2011年05月30日
ウルグアイの猫たち
ウルグアイ旅行シリーズの最後は、モンテビデオで見かけた猫で締めくくりたいと思います。
この猫たちは、モンテビデオの旧市街地サランディ通りで見つけました。
家の前に2匹いますが、飼い主が家のドアを開けてくれるのをただひたすら待っていました。
この通りには犬がいないので安心です。そういえば、モンテビデオでは野良犬を見かけなかったような。スクレにはたくさんいますが。
2匹の猫が玄関で、ドアを開けてくれるのを待っている光景は微笑ましいものです。家の中から声が聞こえてきたので、直ぐに入れてもらえたと思います。
黒猫も三毛猫も可愛いです。黒猫はドラちゃんに似ていますが、ドラは長くスマートな猫だったので、よく見ると違います。シルエットがそれほどきれいじゃない。でも、どちらも飼ってみたいタイプの猫です。
猫たちに挨拶しようかと思ったのですが、せっかく家の前で待っているので、邪魔しないように、離れた所から写真を撮りました。
3日前にホテルにやってきた迷い猫は、今、ネコ師のお腹の上で毛繕いをしています。
2011年05月26日
モンテビデオで食べたもの
アルゼンチンとウルグアイの旅行からスクレに帰ってきて、早くも3週間経ちます。
2カ国に行った割には写真も記事も少ない。これには分けがあるのですが。
ところで、アルゼンチンでは日本食三昧でしたが、ウルグアイのモンテビデオでは日本食レストランがないので、仕方なく現地食を食べました。
海辺の町モンテビデオだから、さぞ海産物が美味しいだろうと、マリスコスの店へ。
あまり食欲がないので、貝の入ったスパゲティにしました。これは美味しいのですが、驚くほどの味ではありません。
テーブルワインを注文しました。するとグラスになみなみと注いでくれました。これはうれしいサービスです。海辺にあるこのレストランは、市内から少し離れています。海産物料理で有名ということでしたが、驚くほどではなかったと思います。スペインやイタリアの方がずっと美味しかった。
モンテビデオ市内を歩き回り、疲れたので入ったレストランで食べたのが下の料理です。
標高の高いスクレだとスパゲティ料理は美味しくないので、ここでもスパゲティを注文しました。今度は、包み焼き風で、これがとても美味しい!
実は、このレストランは「寿司」も出すのですが、ブエノスアイレスの経験から、どんなものが出てくるかは想像できるのでやめました。
日本食の記事は生き生きとしているのに、現地料理の記事になると、いきなりトーンダウンするネコ師です。
美味しいレストランもあると思いますが、そんなレストランに行くには、現地の人に連れて行ってもらうのが一番です。ホテルやタクシーから聞いた「有名」なレストランが美味しいとは限りません。こんな時、現地に住んでいる人の書いたネットの情報はありがたいのですが、残念ながらモンテビデオに関してはありません。
今回で、モンテビデオの記事はおしまいですが、モンテビデオに観光でわざわざ行く価値があるかと問われれば、「No」です。
理由は、町自体に魅力がないこと、浜辺も驚くほどきれいではなく、よくある程度なこと、ブラジル人観光客相手の観光地になっており物価が高いこと、食べ物も特に美味しいと感じるものはないこと、空港から市内まで行くとき、タクシーの運転手にぼられたこと、などです。
これに比べ、2月に行ったエクアドルは魅力にあふれていました。エクアドルもウルグアイと同様、小さな国ですが、見たいものがたくさんあり、一度の旅行ではとても見切れません。また、いつか行きたいと思います。
2011年05月06日
モンテビデオの骨董市(その2)
昨日の続きです。
今日は独立広場(Plaza Independencia)から。
このモダンな建物は劇場のようです。
独立広場に建つこの彫像は、アルティガスのモニュメント(Monumento a Artigas)だそうです。アルティガスって誰?
