2010年12月02日

世界遺産:インドのアグラ城塞(Agra Fort)とネパール


 久しぶりにインドの世界遺産の記事です。世界遺産のアグラ城塞とインドからネパールへの旅行の模様を書きたいと思います。

 ネコ師がインドに行ったのはもう十数年も前の話。2回行きました。タージマハル、アジャンタ遺跡、エローラ遺跡、そしてインドからの帰途、死にそうなくらいの腹痛になった記事の計4本をアップしています。

 今日は、9月にインド・ネパール旅行から帰国した息子が撮影した最新の写真を使ってご案内したいと思います。

 このブログを続けて読んでいる方は、あれっ、この前、ボリビアに来て、それからマチュピチュに行ったんじゃなかったっけ、と思われたと思います。そうなんです。ボリビアから帰国して一週間後にインド旅行に旅立ちました。インド旅行は友人との二人旅だったそうですが、父親が全面的にアテンドしたボリビア観光とは違い、インド旅行は大変なことの連続だったようです。

 このような状況なので、今回日本から送ってくれた写真も変わっています。ネコ師が絶対撮影しないようなところばかり撮影しているのではないかと思うほど。

 こういうのもたまにはよいかと思います。

 アグラ城塞(Agra Fort)は、1565年に皇帝アクバルにより建設されました(1573年完成)。皇帝アクバルは、デリーからアーグラへの遷都に伴いました。この城塞は、1983年、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

デリーからアグラまでの寝台列車からの景色


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上記列車から降りる前の荷物の写真


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 出発する列車は深夜出発の列車だけだし、列車内には南京虫がいるし、大変な旅行だったみたいです。

首都ニューデリーのインド門


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 インド門は第二次世界大戦の戦死者を祀るために造られたそうです。

アグラにあるアグラ城塞(アグラ・フォート)の入り口付近


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 ちなみにアグラ・フォートという駅が存在して、アグラから出るときその駅を使ったが、リクシャー(三輪バイクのタクシー)の人が勘違いし違う場所で降ろされてしまい、10キロ歩いて駅まで行ったそうです。

 ここで、アグラとアグラ城塞、そしてタージ・マハールの位置関係を確認しておきましょう。クリックすると大きく鮮明な画像になります。

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 アグラ城跡の航空写真です(Google Earth)

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 ここからは、息子の解説です。

アグラフォート内にて


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アグラ、タージマハル


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かの有名なタージマハールってやつです。

タージマハールは中に入るのに700ルピー(レートが悪くて円で2000)かかり、俺の予算ではムリだから川を挟んで、対岸から撮ったやつ。

アグラの次に行ったバラナシという街


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言い方としては「バナーラス、バラナシ、バラナス」とか色々あってめんどくさい。

そして人によっては伝わらない。これはガンジス川の川辺の光景。

バラナシ駅で8時間電車待っているときの写真


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 結局、列車が来たのは夜中の2時半。

ネパールの写真


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ネパールの首都カトマンドゥの土産物の出店があって、両手を差し出している手に名刺を何枚か挟んでおけるのよ

会社のデスクとかによく置かれていたよ。

土産というより地元の人も使っていた。

そんで見た目よりもずっと重くて持って帰るの諦めました。

ネパールのカトマンドゥからバスで7時間ほどにあるポカラという街


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のどかで良いとこだったよ。

でかい湖があってそこでのんびりしているときに撮った写真

ここはパラグライダーやラフティング(川下り)や乗馬や山登り(エベレストが近い)などあって空、川、陸、山と色んな遊びができるとこ。

金持ちがいっぱいだったわ

旅行会社の社長と友だちになって本当に格安プランを作ってもらったけど予算の関係で断念したよ。

ちなみに三泊四日の登山ツアーでエベレストの近くまで登れて、登山機材、朝昼晩のご飯、山の宿泊所、ツアーガイドなど必要な物全て揃って70ドルくらい。

やっすいよね。

*** *** ***

ふたたびネコ師登場。

 十数年前、インドに2回、スリランカに2回行きました。でもほとんど記憶にありません。写真を整理したり、旅行の資料を整理しておくのは重要だなぁ、と今更ながら感じています。

