2011年02月06日

世界遺産スクレ:織物博物館


織物博物館:MUSEO DE ARTE TEXTIL Y ETNOGRÁFICO “ASUR”


【住所、開館時間】
住所:Calle San Alberto Nº 413
開館時間:月~金: 08:30 - 12:00, 14:30 - 18:00
土曜日: 09:30 - 18:00

 スクレを含むチュキサカ県北部からポトシ県にかけての地域は、ヤンバラ文化が栄え、ハルカ織り、タラブコ織りなどの独自の精巧かつ緻密な織物文化を生み出してきました。

 この織布の作業は、女性だけでなく男性も行います。

 ところが、時代と共にこの伝統が失われてゆきます。そこで、あるNGO(ASUR)が伝統織物の継続支援を始めました。この活動が継続され、今では織物博物館を持つまでに発展し、織物の伝統が受け継がれています。この織物博物館の正式名称は、「アスール織物芸術民族学博物館」です。

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 数ある織物の中でも織物博物館で売られている織物の質は最高級のものです。

 織物の色は赤と黒が主体で、そのデザインは集落毎に異なります。

 博物館は1階が売店、2階が展示室と織物の実演コーナーになっています。

 博物館2階の展示室入り口。ここで入館料を支払います。

【織物博物館の写真】

 博物館入り口
入り口


スクレの織物展示室内部


ハルカ織りの展示


ハルカ部族の民族衣装


タラブコ織りの展示


博物館入り口からの展望


 熟練職人による機織りの実演。
タラブコ織りの実演風景1


タラブコ織りの実演風景2


タラブコ織りの実演風景3


 1階中庭
Patio


 1階の売店で、熟練職人が織った織物を買うことができます。値段は結構高いのですが、品質が全く違うのと、品揃えの点で、ここで買うことをお奨めします。織物は、展示してあるものだけではなく、箪笥の引き出しのような収納場所にたくさん保管されていますので、好きなデザインとサイズを選ぶことができます。

[1階売店]
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[売店内部。この奥と2階にたくさん展示されています。]
スクレの織物博物館売店


 ヤンバラ文化と織物の詳細については、別の機会に書くことにします。面白そうなので、博物館で本を数冊買ったのですが、まだ読んでいません。そのうち読んでご紹介したいと思います。

【追記 2011.2.12】

 昨日の新聞に、この博物館のことが出ていました。
 この博物館の運営は、ASURという財団(正式名はものすごく長いので省略)が県と20年間の契約のもとに行っているのですが、政府の法律により、県が財団に対して経営権の返還を求めているのだそうです。契約してからまだ10年しか経っていないので、本来であればASURはこの要求を拒否できるのですが、新しい法律は経営を農民団体に委ねることを目指しているようです。ASURは博物館の経営だけでなく、農民に対して機織りの研修も幅広く行っています。
 ボリビア政府はいろんな所でこの方式を採用しています。うまくいっている所の経営権を横取りして、国や支援者のものにする方法です。経営経験のない人たちの手に渡れば、どうなるかは、歴史が証明しています。


posted by ネコ師 at 02:42| Comment(0) | スクレの博物館 | 更新情報をチェックする

2011年01月06日

スクレの歩き方:自由の家博物館


世界遺産スクレの『自由の家博物館(La Casa de la Libertad)


住  所:Plaza 25 de Mayo N ° 11
開館時間:
  月~金:9:00 - 12:00、 15:00 - 18:00
  火~土:9:30 - 11:40、 14:30 - 18:10、 日曜日 09:30 - 14:30
 開館時間は2タイプあるようです。

 スクレの中央広場(Plaza 25 de Mayo)に面して建つ『自由の家(La Casa de la Libertad )』は、1825年8月6日にボリビアの独立宣言に署名した歴史的な場所としてボリビアの中で最も有名な建物です。その内部は、当時のまま残されています。

 この博物館はボリビア中央銀行文化財団が管理しています。ここには、植民地時代の多数の美術品に加えて、独立戦争、太平洋戦争、チャコ戦争に関する貴重なコレクションを収蔵しています。このように案内書には書いてあるのですが、実際は違います。

