久しぶりにインドの世界遺産の記事です。世界遺産のアグラ城塞とインドからネパールへの旅行の模様を書きたいと思います。
ネコ師がインドに行ったのはもう十数年も前の話。2回行きました。タージマハル、アジャンタ遺跡、エローラ遺跡、そしてインドからの帰途、死にそうなくらいの腹痛になった記事の計4本をアップしています。
今日は、9月にインド・ネパール旅行から帰国した息子が撮影した最新の写真を使ってご案内したいと思います。
このブログを続けて読んでいる方は、あれっ、この前、ボリビアに来て、それからマチュピチュに行ったんじゃなかったっけ、と思われたと思います。そうなんです。ボリビアから帰国して一週間後にインド旅行に旅立ちました。インド旅行は友人との二人旅だったそうですが、父親が全面的にアテンドしたボリビア観光とは違い、インド旅行は大変なことの連続だったようです。
このような状況なので、今回日本から送ってくれた写真も変わっています。ネコ師が絶対撮影しないようなところばかり撮影しているのではないかと思うほど。
こういうのもたまにはよいかと思います。
アグラ城塞(Agra Fort)は、1565年に皇帝アクバルにより建設されました(1573年完成)。皇帝アクバルは、デリーからアーグラへの遷都に伴いました。この城塞は、1983年、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。
デリーからアグラまでの寝台列車からの景色
上記列車から降りる前の荷物の写真
出発する列車は深夜出発の列車だけだし、列車内には南京虫がいるし、大変な旅行だったみたいです。
首都ニューデリーのインド門
インド門は第二次世界大戦の戦死者を祀るために造られたそうです。
アグラにあるアグラ城塞(アグラ・フォート)の入り口付近
ちなみにアグラ・フォートという駅が存在して、アグラから出るときその駅を使ったが、リクシャー(三輪バイクのタクシー)の人が勘違いし違う場所で降ろされてしまい、10キロ歩いて駅まで行ったそうです。
ここで、アグラとアグラ城塞、そしてタージ・マハールの位置関係を確認しておきましょう。クリックすると大きく鮮明な画像になります。
アグラ城跡の航空写真です(Google Earth)
ここからは、息子の解説です。
アグラフォート内にて
アグラ、タージマハル
かの有名なタージマハールってやつです。
タージマハールは中に入るのに700ルピー(レートが悪くて円で2000)かかり、俺の予算ではムリだから川を挟んで、対岸から撮ったやつ。
アグラの次に行ったバラナシという街
言い方としては「バナーラス、バラナシ、バラナス」とか色々あってめんどくさい。
そして人によっては伝わらない。これはガンジス川の川辺の光景。
バラナシ駅で8時間電車待っているときの写真
結局、列車が来たのは夜中の2時半。
ネパールの写真
ネパールの首都カトマンドゥの土産物の出店があって、両手を差し出している手に名刺を何枚か挟んでおけるのよ
会社のデスクとかによく置かれていたよ。
土産というより地元の人も使っていた。
そんで見た目よりもずっと重くて持って帰るの諦めました。
ネパールのカトマンドゥからバスで7時間ほどにあるポカラという街
のどかで良いとこだったよ。
でかい湖があってそこでのんびりしているときに撮った写真
ここはパラグライダーやラフティング(川下り)や乗馬や山登り(エベレストが近い)などあって空、川、陸、山と色んな遊びができるとこ。
金持ちがいっぱいだったわ
旅行会社の社長と友だちになって本当に格安プランを作ってもらったけど予算の関係で断念したよ。
ちなみに三泊四日の登山ツアーでエベレストの近くまで登れて、登山機材、朝昼晩のご飯、山の宿泊所、ツアーガイドなど必要な物全て揃って70ドルくらい。
やっすいよね。
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ふたたびネコ師登場。
十数年前、インドに2回、スリランカに2回行きました。でもほとんど記憶にありません。写真を整理したり、旅行の資料を整理しておくのは重要だなぁ、と今更ながら感じています。
アグラ城塞に行った時は、その規模に驚きましたし、デリーの至る所にあるイギリス植民地時代の巨大で荘厳な建物群にも目を見張りました。
インドはやはりスケールが他のアジア諸国とは全く違う、と感じました。イギリス、恐るべし、です。
ネコ師が行った当時のインドは、経済成長前の状態でした。下の写真は当時のデリー市内の光景です。今は全く違うのではないかと思います。
最後に、ネコ師撮影のアグラ城塞。
アグラ城塞は、赤砂岩でできています。この赤砂岩でできた(万里の長城のような)長城も見ることができます。そのスケールには圧倒されてしまいます。