 アグラ城塞に行った時は、その規模に驚きましたし、デリーの至る所にあるイギリス植民地時代の巨大で荘厳な建物群にも目を見張りました。

 インドはやはりスケールが他のアジア諸国とは全く違う、と感じました。イギリス、恐るべし、です。

 ネコ師が行った当時のインドは、経済成長前の状態でした。下の写真は当時のデリー市内の光景です。今は全く違うのではないかと思います。

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 最後に、ネコ師撮影のアグラ城塞。

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 アグラ城塞は、赤砂岩でできています。この赤砂岩でできた(万里の長城のような)長城も見ることができます。そのスケールには圧倒されてしまいます。


posted by ネコ師 at 14:37| Comment(2) | インド編 | 更新情報をチェックする

2010年10月19日

世界遺産タージ・マハル:昔の写真を修復

 以前、ご紹介したインドの世界遺産タージマハル

 今日、画像の整理をしていたら、昔撮影したタージマハルの写真が出てきました。

 これが何ともひどい写りで、とてもブログにアップできるようなものではありません。

 空の青が色抜けし、真っ白。大理石造りのタージマハルと区別が付かない状態です。

 以前なら、これであきらめてしまうのですが、時代が変わり、どんな状態の写真でも修復できるようになりました。

 下の画像は修復後のものです。雲も追加しました(笑)。

 
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 ついでに、フィルタを使って加工してみました。神秘的なタージマハルです。

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 ご参考までに、元画像はこんな感じでした。
 タージマハルが空と区別が付かない状態なので、修復にはちょっと時間がかかりました。でも、古い写真が蘇るのって、なかなか気持ちの良いものです。

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posted by ネコ師 at 13:29| Comment(0) | インド編 | 更新情報をチェックする

2008年06月05日

インド旅行の帰路、検疫のお世話に


今日はインド旅行にまつわる病気の話を書きます。
インドには2度行きました。

たしか、2度目の旅行の時だったと思います。インド最後の夜は、知人の家で夕食をご馳走になり、深夜0時頃の飛行機に乗るべく、空港に向かいました。

旅の疲れからか、体調はあまり良くなかったのですが、それでも、その時までは何ともなかったと思います。

ところが、いざ、搭乗手続きが始まると同時に腹痛が始まりました。
別に悪いものを食べた記憶もないし、生ものも食べていません。

でも、腹痛はだんだん激しくなってきました。飛行機に乗って、自分の座席に行こうとしたら、誰か座っています。

サリーをきた年輩の女性でした。

「そこは私の席です」とチケットを見せて言いましたが、先方は、分けの分からない言葉で下を向いたまましゃべり続けていました。とても会話ができるような人ではなかったように思いました。

こちらは、腹痛がだんだんひどくなってきました。内心、このまま飛行するか、それとも病院に行くか、悩んでいました。

年輩の女性との交渉はらちがあかないので、エアーホステスを呼んで事情を説明しました。エアーホステスは、その年輩女性に話しかけていましたが、全然聞いてくれず、お手上げ状態でした。

そこで、たまたま空いていた一番前の座席に座るように言われました。

急激な腹痛が始まった私にとっては、願ってもないことで、有り難くその指示に従いました。一番前の席、つまり、トイレが一番近いということです。

離陸から、水平飛行に入るまでのわずか20分足らずの時間ですが、その間トイレに行けない私には恐怖の時間でした。

腹痛がおさまらず、下痢が続いていたのです。

とにかくひどい腹痛で、覚えいてるだけで13回トイレにいきました。体力を急激に消耗しました。

「このままでは日本に帰れない。香港で病院に行こう」と思って、じっと痛みと下痢に耐えていました。

香港に着いたとき、病院に行こうかどうか迷いましたが、その時にはほんの少しだけ以前よりは症状が改善されていたため、このまま日本に戻ってから行った方が良いと考え、日本行きのJALが出発するまで、香港のトランジットルームで、ひたすら腹痛に耐えていました。

JALに乗ったら、またまた一番前の席で、隣の座席は誰もいなかったので、横になることができました。これが、エコノミークラスの良いところです。ビジネスクラスだと横になることはできません。

