2012年04月24日
海外旅行よもやま話 (中国編)
十年以上前、中国に行った時のこと。季節は1月でとても寒い頃でした。
北京で、日本食レストランに行き、お寿司を食べました。
その帰り道のこと。道ばたで、小さな子供を抱えた乞食の女性が物乞いに来ました。
中国に乞食がいるの? と、少し驚きましたが、当時の金額で5千円くらいの「元」を渡したと思います。
中南米の物乞いには何もあげないことにしているネコ師ですが、北京の物乞いは、生死がかかっているという切迫感がありました。
南国では、年中、何らかのフルーツがあるので、簡単には餓死しないように思いますが、北京の1月はとても寒く、簡単に凍死してしまいそうです。その時、物乞いの女性が抱えていた子供は、ネコ師の子供と同じくらいの年齢だったので、財布のヒモがゆるんだ・・、のかも。
さて、翌日は、飛行機で、北京の南に位置する安徽省に向かいました。
国内便の乗り方が複雑で、旅行慣れしているネコ師でも一人の旅行は無理という感じでした(今の中国の国内線事情は分かりませんが)。
安徽省の空港から、省都の合肥市に向かう自動車の中でお腹の具合が悪くなり、合肥に着いてトイレに駆け込みました。前日のお寿司にあたったようです。
かなりひどい下痢になり、病院に行ったら、風邪だと言われました。「おいおい、この症状のどこが風邪なんだよ。明らかに食中毒だろう!」、と思いながらも、中国人の仙人のような経験のありそうな老医師の診断に従いました。
病院で処方された薬は、アンプルに入っているものでした。小さなガラス製の容器に密封された注射薬です。それを6本処方されました。
ネコ師 「これって、注射するやつだよね。飲んでもいいの」
看護師曰く、注射も飲むのも同じなのだとか。
そんなはずないとは思いながらも、ホテルに戻ってから、このアンプルを飲むことに。
ところが、アンプルを開けることができない。通常は、ガラス切りが付いていて、それで傷をつけて、「パキッ」と折って開けるか、もともと、アンプルに傷が付けられていて、簡単に開けられるはず。
ところが、ガラス切りも付いていないし、アンプルにも傷がない。手で割ろうとしてもびくともしない。
ガラスの破片でけがをしないように、バスルームにあったタオルに包み、思いっきり力を入れてアンプルを割ろうとしたのですが、全く割れない。他の5本も試したのですが、同じでした。
腹痛は周期的に激痛として襲ってくるので、何とか薬を飲まなければ、と思っても、アンプルが割れない。
そこで、ネコ師の採った最終手段はというと・・・・。
アンプルをタオルに包み、手をけがしないようにした上で、バスルームの入り口の角にアンプルをたたきつけ割ることにしました。
これで、アンプルは割れました。しかし、その割れ方は、「パキッ」と割った時のような普通の割れ方ではなく、アンプルの途中から無残に割れているという状態でした。
さすがに、この状態で飲むわけにはいかず、一旦、コップに移し、上澄み部分だけを飲むことにしました。当然、ガラス片が混入しています。
このアンプルが効いたのか、3本飲んだら、腹痛が治まり、眠ることができました。
この時の腹痛はすさまじく、死ぬかと思いました(この後のシリーズで、もっと死にそうになります)。この経験は、ワースト5にランキングされます。とても心細く、悲惨な経験でした。
翌日は、ホテルでおとなしく養生することにしました。
合肥は巨大な都市で、その周辺のどんな田舎に行っても、道路には、人や自転車がひっきりなしに
通っているという感じでした。
田舎に行くと、山は全て農地になっています。余っている土地などなく、人口を養うのには土地が不足していると感じました。
チャン・ツーイーが出演している中国映画に出てくる荒涼とした大地ではなく、安徽省には水に恵まれた農地が広がっていました。
腹痛が治まったので、恐る恐る町に出てみました。合肥から少し離れた町です。
お土産屋さんがあり、亀の形をした硯を売っていたので買いました。
「あの硯、どこに行ったのでしょう?」 家に持ち帰ったのは確かですが、それ以降、見たことがありません。
海外で買ったお土産の末路はこんなもの?