ウルグアイの独立はとてもややっこしいです。
ウルグアイ独立の父と言われているホセ・ヘルバシオ・アルティガス(José Gervasio Artigas)は、ウルグアイ出身のカウディージョ。カウディージョとは、この時代、南米各地でスペインからの独立を牽引した地域の有力者のことで、民兵も抱えていました。
1807年にイギリスがモンテビデオを占領し、ブエノス・アイレスに攻撃を仕掛けます。ここから先は、以前書きましたコルネリオ・サアベドラの記事とつながるのですが、ブエノス・アイレスの民兵はイギリス軍の撃退に成功し、イギリス軍はモンテビデオからも撤退します。
ブエノス・アイレスの支配を嫌ったウルグアイは、1808年、独立を宣言します。勝手に宣言しただけです。
1810年にブエノス・アイレスでスペインからの独立を求める戦いが始まり、副王軍を破ります(5月革命)。アルティガスも参戦し、5月18日のラス・ピエドラスの戦いで.アルティガスの軍がスペイン軍を撃破し、モンテビデオを包囲しますが、ブラジルからのポルトガル軍に敗れて撤退します。
副王はモンテビデオに逃れ、ここで統治しますが、1814年にブエノス・アイレス軍に敗れ壊滅します。
アルティガスはブエノス・アイレス軍に抵抗を続け、1815年にモンテビデオからブエノス・アイレスの軍隊を追い払い、ラテンアメリカで最初の土地改革を行います。
しかし、ブラジルからポルトガルが攻め込みます。アルティガス軍は戦いに敗れ、その後も、連敗し、1820年、アルティガス軍は壊滅し、彼はパラグアイに亡命することになります。そして、1850年に亡命先で亡くなっています。
アルティガスは、スペインからの独立後、1776年にブエノスアイレスに設置されたリオ・デ・ラ・プラタ副王庁の領有範囲をアメリカのように合衆国制で1つの国とすることを考えていましたが、果たすことができませんでした。
なんとなくグラン・コロンビアを夢見たシモン・ボリーバルに似ていますね。
最終的に、ウルグアイが独立するのは、1828年のことになります。
ラテンアメリカの歴史上、最悪の戦争と言われているパラグアイとアルゼンチン・ブラジルとの三国同盟戦争(Guerra de la Triple Alianza:1864年-1870年)が起きるのは、パラグアイがウルグアイの内戦の助太刀をしようとしたからでした。
この独立広場の地下は、アルティガスの霊廟になっていて、2名の衛兵に守られ、1977年以来、彼はここで眠っています。
この広場の一角にあるのが、旧市街地への入り口に建つ巨大な石造りの門(城砦の門:Puerta de la Ciudadela)。モンテビデオは外敵から街を守るため、1829年まで城壁で囲まれていたそうですが、現在残っているのはこの門だけです。城壁は1742年以降に造られたらしいです。
いよいよ旧市街に入っていきます。サランディ通りです。
何とか広場(おいおい、いきなり脱力の記事かよ?)で骨董市をやっていました。
憲法広場(Plaza de Constitución)です。
これが面白い! 毎週土曜日に開催しているらしく、モンテビデオに到着したのが土曜日というのはラッキーでした。
ネコ師は骨董好きではないのですが、古いものは結構好きかも。見ているだけで楽しいです。こんな訳で、ブログをご覧の方にもモンテビデオの骨董市をお楽しみ頂きたいと思います。
不思議なものがたくさんあって、不思議でないものもたくさんあって、さすがは骨董市です。
これは、時計を修理するキット一式だそうです。完全に揃っているよ、と言われましたが、揃っていても買いたいとは思いません。
この本は、ファッション雑誌のような感じで、1800年代中頃のものです。でも、偽物です。紙面は昨日印刷したような感じで、印刷したのはかなり新しいと思います。本自体は古そうに見えましたが。でも、魅力的な本でした。買いたいとは思いませんが。
本当に、いろいろなジャンルのものが並べられていて楽しいです。
