安久津八幡神社本殿
安久津八幡神社は、その長い歴史の中で、幾度となく火災に見舞われています。度重なる火災により宝物や記録は失われましたが、わずかに残る神社縁起書や棟札(むなふだ)等の記録から、明応9年(1500年)、建て尚宗により社殿が再検された記録を最古として、七度消失し、その度ごとに再建されてきました。現在、本殿は、寛保3年(1743年)に焼失した社殿を、米沢藩上杉氏9代重定のき 代、宝暦5年(1765年)に再建されたものです。
三間社流造(さんげんやしろながれづくり)、茅葺き、軒組は和様平三斗(わようひらみとと)といいます。棟の両端には鬼瓦があげられ、屋根が半円形に張り出す特異な形状をしています。本殿は、近世建築ながらその手法が優れ、江戸時代を代表する建物として、昭和30年県指定有形文化財に指定されました。
もともとの本殿は、現在地の北、八幡山の中腹に近いところにあり、現本殿の背後に参道やその両脇の堀、旧本殿などの跡を見ることができます。また、八幡山の中腹や山麓には、神社を囲むように十数基の古墳が点在しています。この古墳群は、鳥居町古墳群と呼ばれる物で、いずれも横穴式石室を有する7世紀後半から8世紀にかけての円墳です。本殿左手裏に見ることができる古墳は、鳥居町3号墳、4号墳です。
「高畠町教育委員会」