2014年03月29日
イタリア旅行1(ミラノ)
以前イタリアに行った時のことを書きたいと思います。
当時は、南米パラグアイに住んでいて、そこから、イタリア・ミラノに降り立ちました。
全体の行程は、ミラノ⇒シエナ⇒フィレンツェ⇒ローマ⇒ナポリ⇒ローマ⇒スペイン というものでした。この行程も、実は、最初から決まっていた訳ではなく、最終的に見ればこんな行程だったということです。
ミラノの空港から電車で市内まで行き、そこからホテルまでタクシーで行ったように思うのですが、記憶が定かではありません。
このタクシーにぼられたので、今思い返しても悔しい。それは、長旅で、やっとミラノに到着し、後は、タクシーでホテルに入るだけ、と思っていた矢先のことでした。
タクシーに乗ってわずか6、7分足らずでホテルに到着。30ユーロ請求されました。当時のレートで5千円くらいだったと思います。こんな状況の時に限って子供達が騒ぎ出します。「どうしたの? どうしてタクシーから降りないの? 道を間違えたの? ・・・」などなど、それまで無口だった子供達が堰を切ったようにしゃべり出します。こちらはパニックです。
こちらはスペイン語しか話せないのですが、イタリア語とのコミュニケーションはとれます。タクシー運転手に交渉しようと思っていたのですが、子供達のなぜなぜ攻撃に遭い、あきらめて、支払いました。
補足しますと、・・・、もともと、外国でタクシーに乗る時はぼられることは想定しています。だから、こちらもかなり緊張してタクシーに乗っています。ぼられた時の準備をしています。その緊張感を全てぶちこわすのが子供達のなぜなぜ攻撃です。もう、タクシー料金などどうでも良いという気分にさせます。
ホテルに入ると、フロントは3階にあるらしい。昔のヨーロッパ映画に出てきそうな年代物の蛇腹式のドアを開けてエレベータに乗り込みます。この雰囲気がとても気に入りました。写真がないのが残念です。
フロントも家族経営という感じで、落ち着いた良いホテルだったと思います。
実は、ミラノの記憶がほとんどありません。覚えているのは、ホテルの周辺と、「世界三大オペラハウス」が改修中で閉鎖していたこと、くらいです。やはり、子供達が小さかったので、子供中心の旅行だったためかも知れません。今なら、別の楽しみ方もあるとは思うのですが。
2013年06月10日
世界遺産:ナポリ
今日は、世界遺産のナポリをご紹介。イタリアのナポリに行ったときのことを書きたいと思います。
1995年、世界遺産(文化遺産)『ナポリ歴史地区』として登録された。
この時のイタリア旅行は、ミラノから始まり、いろいろな都市を訪れながらナポリまで南下しました。
Map by Google Map
ナポリに着いたのは夕方。ここでも、フィレンツェの時と同じようになかなかホテルが見つからない。
フィレンツェとナポリのホテルは事前に予約しておいた方が良いようです。
ナポリの駅に着き、観光案内所でホテルのリストをもらい、近くの公衆電話から電話をかけまくったように思います。フィレンツェでも同じ目に遭ったので、記憶が錯綜していますが。
ネコ師一家の旅行スタイルは、日程に縛られない気ままな旅。このため、気に入った都市には長期滞在するけど、気に入らないところはさっさと移動する、というもの。
ナポリに着いたときの印象は、「怖い」というものでした。旅行慣れしているネコ師でもちょっと違うと感じました。なぜかは分からないのですが、イタリアの他の都市と雰囲気が違う!
実は、ナポリ市内の記憶はあまりありません。どこにも行かなかったからです。それもそのはず、ナポリ訪問のお目当ては、ナポリ市内ではなく、ナポリの南のアナカプリ島(またはカプリ島)にある「青の洞窟(Grotta Azzurra)」に行くこと。
Map by Google Map
この洞窟はとても有名なので皆さんもご存じだと思いますが、実は、洞窟の中に入ることができるのは、運がよいと言われています。
ネコ師の一家は、そんなことも知らず、青の洞窟を堪能してきました! 信じられないくらい綺麗!
