(キュラソー島のオリジナル写真を追加しておきました。)
今日は、突然、インドの仏教遺跡、アジャンターのお話です。
カリブ海から、太平洋側に来たと思ったら、突然、インドに戻ってきた?(過去ログ:タージマハールがインドの世界遺産紹介の最初でした)
なぜ、インドなのか。理由は簡単です。写真の整理ができたのが、インドだからです。何とも脈絡のない記事です。
インドは、とても広くて、場所によって文化が大きく異なるため、とても一つの国とは思えません。
(Wikipediaの「アジャンター」の項はあまり良くないですね。何が書いてあるのかさっぱり分からない。ネットで見ても、Wikipediaから引用できないため、ほとんどのHPで遺跡の説明をしていない。)
アジャンター石窟寺院は、インドの首都ニューデリーの南方約1,000Kmのワゴーラー川沿いの岩壁に、岩をくりぬいて造られた仏教寺院群です。大小30の部屋が連なっており、長さは500mに及びます。
1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
アジャンターの全景写真です。
下の写真をクリックすると大きくなります。大きくしないとよく見えないので、大きな画像サイズにしました。
実は、この遺跡このとはあまり記憶に残っていません。写真を見ていて少しだけ思い出しましたが。でもそれは少しだけ。世界遺産なのに、他の世界遺産にある、あの圧倒的な迫力がこの遺跡には感じられなかった。
下の写真にあるように、最初に展望台から石窟の全景を眺めます。そのあと、石窟まで行くのですが、絶壁をくりぬいて造られているため、外からはただの洞穴しか見えない。
一つ一つの石窟は、あまり大きなものではなく、僧侶が寝泊まりした生活空間です。ただし、9,10,19,26,29窟の5つはチャイティヤ窟と呼ばれる大きな空間を持つ石窟です。
石窟が最初に掘られたのは、紀元前1世紀から紀元後2世紀のサータヴァーハナ朝時代であるらしい。
サータヴァーハナ朝は、紀元前3世紀から紀元後3世紀ころまでデカン高原で栄えた王朝で、この時代、王たちはバラモン教を信仰しましたが、仏教やジャイナ教も発展しました。この時代(2世紀ごろ)のインドは、北にはクシャーナ朝、南にサータヴァーハナ朝という2つの王朝が栄える時代でした。
インドの最初の統一王朝はマウリヤ朝で紀元前4世紀のことです。マウリヤ朝の最盛期をきづいたのはアショーカ王で、仏教を保護しました。また、紀元後1世紀に興ったクシャーナ朝は、2世紀半ばのカニシカ王の時に最盛期を向かえ、仏教を保護しました。
その後、6世紀半ばまでの間に、石窟は拡大されていきましたが、何らかの理由で放棄されたらしい。それが発見されたのは、1819年のこと。イギリス人が虎狩りの途中で偶然発見したようです。
インドの歴史は複雑で分かり難い。そこで、年表を整理しました。
前500 コーサラ・マガダ国繁栄
この頃、ジャイナ教・仏教成立
前317頃 マウリヤ朝成立(~前180頃)
前268頃 アショカ王即位(~前232頃)
紀元 クシャーナ朝成立(~3世紀)
100頃 サータヴァーハナ朝繁栄
130頃 カニシカ王即位(~170頃)
160頃 ガンダーラ美術
200頃 クシャーナ朝、ササン朝に服属
320頃 グプタ朝成立(~550頃)
376頃 チャンドラグプタ2世即位(~414頃)
400頃 法顕、インドを訪れる
550頃 グプタ朝滅亡
606頃 ハルシカ王、ブァルダナ朝を興す。
645 玄奘がインドに訪れ、ナーランダ僧院で教典研究にいそしみ、657部の仏典を唐に持ち帰った。
651 (ササン朝ペルシャ滅亡)
インド、分裂期に入る
石窟の内部は、あまり記憶にありません。たぶん、目を引くようなものがなかったためだと思います。ただし、アジャンターの壁画は教科書にも載っているくらい有名なのですが、なぜか覚えていない。
下の写真が有名な壁画です。
下の写真をクリックすると大きくなります。
当時は、まだ、観光地として整備されていなかったせいかもしれません。今はだいぶ変わっているかも。
やはり、もう一つの有名な石窟遺跡、エローラの方も見てみたい! その要望にお応えします。