今は、完全に水平になるシートがビジネスクラスに導入されていますが、そうでない席は完全には水平にならないために、エコノミークラスの方が羨ましくなります。

この時は、香港から日本間での間、ほとんど横になって寝ることができました。本当に助かりました。

成田に着いたとき、腹痛はかなり収まっていました。でも、検疫所に申告し、事情を説明しました。

検疫所では、検便の検査をして、そのまま帰宅できるということでした。その結果は2日後に電話で連絡すると言われました。でも、腹痛の程度がこれまでに経験したことがないくらいひどかったため、検査結果が出るまでの間、仕事は休むことにしました。職場の人たちに迷惑がかからないように。

その時は腹痛は収まっていたのですが、検疫結果が出るまでは、出勤しない方がよいと思ったのです。

もし、コレラや赤痢など法定伝染病だと判明した場合、私の触ったものすべてを消毒することになります。噴霧器で。

つまり、職場で私が触った書類がすべて噴霧の対象になります。これは大変なことなので、出勤を自重しました。

不思議なことに、検疫所からは何の指示もありません(注意書きの紙に書かれていたのは、多くの人と接する場に出ないこと、くらいだったかな?)。このようなことで、感染を防げるのかと思いました。

本当にひどい腹痛と下痢だったため、コレラか赤痢なのではないかと思っていました。帰宅後、すぐに近くの病院に行きましたが、医師も、検疫所で何も言われなかったのかと驚いていました。

二日後、検査結果を電話で受け取り、何ともないと言うことが分かり、安心して出勤しました。結果としては、消化不良が原因だったようです。

この時の経験として、いつもは素通りする検疫所に行ったこと、そしてその体制がこれでよいのかと思ったこと、など、いろいろあります。が、良い経験をしました。

私は、海外旅行中によく腹痛、下痢になるので、実は慣れているのですが、この時の腹痛は香港で病院に行こうと思ったくらいひどいものでした。

でも、この時は、下痢と腹痛だけで、嘔吐がなかったのが幸いでした。
下痢と嘔吐が同時にあると、水分の供給できないために、コレラなどではあっという間に死んでしまうようです。点滴による水分補給が不可欠です。

点滴の中に痛み止めを入れてくれるので、点滴の後はこれまでの痛みがウソのように快適になります。

これまでにも何度か点滴のお世話になりましたが、その威力には驚きます。

旅先でお腹を壊して苦労された方も多いのではないかと思います。

私は、この時病院から戴いた抗生物質の残りをいつも旅行には持っていくようにしています。

下痢は体力を消耗します。これに嘔吐が加わると非常にキケンです。すぐに病院で点滴を受けて、水分補給をすることを強くおすすめします。


posted by ネコ師 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | インド編 | 更新情報をチェックする

2008年06月01日

エローラ石窟群に行く:インド世界遺産


 エローラ遺跡は、昨日ご紹介したアジャンタ遺跡の近くにあります。
 アジャンタと同じ1987年に世界遺産(文化遺産)に登録されました。

 この遺跡は、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教という3つの宗教の寺院として造られました。
 もちろん、共同寺院ではなく、造られたり使われた年代は異なります。5世紀から10世紀にかけて造られました。

 この遺跡が他の遺跡と違うところは、岩盤を堀抜いて(掘り下げて)造られていること、そして、その規模がとても大きいことでしょう。ただし、これは、最も大きなヒンドゥ教のカイラーサ・ナータ寺院の話で、この他にもエローラ石窟は近くに点在しています。

 エローラ石窟が最初に造られたのは5世紀ころと言われています。

 前の記事の「アジャンタ」のところで年表を載せましたが、インド南部デカン高原ではこの時期、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥ教が信仰されていて、お互いの信仰に対して寛容だったと思われます。

 ヨーロッパの遺跡の場合、宗教が異なれば、征服者が被征服者の信仰対象を徹底的に破壊しました。
 征服者の宗教を統治に利用するという政治的な意味合いが強いのだろうけれど、壁画や彫像は顔の部分を削り取られたりしています。

 ところが、アジャンタでもエローラでもそのような破壊の跡は見られなかった。
 支配者側(王家)がいろいろな宗教を信仰していたため、このように寛大だったのではないでしょうか。