ペルーのマチュピチュに匹敵する感動を味わいました。洞窟の中は神秘的な青色をしています。
後で、ローマに駐在していた同僚に聞いたら、青の洞窟は波が高いと入ることができないため、5回行って1回くらいしか入れないと言っていました。入ったとしても、空が曇っているとあまりきれいではないそうです。ネコ師一家は超ラッキーだったみたいです。やはり、日頃の行いが良いからかも・・・(むふふ)。
この記事は書きかけです。写真は後でアップします。とりあえず、青の洞窟に入る瞬間の写真だけアップします。
洞窟までは少し大きめの船で行きますが、洞窟の手前で小さなボートに乗り換えます。
このような船がたくさんいて、洞窟に入るために入口の周辺にはたくさんのボートが順番待ちしています。
ネコ師家族の場合は、40分くらい船で待ち、それからボートに乗り換えて洞窟に入りました。
洞窟の入り口は狭く、波があるため、波が低くなったときを見計らい一気に中に入っていきます。入り口にはロープがあり、ボートの船頭が、それを引っ張って中に入ります。
カプリ島はのんびりしていて、海は透明度が高く、好印象の島でした。食べ物も美味しい。といっても、食べたのはピザでしたが。
2013年04月29日
世界遺産:ポンペイ 地中埋没の秘密
久しぶりに世界遺産の記事です。以前行ったイタリアのポンペイの記事をアップします。ありきたりのポンペイ観光案内ではなく、読んで得したと思える記事にしたいと思います。
(注:以下の画像はネコ師が現地でビデオ撮影したものをテレビに表示し、それをカメラで撮影するという方法を採っているため画質が悪いことをご了解下さい。)
【ポンペイ位置図】
By Google Earth
世界的に有名なポンペイ(イタリア語: Pompei)は、イタリアのナポリ近郊にあった古代都市です。紀元79年のヴェスヴィオ火山噴火によって発生した火砕流でポンペイの町は壊滅し、地中に埋もれてしまいました。降り積もった火山灰は6mにも達し、忘れ去られましたが、それから約1700年後、18世紀に入り井戸工事中に遺跡の一部が発見されました。このように、完全に火山灰に埋もれていたため、発掘により当時の生活の模様を直接見ることができるタイムカプセルとなりました。それがポンペイ遺跡です。1997年、この遺跡はユネスコの世界遺産(文化遺産)に指定されました。
ところで、なぜ、古代の遺跡は地中に埋もれているか知っていますか。ポンペイの町は、火砕流に覆われ地中に埋没したので、当然、地中に埋没しています。でも、考古学的発見は、土を掘り起こして発見されています。ポンペイのような火砕流の影響を受けた場所なら理解できますが、世界の考古学的発見のほとんど全ては、このような災害や地殻変動のあった場所ではなく、有史以来、これらの変動が起きていない場所で発見されています。
では、なぜ、古代の建物は土の下に埋もれてしまうのでしょうか。
常識として、このような地殻変動などのない場所では、土壌侵食によって土が削られることはあっても、建物が地中に埋もれることはあり得ないのです。
地殻変動で、海底が隆起し、山を形成し、それが浸食され台地になり、平原になる図を学校で勉強したと思います。斜面の下流では、上流で浸食された土砂が洪水により運ばれ、厚く堆積することはあります。しかし、洪水が起こらない、河川のない平坦な土地でも遺跡は地中に埋まっています。なぜなのでしょうか。
実は、この仕組みを明らかにしたのは、チャールズ・ロバート・ダーウィンです。ダーウィンといえば『進化論』が特に有名ですが、彼はミミズの研究に生涯を捧げました。実は、この研究により、初めて古代の遺跡がなぜ地中から発見されるのかが明らかになりました。それは、ミミズが土を耕していたからです。詳しい話は別の機会に書きたいと思いますが、ここでは、「ミミズ」の消化作用で土が作られ、土地が耕されることにより、遺跡が土で覆われ、地中に沈み込むということだけ覚えておけば良いと思います。