ただ、質の面から言えば、パラグアイのアスンシオンのアンティークショップの方が、値段は5分の1くらいで買えます。ひとつ気に入ったものがあったので値段を尋ねたら、「頭が真っ白」になるような値段を言ってきました。ちょっと変わったランタンです。
このランタンは、レンズが特殊で、牛乳瓶の底を3枚使ったような分厚いレンズでした。とても作りが良く、保存状態も良いので値段を聞いたら、「たまげた!」。250ドルだそうです。
「バカいってんじゃないよ」と値段交渉に入るネコ師。・・・、ではなく、あまりの高さに呆然として、買う気も失せました。
でも、本当は欲しかった。1万円くらいなら買おうかと思ったのですが、ちょっと高すぎ。他の店も見たのですが、このレンズのランタンはありません。どう見ても安っぽい。
ふたたび、ランタンの店に戻り、恨めしそうに見ていましたが、店主は値段交渉に応ずる気配がないのであきらめました。
骨董市はいろいろな国の都市で見ましたが、こんなベラボーな値段を付ける町は初めてです。
モンテビデオは何でも高いです。ブラジル人のお金持ち観光客を相手に儲けている国のようです。以前の記事で書きましたメキシコのカンクーンよりは少し安いといったイメージです。
モンテビデオやブエノス・アイレスといえば、海に面しているので、美味しい海産物が食べれると期待していたのですが、大外れ。魚介類はほとんどありません。
期待していただけに残念です。
まず、魚がない! どうなっているんだ!
次に、貝がない!
寿司屋で出てくるネタはどこも同じで、サーモンとタコだけ! 寿司屋でもマグロを置いている店はかなり少なく、無い時もあるらしい。海のないボリビアのサンタクルスやパラグアイのアスンシオンでさえ、もっとたくさんのネタがあるよ!
ブエノス・アイレスやモンテビデオはラプラタ河の出口にあるので、あまり魚がいないのかも知れません。
2011年05月05日
モンテビデオの骨董市
ウルグアイの日本語の記事はほとんどありません。そこで、ネコ師が少しだけご紹介することにします。
大きな地図で見る
モンテビデオに到着した日がたまたま土曜日でした。ブエノスアイレスを早朝出発したので、あっという間にモンテビデオに到着。ホテルに行ったら、「チェックインは11時からなので、その間に市内見物でもしてきたら?」と勧められ、市内見物に出かけることに。「本当は、全然寝ていないので、ホテルで休みたかった!」
ホテルから旧市街地を目指して、街を散策することにしました。
通りでは朝市が開催されていました。
最初に出てきたのが7月18日通りにあるこの彫像。「ガウチョのモニュメントMonumento al Gaucho」と呼ばれています。
彫刻家ホセ・ルイス・ソリージャ・デ・サン・マルティン(José Luis Zorrilla de San Martín, 1891~1975)の傑作と言われているそうです。ところで、ガウチョとは牧童のことで、タンゴの素材にもなっており、ウルグアイでは郷愁を誘う存在のようです。
通りに若い女性達が何人かいるので、何をしているのかと近づいてみました。
この噴水に愛し合うカップルのイニシャルを書いた錠前をくくりつけると、二人に幸運が訪れ、愛が長続きする、という伝説があるそうです。
この水色のカーディガンを着た子は、真剣に錠前をくくりつけていました。
鍵屋さんの新しい商売かも知れませんね。
中南米では滅多に見かけない大きな本屋。外国人は本を読まないのかと思ったら、ウルグアイ人は本好きのようです。
ウルグアイ人の作家で有名なのは、『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年(原著のタイトルはちと違います:Las venas abiertas de América Latina )』を書いたエドゥアルド・ガレアーノくらいでしょうか。
次に見えてきたのは、カガンチャ広場(Plaza Cagancha)にある女神像のようなもの。何なのかはよく分かりません。
市内には変わった建物が目に付きます。
今日は、ここまで。なかなか骨董市にたどり着きません。
2011年04月25日