 カイラーサ・ナータ寺院は、先にも書いたように岩盤を掘り下げて造ったもの。高さ(深さ)が34mもある。まさにシヴァ神が住まう神殿としてその偉容を誇っています。

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第32窟  女神像(ヤクシー)
胸をみんなが触るものだから、ピカピカに磨かれています(笑)。これを見て思ったのは、これまでに何人の観光客がこのように磨いたのかと言うこと。触るのは一瞬なので、相当の数の人たちに触られた証と言うことでしょう。

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第32窟  女神像(ヤクシー)
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posted by ネコ師 at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | インド編 | 更新情報をチェックする

アジャンター石窟寺院に行く:インド世界遺産


 (キュラソー島のオリジナル写真を追加しておきました。)

 今日は、突然、インドの仏教遺跡、アジャンターのお話です。
 カリブ海から、太平洋側に来たと思ったら、突然、インドに戻ってきた?(過去ログ:タージマハールがインドの世界遺産紹介の最初でした)

 なぜ、インドなのか。理由は簡単です。写真の整理ができたのが、インドだからです。何とも脈絡のない記事です。
 
Map_ajanta.jpg


 インドは、とても広くて、場所によって文化が大きく異なるため、とても一つの国とは思えません。

(Wikipediaの「アジャンター」の項はあまり良くないですね。何が書いてあるのかさっぱり分からない。ネットで見ても、Wikipediaから引用できないため、ほとんどのHPで遺跡の説明をしていない。)

 アジャンター石窟寺院は、インドの首都ニューデリーの南方約1,000Kmのワゴーラー川沿いの岩壁に、岩をくりぬいて造られた仏教寺院群です。大小30の部屋が連なっており、長さは500mに及びます。

 1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

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 アジャンターの全景写真です。
 下の写真をクリックすると大きくなります。大きくしないとよく見えないので、大きな画像サイズにしました。

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 実は、この遺跡このとはあまり記憶に残っていません。写真を見ていて少しだけ思い出しましたが。でもそれは少しだけ。世界遺産なのに、他の世界遺産にある、あの圧倒的な迫力がこの遺跡には感じられなかった。

 下の写真にあるように、最初に展望台から石窟の全景を眺めます。そのあと、石窟まで行くのですが、絶壁をくりぬいて造られているため、外からはただの洞穴しか見えない。

 一つ一つの石窟は、あまり大きなものではなく、僧侶が寝泊まりした生活空間です。ただし、9,10,19,26,29窟の5つはチャイティヤ窟と呼ばれる大きな空間を持つ石窟です。

 石窟が最初に掘られたのは、紀元前1世紀から紀元後2世紀のサータヴァーハナ朝時代であるらしい。
サータヴァーハナ朝は、紀元前3世紀から紀元後3世紀ころまでデカン高原で栄えた王朝で、この時代、王たちはバラモン教を信仰しましたが、仏教やジャイナ教も発展しました。この時代(2世紀ごろ)のインドは、北にはクシャーナ朝、南にサータヴァーハナ朝という2つの王朝が栄える時代でした。

 インドの最初の統一王朝はマウリヤ朝で紀元前4世紀のことです。マウリヤ朝の最盛期をきづいたのはアショーカ王で、仏教を保護しました。また、紀元後1世紀に興ったクシャーナ朝は、2世紀半ばのカニシカ王の時に最盛期を向かえ、仏教を保護しました。

 その後、6世紀半ばまでの間に、石窟は拡大されていきましたが、何らかの理由で放棄されたらしい。それが発見されたのは、1819年のこと。イギリス人が虎狩りの途中で偶然発見したようです。

 インドの歴史は複雑で分かり難い。そこで、年表を整理しました。

前500   コーサラ・マガダ国繁栄
  この頃、ジャイナ教・仏教成立
前317頃  マウリヤ朝成立(~前180頃)
前268頃  アショカ王即位(~前232頃)
紀元    クシャーナ朝成立(~3世紀)
100頃   サータヴァーハナ朝繁栄
130頃   カニシカ王即位(~170頃)
160頃   ガンダーラ美術
200頃   クシャーナ朝、ササン朝に服属
320頃   グプタ朝成立(~550頃)
376頃   チャンドラグプタ2世即位(~414頃)
400頃   法顕、インドを訪れる
550頃   グプタ朝滅亡
606頃   ハルシカ王、ブァルダナ朝を興す。
645    玄奘がインドに訪れ、ナーランダ僧院で教典研究にいそしみ、657部の仏典を唐に持ち帰った。
651 (ササン朝ペルシャ滅亡)
インド、分裂期に入る