 7年前に入った時には、博物館の2階はチャコ戦争などの資料が展示されていたのですが、現在は2階は非公開です。もしからしら、これらの資料は軍事博物館の方に移動したのかも知れません。

 この建物は、1700年にイエズス会により建築されたもので、1624年に設立されたサンフランシスコ・ハビエル大学(Universidad San Francisco Xavier de Chuquisaca)の建物として使われていました。

 ここで、南米独立運動に重要な役割を果たしたたくさんの革命戦士が学びました。

 この建物は、1898年まで国会として利用されましたが、その後、行政府はラパスに移転します。この家はその後ボリビア共和国の誕生の歴史を展示する博物館に改装されます。

 建物の柱は花崗岩でつくられ、中庭を取り囲む回廊があります。玄関には大きなセドロの大木から切り出した木材が使われています。


ボリビア独立宣言


 1825年2月9日、大元帥アントニオ・ホセ・デ・スクレは、アルト・ペルーの全ての地域に呼びかけ、この国の方向を決めのための会議を招集しました。

 この会議は、アルトペルーの絶対的な独立性を確保するだけでなく、スペイン、ペルーやリオ・デ・ラ・プラタ連合地域から独立を確保するためのものでもありました。

 アントニオ・ホセ・デ・スクレ大元帥の招集の下、2月9日の命令に基づき、1825年7月以降、アルトペルーの5つの郡による議会が開催されていました。それが、旧大学の広間 ”Sala Mayor”です。ここで国の方向を決める討議が行われました。議会は、同年8月6日に独立を宣言し、ボリビア共和国を建国することを決議します。

 この時から1898年まで、この場所は、ボリビアの国会として使われました。ここで、シモン・ボリバルが起草したボリビアの最初の憲法が承認され、ボリバルが初代大統領(臨時)に選出されました。

 この広間“Sala Mayorは、大学のアカデミズムな最も重要な行事が行われました。そこでは、チャルカスの博士過程の学生の論文が公開されていました。

 自由の家博物館の入り口です。いつもは閉まっているというイメージなのですが、この日は巨大なドアを全開していました。
世界遺産スクレの「自由の家」の入り口


 入り口から入った所です。
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 展示室
世界遺産スクレの「自由の家」展示室


 中庭です。
世界遺産スクレの「自由の家」中庭


世界遺産スクレの「自由の家」中庭6


 独立宣言? ではないようです。 1825年11月16日の日付が見えます。何の文書でしょう?法令集で探しても見つかりません。
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 展示室
世界遺産スクレの「自由の家」展示室


 ボリバルの巨大な木彫。たぶん寄贈されたものだと思いますが、博物館側も置く場所に困っている感じです。
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 Sala Mayor。国会が開かれていた場所です
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 Sala Mayor
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 Sala Mayor
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 アントニオ・ホセ・デ・スクレの妻マリアナの肖像画はここにあります。
世界遺産スクレの「自由の家」のスクレの妻マリアナの肖像画


 展示室
世界遺産スクレの「自由の家」展示室


 コロニアル時代の衣装です。これは昨年撮影したもので、現在は別の博物館に展示されています。
コロニアル時代の衣装



【参考URL】

 1825年の法令集
http://scholarship.rice.edu/jsp/xml/1911/27090/1/aa00380.tei.html


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2011年01月05日

スクレの歩き方:人体解剖学博物館


人体解剖学博物館(MUSEO DE ANATOMIA HUMANA)


住 所: No.23, Plaza 25 de Mayo, Sucre Bolivia
開館時間: 月~金 8:00 - 12:00, 14:00 - 18:00
料 金:
 外国人 : 10Bs.
 ボリビア人: 5Bs.