2008年06月02日
万里の長城:世界遺産
今日は、インドから東に行って、万里の長城をご紹介します。
万里の長城は、英語で"Great Wall of China"というようです。なんとも味気ない表現です。日本語の「万里の長城」の方が、ロマンをかき立てられます。宗教関係の遺跡よりも、こんな遺跡の方が好きです。
人工衛星から肉眼で見える唯一の人口の構造物、万里の長城。こういう構造物を見るとワクワクします。
管理人が「万里の長城」を訪れたのは1月。冬の中国は本当に寒い~です。
万里の長城は、一般には秦の始皇帝が造ったと言われていますが、現存するものは明の時代のもの。1987年に世界遺産(文化遺産)に登録されました。
長城は1本の線的な構造物ではありません。それぞれの時代に、その時代の自国の領土を守るために造られたことから、幾重にも建造されています。
写真は、北京近郊の「八達嶺長城」だと思いますが、実はよく分かりません。
なにしろ、外国に行くときには、ガイドブックを持たずに出かけるので、自分がどこにいるのかさっぱり分からない。そのうえ、方向音痴ときています。
この時は、時間ができたので、通訳を雇って、万里の長城が見たいと言って連れていってもらいました。北京から2時間半くらいかかったように記憶していますが定かではありません。
万里の長城で関心があったのは、その建造方法。
非常に険しい場所にも造られていて、大変な作業だったことが伺えます。
このような古い建造物を見るときにはいつも、「どうやって造ったのだろう」と建設当時を思い描きながら見ています。
歴史の本に載っている偉い人ではなく、実際に造った人たちや工事監督をした人たちの方に関心があります。だから、どこかから抜き書きしたような旅行ガイドブックは持ち歩かないことにしています。何も書いていないので。
訪れた遺跡は、現在はあまり人が住んでいない場所ですが、建設当時は、大きな町が一つできたと思います。
長期間の建設作業に携わる人たちの生活を支えるためには、住宅、食糧が必要ですが、険しい山の中にそのようなものはありません。
このため、これらを供給する「町」ができていたと思いました。なんでも規模の大きな中国のことだから、数万人規模の町が建設のためにつくられたのではないでしょうか。
現在でも、巨大ダムの建設の時は、数千人規模の町ができ、ダムの完成と共に消えています。
長城は基本的には北方からの騎馬民族の侵入を防ぐために造られたものですが、実際に見てみると、ホントかなぁと思えてくる。写真の場所は、とても馬で進軍できるような場所ではない。
だから、もし侵入するとすれば、徒歩だと考えられます。逆に言えば、馬を使って侵入できる場所は限られていることになります。
徒歩の敵の侵攻を止めるには、通常は砦や城を築くのではないでしょうか。機動力のある馬の進軍を留め置くためには、このような壁は有効だと思います、馬がとても登れないような急峻な場所にまで長城が続いています。
無論、長城は抑止効果もあり、闘いやすく、守りやすい(長城の上を高速で移動できる)というメリットがありますが、なんとなく、コストパフォーマンスが悪いように感じました。
急峻な場所に長城を築くための建設資材を運び上げるには、相当規模の労働力が必要だったと思います。そして、かれらの生活を支援するグループも相当の人数だったと思います。
長城の効果を考えると、果たして本当に必要だったのかと思えてきます。
平時であれば、国境沿いに見張りを配置すれば良い。他国の歴史の中で、このような長城がほとんど築かれていないことを考えると、何世紀にもわたる長城建造の目的を機能面や必要性から見るのは間違いで、中国特有のものの考え方によるものではないかと思いました。
実は、インドにもこれと似たような塀がありますが、規模が全く違います。
ネット上で写真を探しても、長城の構造がよく分からないと思います。管理人が撮影した写真をご覧下さい。
これ、お気に入りのショットです。
MIX洋猫と世界遺産ランキングに参加しています。
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この酔っぱらいのような猫のことをもっと知りたい方は
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