 石窟の内部は、あまり記憶にありません。たぶん、目を引くようなものがなかったためだと思います。ただし、アジャンターの壁画は教科書にも載っているくらい有名なのですが、なぜか覚えていない。

 下の写真が有名な壁画です。
 下の写真をクリックすると大きくなります。

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 当時は、まだ、観光地として整備されていなかったせいかもしれません。今はだいぶ変わっているかも。

 やはり、もう一つの有名な石窟遺跡、エローラの方も見てみたい! その要望にお応えします。

posted by ネコ師 at 02:52| Comment(0) | TrackBack(0) | インド編 | 更新情報をチェックする

2008年01月24日

世界遺産タージ・マハル/今日はインドのお話


 ケタルが突然死してしまったため、猫のお話は、しばらくお休みです。

 本当に突然死で、驚いてしまいました。
 太りすぎが原因だと思います。

 すごーく悲しいです(涙)。

 と言うわけで、気分を変えて、インドの世界遺産 タージ・マハルのお話をします。
 ネコは出てきません。すみません m(_ _)m

インドの地図

インドの地図その2

(以下の写真は、私が撮影したものです)

 私が行ったことのある国の中でも、インドは印象深い国の一つです。
 インドへは2度行きましたが、スケールの大きさには驚いてしまいます。

 ただ、インドの遺跡群は赤砂岩という柔らかい石でできているので、他の国の遺跡とは趣が違います。

 女性の着るサリーも素敵で、見入ってしまいます。
 ただ、労働には向いていない衣装です。

 道路に敷く採石を割っている女性を見かけましたが、やはりサリーを着ていました。ピンで止めてあっても、重作業ではずり落ちて、見ていても大変そうでした。

 インド人は、大人も子どもも彫りが深い顔立ちで、女性はまるで女優のようです。
 下の写真は、タージ・マハルを見学に来た女子学生です。

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 上の写真も同じ場所で撮ったものです。

 インドで有名なのが象眼細工です。その加工現場を見ることができます。
 これは、石の中に、別の種類の色鮮やかな石をはめ込んでいく加工方法です。

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 しかし、インドといったら、世界遺産にも登録されているタージ・マハルははずせません。

 シンメトリーの建物とその庭園は本当に素晴らしいものです。言葉よりも画像の方が説得力がありますね。

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タージ・マハルの説明


 インドの北部アーグラにあるタージ・マハルは、全て大理石でできた霊廟です。建設は1632年に着工以来、1653年の竣工までに20年を要しました。

 この霊廟は1983年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。

 建造したのはムガル帝国第5代皇帝のシャー・ジャハーンで、愛妃のムムターズ・マハルの死を悼んで作ったものです。

 ペルシャやアラブなどから2万人もの職人を集めて作ったと言われています。シャー・ジャハーンが、を悼んで建設しました。

 タージ・マハルはシンメトリの概念がその根底になっています。それ故、見る者に安心感を与えるのだと思います。純白のタージマハルと、未完成に終わった黒いシャー・ジャハーンの墓廟がもし完成していたら、素晴らしい眺めだったと思います。

 タージマハルの象眼細工は、素晴らしいの一言です。最初、単なる模様のように思ったのですが、近くで見るとすべて象眼が施されています。

 象眼のレベルとしてみれば、イタリアのフィレンツェには全く及びません。ただ、冒頭に書きましたようにスケールが違います。

 インドにしろ、万里の長城を築いた中国にしろ、アジアのスケールの大きさには驚かされます。あらためてアジアはすごいと思います。

タージ・マハルは世界遺産にふさわしい史跡だと思います。その場に立ってみて、気持ちが良くなるというところはそんなにありません。 
 その一つがタージ・マハルでしょう。

 個人的には、ペルーのマチュピチュと、メキシコのティオティワカンの遺跡群とクフ王のピラミッド、赤いピラミッドが好きですが。


posted by ネコ師 at 05:55| Comment(0) | TrackBack(0) | インド編 | 更新情報をチェックする

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