 サンフランシスコ・ハビエル大学が所有する人体解剖学の博物館。
 5月25日広場に面した場所にあり、同大学医学部の女学生が暇そうに受付に座っています。

 スクレ博物館の中でも訪問者の少ない博物館の一つではないかと思います。
 
 見所はあまりないのですが、ホルマリン漬けの妊娠各段階の胎児のコレクションや、組織学、 解剖学の授業で使う教材があります。手や耳や目などの神経組織の精巧な年代物の模型は、ちょっと興味をひきます。

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posted by ネコ師 at 02:06| Comment(0) | スクレの博物館 | 更新情報をチェックする

2011年01月03日

スクレの歩き方:チャルカス・コロニアル人類学博物館


チャルカス・コロニアル人類学博物館(MUSEOS COLONIAL CHARCAS Y ANTROPOLOGICO )


場  所:
  Calle Bolívar 698 (中央広場から徒歩5分), Sucre Bolivia

開館時間:
  月~金: 08:30 - 12:00、14:30 - 18:00
  土曜日: 09:00 - 12:00、15.00 - 18:00

 1939年に設立されたサンフランシスコ・ハビエル大学が所有する博物館で、コロニアル時代の美術品を展示しています。内部はとても広く、見学には1時間程度見積もっておくとよいでしょう。

 スペイン人の侵略以前、現在のスクレ一帯は、「チャルカス」と呼ばれていました。その名は、チャルカス・アウディエンシアとして、世界に知られていました(チャルカス・アウディエンシアの記事をご覧下さい)。

 この博物館で注目されるのは、なんといってもラ・グロリエタ城のプリンセサの肖像画。彼女の肖像画はここでしか見ることができません(下に写真を掲載)。


 バロック画家の巨匠メルチョール・ペレス・デ・オルギン (Mechor Pérez de Holguín, 1660–1732)のコレクション


 彼は、コチャバンバ生まれのバロック画家として、ボリビアの植民地時代の絵画をたくさん描きました。彼の絵はマドリッドでも見ることができます。

 入り口で入場料(10Bs.)を払い、1階を見学。17世紀から19世紀にかけての絵画がたくさん展示されています。2階は民族学的な古い時代の展示コーナーですが、実はよく分かりません。時間があれば見て下さい。

 最初に博物館の入り口です。通用口のような所から入ります。
世界遺産スクレのチャルカス・コロニアル人類学博物館の入り口


 博物館の中庭(パティオ)です。スクレの建物は、大体こんな感じで、間口の狭い入り口を入ると大きな中庭があるので驚いてしまいます。
世界遺産スクレのチャルカス・コロニアル人類学博物館の内部


 2階の民族学コーナー。たぶんタラブコ族の衣装だと思うのですが、ヤンバラの人たちもほとんど同じデザインなので、ネコ師には区別が付きません。
世界遺産スクレのチャルカス・コロニアル人類学博物館(2階展示コーナー)


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 グロリエタ城のプリンセスの肖像画です。本当にきれいな人です。(グロリエタ城についての関連記事を是非ご覧下さい)
グロリエタ城のプリンセスの肖像画


 一階のギャラリーです。
世界遺産スクレのチャルカス・コロニアル人類学博物館1階ギャラリー


 これは二階の展示室のものです。以前ご紹介したプレ・インカの壁画の模型が展示されています。
チャルカス・コロニアル人類学博物館2階展示室


Museo Colonial Charcas


Museo Colonial Charcas09


Museo Colonial Charcas10


 「ミイラ」です。そんなのは見れば分かるよと、突っ込みが入りそうですが、実はそれ以上のことは分かりません。説明書きを読んでもよく分かりません。結局、研究者も分からないミイラなのだと思います。
世界遺産スクレのチャルカス・コロニアル人類学博物館に展示されているミイラ


 一階のギャラリーです。17世紀から18世紀にかけての絵画や調度品が展示してあります。ここまで来ると、「この建物はなんてでかいんだ!」と感じます。
世界遺産スクレのチャルカス・コロニアル人類学博物館1階の展示室:調度品コーナー


チャルカス・コロニアル人類学博物館13.jpg


 正面奥にあるのは銀製の鎧です。祭りの時に使ったようです。
チャルカス・コロニアル人類学博物館14


チャルカス・コロニアル人類学博物館15


チャルカス・コロニアル人類学博物館



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2010年12月24日

スクレの歩き方:国立民族学博物館


国立民族学博物館 El Museo Nacional de Etnografía y Folklore (MUSEF)


