、願い事が叶い、反対方向に廻ると、その年に結婚する、と信じられています。スペイン侵略以前から、この木はインディオの崇拝の対象となっており、豊穣の神とみなされていました。

 炭素14を用いた年代測定調査によると、樹齢1400年から1600年とされています。

 この木が重要視されるのは、この地が、かつては広大な森林だったことを示す唯一の痕跡であるからです。植民地時代には、この地域は、セドロの木で満ちていたと考えられています。しかし、少しずつ伐採、消費され、その数は減少し、このような大木はここ以外ではもはや見ることはできません。

 セドロの木材は、椅子、仏壇、 ドア、手すり、家具、衣装箱など使われ、教会で多く使用されています。また、ポトシの旧造幣局の建物にも使われています。

 セドロ(Cedro)を西和辞書にある杉と訳すのは間違いです。セドロ(Spanish cedar)は、センダン科で高級家具材で有名なマホガニーの一種です。日本の杉(Japanese cedar)は杉科です。

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展望台から修道院を望む

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フランドル絵画(ネーデルラント絵画)について、ちょっと解説


 記事の最初の方に出てきたフランドル絵画(ネーデルラント絵画)は、15世紀から17世紀にかけてベルギー北部のフランダース(フランドル)地方で隆盛した絵画です。フランドルはフランス語読みで、英語ではフランダース。
フランダースと聞くと思い出すのが、『フランダースの犬(1872年)』。主人公のネロが見たがっていたルーベンスの『キリストの昇架』は、アントウェルペン大聖堂にあります。ルーベンス(1577-1640)は、バロック期のフランドルの画家で、彼の両親はアントワープ(アントウェルペン)出身。ルーベンス自身も数年間アントワープに住んでいました。ラ・レコレタ修道院の建設は1600年に始まっていますから、ルーベンスと同じ時代ということになります。

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 17世紀のボリビア、オランダ、そして日本。何のつながりもないようでいて、スクレでつながっていました。

ラ・レコレタ修道院は、設立当時、「Nuestra Señora de Sión de la Recolección(追想のシオンの聖母)」修道院として設立されました。

参考:Sucre en Imágenes de Antaño, 1991


posted by ネコ師 at 14:38| スクレの教会 | 更新情報をチェックする

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