ポンペイに行った時の記憶として残っているのは、帰りの電車が来るまでかなり待ったことと、ポンペイの遺跡の中をさんざん歩き回って、足が疲れたということ。ポンペイの遺跡は広いです。
ユネスコの世界遺産は、とても良く整備されていて、昨日造ったような遺跡に仕上がっています。観光客を呼び込むには必要でしょうが、ちょっとやり過ぎとも感じます。
そうは言っても、ローマ時代の石畳や建物群の中を散策できるのは、とても魅力的です。
道幅や建物の間隔、塀の高さなどは、現地に立ってみて初めて実感できることです。
下の写真は有名なので、見たことがある人が多いと思います。ガラスケースの中に入っているのでうまく撮影できないのですが、インパクトがあり、とてもショッキングな遺物です。これが数年前のものなら"R-18指定"になりそうですが、2000年も前の古いものだと問題にはならないらしい。何となく、偽善とか不道徳とか社会規範とかいう単語が頭をめぐります。灼熱の降灰で蒸発した人間の鋳型が展示されているのです。
古ければ公開が可能で、新しければダメ。それは遺族の方々への配慮なのか。その配慮が必要ないくらい古ければ何でも公開して良いのか。この判断基準は誰が決めているのでしょうか。
こんな旅を続けていると、古代の建物や道路などのスケール感のようなものができます。
道路の幅は必要以上には広くない。当時の馬や馬車が交差できる幅があれば十分だったのでしょう。
狭い路地を歩いていると、塀の高さが気になります。少し高すぎるように感じます。これは、治安が悪かったことを示していると思います。道路を歩く人の目線よりはるかに高い塀になっています。
このような道路面の凹凸は、馬の蹄鉄を削り、荷車の車輪を早く痛めることになったと思います。すると、町のあちこちに鍛冶屋があったのではないかと思います。
民家を見て感じたのは、ボリビアの田舎のアドベ造りの家に比べ窓が大きいこと。どのような窓枠材を使っていたのか分かりませんが、灯りが重要だったのだと感じました。それは、夜も灯りを使っていたのだと感じました。ボリビアとは違う。
道路の造りに話を戻すと、意外に稚拙という印象です。これは、文化レベルから見て、かなり違和感を覚えました。
ところで、ポンペイ遺跡の見所の一つは、水路兼用道路ではないでしょうか。
ローマ帝国のレベルならば、切石を張り詰めてもおかしくはありません。しかし、実際には自然石を敷いているだけです。現在、このレベルの道路を造ったのなら、住民から苦情が殺到するでしょう。
この道路を横断する飛び石のようなものが、まさに飛び石でした。この道路には水が流れ、馬車も通っていた。このため、水路兼用道路を横断するには、下の写真のような飛び石が必要だったのです。
この水路兼用道路というのは、普段あまり見かけませんが、日本でも、沖縄の島など一部の地域で見ることができます。
下の画像は、つくば市の桜並木をネコ師が勝手に水路兼用道路にしたイラストです。以前アップしたものですが、なかなかきれいだと思います。このイラストについて詳しく知りたい方は、過去記事「桜並木を描いてみる」をご覧下さい。
地域おこしで、このような水路兼用道路を一時的に創り出せば楽しいと思います。交通量の少ない歩道のある桜並木道の排水溝を一時的に塞ぎ、5cm程度水を貯める方法です。車両の速度制限を20kmとすれば、車の走行にも支障はないし、子供でも安心して渡れる水深です。靴で道を横断できるように、夜間でも見えるように白く着色した仮設の飛び石を設けるのも楽しそうです。晴れた日は、水面に桜並木と青い空を映し出し、夜は、街灯に照らされた桜を水面に映します。なんともロマンチックです。消火用水や河川維持用水を使える地域であれば、日本中どこでもできます。乳母車はそのまま水路の中を走ればよいので、歩行者にとっても、それほど不便ではないと思います。