人類学、民俗学、民族学に関する展示を行っているスクレ市内にある博物館。各部族の仮面コレクションは必見。常設展示室は2つ。1階と2階にあります。

住  所:Calle España Nº 74
開館時間:
  月曜日~金曜日:9;30 - 12:30, 14:30 - 18:30
  土曜日:9:30 - 12:30
HPアドレス:http://www.musef.org.bo/

 19世紀後半、スクレは、鉱物ブームによる経済成長の時代を経験しました。この時期、大金融機関が誕生していきました。1892年、グロリエタ城のプリンスであり、また鉱山主でもあったフランシスコ・アルガンドーニャ(Francisco Argandoña)は、現在博物館になっている場所に彼の名前を冠した銀行を設立し、1912年に国立銀行(Banco Nacional)と合併するまで、この銀行はこの場所で営業されていました。(ラ・グロリエタ城のプリンスとプリンセスの記事、プリンセスの肖像画の記事も合わせてご覧下さい)

 建物の外観はそれぞれの時代で変わりましたが、その植民地時代に造られたパティオは当時のまま残されています。国立銀行は、この建物を2004年2月16日、「民族・民俗」に関する国立博物館として開設しました。

 博物館の入り口です。入り口が小さく、看板も小さいので見落としてしまうかも。

国立民族学博物館


 コロニアル時代の趣を今に残すパティオ


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2階の展示室 Sala Cultura Uru-Chipaya

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 鳥を狙っているインディオ。おもしろい狩猟道具を使っています。
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 穀物を風選するインディオの女性

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 2階の廊下。まさに"コロニアル"という感じのたたずまいです。

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 1階展示室(Sala Máscaras: Memoria y Diversidad)正面のポスター。仮面展示室です。中は真っ暗。

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 ラパス県でMisti Sikuriというダンスに使われる猫の仮面です。猫の仮面とは珍しい! 猫の表情を良く捉えた仮面だと思いました。これ、欲しいです。
 
 この仮面は20世紀初めの頃のもののようです。

 祭りでは、闘牛士の衣装を模倣した豊かな刺繍を施した衣装をまとって踊ります。
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 後で警備員のおばさんがやってきました。博物館の展示室の中は写真撮影禁止なのだそうです。もう遅い。撮っちゃいました。どこにも撮影禁止とは書かれていなかったし。撮影禁止かどうかは、結構気をつけてみているのですが。フラッシュも使っていないし。ご勘弁を。

 この仮面は、ボリビア国内のさまざまな文化を象徴するものです。グアダルーペ祭のパレードで踊り子達が身につける仮面のコレクションがここにあります。

 そのうち、詳しくご紹介できればと思います。これが分かると、カーニバルの楽しみが倍増するのではないかと思います。この記事を書くのは大変ですが。

関連記事

 冒頭紹介した「ラ・グロリエタ城のプリンスとプリンセス」については、以下の記事で詳しく紹介しています。お墓にまで行ってきました。
・「世界遺産「スクレ」のラ・グロリエタ城が公開されています
・「プリンセスの肖像:ラ・グロリエタ城のプリンセス
・「スクレの歩き方:共同墓地

posted by ネコ師 at 13:11| Comment(0) | スクレの博物館 | 更新情報をチェックする

2010年12月10日

スクレの歩き方:Eclesiastico博物館


 教会博物館 Museo Eclesiastico


 場  所:聖母グアダルーペ礼拝堂(Capilla de Virgen de Guadalupe)の隣
 開館時間:月曜日-金曜日 10:00 - 12:00, 15:00 - 17:00

この博物館は、ウィークデーの午前2時間、午後2時間しか開館していないので、訪問時間帯に注意。

博物館の特徴


 スクレの中央広場にそびえるメトロポリタン・カテドラル、その隣の聖母グアダルーペ礼拝堂と内部でつながる旧礼拝堂を利用した博物館。一時、ラパスからブエノスアイレスまでを所管したラプラタ司教管区の本部が置かれ、たくさんの美術品や宝物が収集された。

