2014年05月05日

【閲覧奨励】無残にバラバラにされる遺体を皆で観賞


 今日、デパートに行ったら、マグロの解体ショーをやっていました。
 面白かったので報告します。

 まるまると太った立派な本マグロが、首を切断され、さらし首にされます。
 次に、五臓六腑を抜かれ、背骨に沿って解体されていきます。

 死亡してから直ぐに冷蔵保存された遺体は、死後硬直が解け、弾力を帯びています。
 遺体解体人は、遺体から出る油で切れ味が鈍る包丁を研ぎながら解体を続けます。

 そして、遺体の塊を赤み、中トロ、大トロという肉片に切り分け、発泡スチロールのトレーに手際よく入れていきます。

 マグロの死肉に群がる買い物客たちは、サクの部分は高価なので、中落ちの部分がパック詰めされるのを固唾をのんで見守っています。

マグロの解体


マグロの解体


マグロの解体


 私たちが食べている動物の肉のことを「死肉」と表現する方法があることを初めて知ったときは、ショックでした。
 でも、この表現は、生命について改めて考えされてくれる言葉だと感じています。

 特に、魚については、それが生きていたときのことを考えることは、まずありません。しかし、「魚の死肉」と聞いた瞬間に、それが生きていたときのことを連想してしまいます。

 食べるとは、他の生き物の命をいただいているのだ、ということを聴いたことがあります。その言葉自体は宗教じみていて、反発こそあれ実感が湧かなかったのですが、「死肉」という言葉を覚えてから、何となく、その意味が分かるような気がします。

 話は変わって。

 日本食がブームになる以前は、外国ではマグロのトロの部分は捨てられていました。肉食中心の人種は肉の脂身を食べないようです。

 鯨を大量虐殺したアメリカの捕鯨船団は、鯨油が目的だったので、肉は捨てていました。フカヒレをとるためにチョウザメを殺戮しているように。
 
 日本では、鯨から得られるあらゆる部位を余すことなく使うというのが当たり前になっています。
 鯨を食べたいとは思わないのですが、鯨の各部位を余すことなく使ってきたという文化が形成されているからこそ、鯨を捕らないということは、日本国内の多くの伝統的生産部門に影響するのだと思います。

 一時期、英語を国語にしようという文化人集団がいました。
 今なら、総スカンの発言ですが、外国に追いつくためには世界共通語である英語を国語にすべきだ、という論陣でした。

 もっともらしいことを言う文化人の主張が正しかったのかどうかは、時間が解決します。しかし、一度失った「伝統文化」は復活しません。やり直しというオプションはないのです。だからこそ、世論を形成しようとする動きに敏感になる必要があります。

 過去の文化を否定しようとする偽装文化人には要注意です。かれらを意図的に出演させているテレビ局などマスコミにも要注意です。

【世論操作を目論むマスコミの見分け方】

 ・ 聞いたことのない大学の准教授を「専門家」としてそのコメントを発信しているマスコミ
 ・ 日本人の有能な学者や技術者を攻撃して、国内で研究の場を無くするように誘導するマスコミ 
 ・ 視聴者の「ねたみ」を巧みに煽り、番組を構成するマスコミ
 ・ 仮想敵国、天災、疫病など人々の不安を煽り、意図する結論に導こうとするマスコミ

 これって、報道姿勢を見ると直ぐに分かることばかりです。


posted by ネコ師 at 05:00| Comment(0) | ネコ師の独り言 | 更新情報をチェックする
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