サルボ宮殿の幽霊:モンテビデオ
モンテビデオの記事をネットで探しても、おもしろい記事がない。一つも。
確かにこの町は、紹介するようなものが少ないのは分かるのですが、あまりにもひどすぎる。
街のモニュメント的な建物、サルボ宮殿についてもほとんど何も書かれていないつまらない記事ばかり。
ということで、モンテビデオ観光のお手伝いをすることにしました。
この建物は、企業家兄弟Angel José SalvoとLorenzo Salvoが建設したもので、設計はイタリア人建築家Mario Palantiが担当し、1928年10月に竣工しました。
高さ95m(105mの資料もあります)、27階建てのこの建物は、1935年までは南米で最も高い建物でした。
現在でも、ウルグアイでは建物の上に乗っているテレビ塔に次ぐ二番目に高い建築物となっています。ちなみに、タンゴと聞くと誰でも一度は聞いたことがあるラ・クンパルシータ(La Cumparsita)が1917年に最初に演奏されたのがこの建物のあった場所だそうです。
この20世紀初めを彷彿させるアールデコ調の美しい建物は建築以来、モンテビデオの人たちの誇りとなっているそうです。
元々はホテルや事務所用に建てられたそうですが、ホテルとして使われたのは数年間だけで、しかも、いくつかの階だけだったそうです。
今は分譲マンションとオフィスが混然と入居している雑居ビルとして使われており、一般公開はしていません。
入り口の受付のおっさんに聞いたら、「個人の部屋だから、一般公開はしていないよ。展望台もないよ」と無愛想に言われました。
建築は、2年間かけて基礎を12メートル掘削し、地上27階建て、370室、地下室2つを持つ建物が完成します。
このビルの所有者の一人Angel Salvoは完成の前になくなり、兄弟のJoséも完成の5年後に亡くなっています。
José Salvoは企業家として成功していました。彼には二人の娘があり、その娘のうち一人がRicardo Bonapelchという謙虚な男と結婚しました。
ところが事件が発生します。
1934年4月29日の夜、José Salvoは車に轢かれ、その怪我がもとで亡くなります。警察が調べたところ、ひき逃げした運転手が判明し、その自供からBonapelchが彼を雇って義父を殺したことが明らかになります。Bonapelchは逮捕され、刑務所でその一生を終えます。
Salvo一族は1960年代にビルを個人住宅用に所有権の販売をします。
まあ、いろいろ曰くのありそうな建物なので、もしやと思ったのですが、やはり「出る」そうです。何がって? もちろん、幽霊です。
翻訳する元気がないので、リンクだけ張っておきます。
http://ghostbustermvd.wordpress.com/2010/11/22/fantasmas-en-el-palacio-salvo/
建物の1階に下の写真が飾ってありました。建築当時の写真です。
モンテビデオの街を散策
モンテビデオの街を歩いてみました。
朝早くモンテビデオに到着したもののホテルのチェックインは11時からということで、荷物だけホテルに残しモンテビデオ市内を散策することにしました。
イースターのまっただ中のため、ブエノスアイレスもモンテビデオも閑散としています。
海岸の近くの海に突き出た部分が歴史地区ということで歩き出したのですが、"歩けば遠い"。
空港で膝をぶつけたせいで、膝が痛い。痛い足を引きずるように、たくさん歩きました。健康にはよいかも。
歴史地区はあとでご紹介しますが、突端部分にレストラン街があります。ここだけたくさんの観光客がいました。
おいしそうなので、そのうち食べたいと思います。
レストランでは、かわいい子が客の呼び込みをしていました。
10メートル離れたところからズームでパチリ。映画の場面のような写真になりました(笑)。
この子は、改めてみるときれいな子ですね。白い肌に血管が浮き出ています。怒らせると怖いかも。
モンテビデオに行く
ウルグアイのモンテビデオにやってきました。