 現在、これらの絵画、宝物が博物館に陳列されている。博物館の内部には、旧礼拝堂がそのまま残されており、また、隣接する聖母グアダルーペ礼拝堂、メトロポリタン・カテドラルの内部を自由に見学することができる。

 見所は、博物館の内部よりも「聖母グアダルーペ像」。また、旧礼拝堂には、16世紀につくられた聖骸布のコピーが陳列されている。

 博物館の入り口。注意してみないと見落としてしまう。

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 博物館の案内図。博物館、聖母グアダルーペ礼拝堂、カテドラルが内部でつながっている。

Mapa de Museo de Eclesiastico


歴史


 この建物は、ラパスからブエノスアイレスまでを所管するラ・プラタの司教管区の本部として、1551年に建築が開始された。

 司教管区の町の成長に伴い、長い歴史の中で増築が繰り返され、1625年に建築されたグアダルーペの聖母礼拝堂や現在博物館の一部となっているファン・デ・マタ礼拝堂のように、いくつかの礼拝堂が建築された。

 博物館への入り口は、インディオのスラム街や墓地と隔てる裏通りとして造られたものであった。つまり、当時、ここには空間があり、礼拝堂への別の入り口として使われたことを示している。

 ラプラタ司教管区の本部として利用され、カテドラルには著名な美術品が収集された。

 その収集品の中で最も傑出しているものは、現地あるいは外国のアーティストによる絵画であった。同様に、カテドラルだけではなくスクレの他の教会から金細工等他の工芸品も収集された。

 1945年、モンシニョール・ビクトル・アリエン(Victor Arrien)によって、全ての美術品が集められた。その後、モンシニョール・フリオ・ガルシア・キンタニージャがこの作業を継続し、他の教区や16世紀から19世紀に造られた教会から美術品を集め、コレクションを拡大した。

 博物館内部。奧の入り口を右に曲がると聖母グアダルーペ礼拝堂に出る。

Museo_Eclesiastico3.jpg


 旧礼拝堂(ファン・デ・マタ礼拝堂)に通じる入り口。

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 同じ位置からの撮影。左側の門は旧礼拝堂のもの。奧の白い壁は、カテドラルの入り口を塞ぎ、壁にしたもの。

Museo_Eclesiastico5.jpg


 昔、スラム街・墓地との境界になった路地。

Museo_Eclesiastico6.jpg


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2010年12月05日

プリンセスの肖像:ラ・グロリエタ城のプリンセス


 スクレの郊外にあるラ・グロリエタ城。そこはグロリエタ公国としてローマ教皇レオン13世に認められたお城でした。ここに居住したプリンセスがクロティルデ・ウリオステ・デ・アルガンドーニャ(La princesa de La Glorieta, Doña Clotilde Urioste de Argandoña)。

 公国として承認されたのは、19世紀の終わり、1898年のことです。

 プリンセス・クロティルデは、スクレの良家の娘として生まれ、18歳で結婚しましたが、子供に恵まれなかったことから、たくさんの孤児たちを引き取って養育するなど、その母性愛は恵まれない子供達に向けられました。

 これらの慈善活動がローマ教皇の耳に届き、公国の称号が下賜され、プリンセスの称号を使うことが認められました。

 長年閉鎖されていたラ・グロリエタ城は、昨年末から博物館として一般公開されていますが、城内にはプリンセスの肖像画は一枚もありません。

 下の肖像画は、プリンセスの写真を元に、1902年、パリで描かれたものだそうです。プリンセス45歳の時のものです。優しそうで、きれいな人です。

 
princesa_up.jpg


 この肖像画はほぼ等身大だと思います。高さが2.5メートル近くある非常に大きなものです。

princesa.jpg



 ラ・グロリエタ城とプリンス、プリンセスについては、これまで2回にわたりご紹介しています。プリンセスに感心のある方は過去記事『世界遺産『スクレ』のラ・グロリエタ城』、『世界遺産「スクレ」のラ・グロリエタ城が公開されています』をご覧下さい。前者の記事ではグロリエタ城の歴史、後者の記事ではお城の写真を中心にご紹介しています。


posted by ネコ師 at 11:39| Comment(0) | スクレの博物館 | 更新情報をチェックする

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