ポンペイの水路兼用道路も、当時はとてもきれいだったと思います。道路が水で覆われるという光景は、とても神秘的です。水深が数センチでも、暑いイタリアの夏の気温を下げ、冬の寒気を和らげる働きもあったと思います。
下のイラストは、メキシコのテオティワカン遺跡の死者たちの道を水路兼用道路にしたものです。これも過去記事にアップしたものですが、よろしかったら元記事もご覧下さい。
日光や月光を水面に投影するには数センチの水深で十分です。ウユニ塩湖の絶景は、このような数センチの水深から生まれています。
建物の中もきれいに保存されています。壁画や天井のレリーフも当時のままで、2000年の時を一気に遡ることができるところが、ポンペイ遺跡のすごいところでしょう。
かまどもきれいに残っていました。かまどの直径から、使っていた鍋の大きさが分かり、何人分の調理をしていたのかも推測できるのだと思います。
石畳を見ると、意外に作りが悪いと感じます。現代のヨーロッパの町に残る石畳は、表面が平らで、洗練されていますが、ローマ時代の石畳はかなりデコボコしていたことが分かります。
実際に建設にあたったのは奴隷たちです。現代の感覚で見ると、「奴隷たちの道」という感じでしょうか。
このポンペイ遺跡には、世界最古のアルキメデス形スクリュー揚水機が描かれた壁画があります。Menander Houseという家にあるらしいのですが、残念ながら画像はありません。
他にも、クテシビオスが発明したと伝えられる青銅製の消火ポンプも発見されています。ポンペイに行くときは、このような知識を仕入れてから行けば、より楽しめるかも知れません。
どうもローマ時代の壮大な遺跡群を見ていると、不道徳と奴隷酷使の歴史を突きつけられているようで、実はあまり楽しいものではありません。その点、エジプトの大ピラミッドは、人智を超えたインパクトがあります。
2013年03月29日
世界遺産:イタリア シエナ
イタリアのシエナは、1995年にユネスコの世界遺産に登録されたとても美しい古都です。イタリア旅行をしたときは、最初にミラノで入国し、そこからイタリア半島を南下していきました。
Photo by Google Earth
イタリア旅行でミラノに次ぐ二つ目の訪問先として選んだのがイタリア中部トスカーナ地方のシエナでした。
最初は、シエナに1泊の予定だったのですが、この町がとても気に入り、3日間も滞在しました。何の計画性も持たないネコ師一家の旅行スタイルです。
やはり、ヨーロッパは、地方都市の方が面白い。ミラノが意外につまらなかったので、特にそう感じたのかも。
この町の歴史は古く、12世紀から15世紀の間に形成された町の外観を維持していることも世界遺産として評価された点でした。
町の中は、中世を舞台とした映画にそのまま使われてもおかしくないくらい。とてもシックな感じの町です。
坂道が多く、平坦なところは、バスターミナル周辺とカンポ広場のあたりだけ。
町はとても狭いので、10分くらいで町を横断できます。しかし、路地が多く、これがまた楽しい。
坂道が多い町は苦手なのですが、町自体が小さいので気にならない。そんなことより、迷子になりながら、路地を探索する方ことに夢中になる。
フィレンツェのように大きすぎず、こぢんまりしたところが気に入りました。
シエナの猫発見! 猫好きの子供達は、「ねえ、触ってもいい?」と聞いてきます。これは、外国の動物は病気を持っているから、むやみに触っちゃダメ!、と普段言っているからです。
あまり毛並みの良い猫ではなかったのですが、可愛いです。古都に猫は良く似合います。
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