ブエノスアイレスを早朝出発し、モンテビデオに到着。
ブエノスアイレスには空港が二つあり、国内と近隣国には市内の空港が使われるようです。
ホテルを朝5時半に出て、この市内の空港に向かったのですが、ここで珍しいトラブル発生。
ネコ師の乗ったタクシーがパトカーに捕まってしまいました。
このタクシーの運転手が信号を無視したのが捕まった理由です。パトカーの中に入っていきました。
違反切符を切られるだけかと思ったら、本格的に取り調べられています。その間も、タクシーのメーターはぐんぐん回転しているし、きがきではありません。
しばらくすると警官がやってきて、時間がかかるから別のタクシーで行くように言われました。
さすがは警察です。あっという間に別のタクシーを停止させ、ネコ師はこのタクシーに乗り換えました。
取り調べを受けているタクシーの運転手にここまでのタクシー代を支払おうとしたら「いらない」とのこと。もうけてしまいました。
このタクシーの運転手としては、早朝で誰もいない交差点の信号を無視したために違反と言われるのが納得できず、粘っているのかも知れません。
ネコ師は、別のタクシーで市内の空港に着いたのですが、思っていたよりもずっと遠い。
空港に着いたら、チェックインカウンタにはすでに80人くらい並んでいます。
この空港で、またまた信じられないトラブル。
飛行機の機内に入り、離陸を待っていたら、空港の係員が来てネコ師だけ降りるように言います。「???」。
言われるままに降りると、理由が分かりました。ネコ師は間違った飛行機に搭乗していたのです。
係員からは、「アナウンスを確認して搭乗するように」って言われたけど、ネコ師にも言い分が。
ネコ師がトイレから戻ってくると、搭乗がすでに始まっていたので、その列に並んで乗ってしまった。アナウンスは聞いていない。切符のチェックをしている係員も何も言わなかった。
そもそも自分の乗る飛行機がどのルートで飛ぶのかも、最終目的地がどこかも知らないので、「○○行き」というアナウンスを聞いてもしかたない(時がある)。
・・・などと、思ったのですが、はっきり言ってネコ師の単純ミスです。14番ゲートから自分の乗る飛行機よりも前に別の飛行機が出るのは確認していたので。
しかし、航空会社で間違いに気づいてくれて助かりました。間違って乗った飛行機はブラジル行きでした。ビザを持っていないネコ師は、空港から出ることもできず大変な目に遭うところでした。
ホームアローンのように。
モンテビデオに向かう飛行機から下を見ると、なにやら「泥の海」のような景色が広がっています。広大な干潟のようにも見えるのですが、船がいくつか見えるので、水深が2メートルくらいはありそうです。
よくよく考えてみると、河口の景色なのでしょう。
ところが、モンテビデオに着いて、海の色を見て仰天。「やっぱり、泥の海だ!」。泥の海という表現がぴったりの色をしています。沖を見ても同じ色。本来の海の色はどこにもありません。
地元の人に聞いたら、風が強いとこんな色になるのだと言っていました。
本当に奇妙な海です。風が強いので三角波がたつのは分かるのですが、その数が半端ではない。遠浅で、海底に岩がたくさん突き出ているのだと思うのですが。
日本では、曇天で海が荒れると、海の色も変わりますが、見渡す限り泥の海のように見えることはありません。
ちょうど上の写真を撮影していたら、自転車で宇宙に旅立つところに遭遇しました。あのETで見たような場面です。
この自転車に乗った人は結構長い時間この格好をしていてくれたので、写真の納めることができました。下がアップ写真です。30秒以上この格好をしていました。何考えているんだろう?
モンテビデオの街は、こぢんまりとしていて、何となくパラグアイのアスンシオンに似ています。この町の特徴は、「本屋がたくさんあること」。中南米で大きな本屋のある国はほとんどない。と思うのですが、モンテビデオでは比較的たくさん見かけます。
市内はそのうち。
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