前回は猫神社でしたが、今回は犬神社。その名も「犬の宮」という。
場所は、前回ご紹介した「猫の宮」の直ぐ傍です。今回はまず写真から。
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最初、ここが「猫の宮」だと思って、参道を登っていったのですが、犬でがっかり。
猫好きの管理人にとって、犬の宮の紹介は力が入りませんが、簡単にご紹介します。
場所は、「猫の宮」から150m位の近場にあります。
「猫の宮」との大きな違いは、「犬の宮」には立派な参道があることと社が大きいこと。犬に負けて悔しいです。さらに、「猫の宮」はリンゴ園の直ぐ脇の平地に建っていますが、「犬の宮」は山腹にあること。
実は、この参道が趣があって素晴らしい。写真をご覧下さい。とても美しく、気持ちの良い参道です。
「猫の宮」と交換したい!
なぜ、犬を祀る社があるのでしょうか。
それでは、「猫の宮」の時と同じように、「犬の宮」の由来を案内板を基にご紹介します。
【犬の宮由来記】
昔(和銅年間の頃)、この高安村は毎年春秋の二回、都の役人に人年貢を差し出すことになっており、村人が難渋していました。
ある時、道に迷った旅の座頭が一夜の宿を乞い、村人からこの不思議な年貢取り立ての話を聞きました。座頭は、「何物かの仕業に違いない」と推察し、村人に悪魔退散の策を授けた後、村を去っていきました。
村人たちは早速、年貢の取り立てに来た役人たちを酒席に招き、頃合いをみて甲斐の国から借りてきた三毛犬、四毛犬の二頭の犬を放ちました。二頭の犬と役人とで大乱闘となりました。騒ぎが収まり、倒されていたのは、役人ではなく二匹の大狸と多数の荒狸でした。傷ついた二頭の犬はその怪我がもとでまもなく死んでしまいました。
この村の大難を救ってくれた二匹の犬を村の鎮守とせよ、との座頭のお告げにより、崇め祀ったところ、この里は難産もなく生まれる子供は無難に育ち村が栄えたという。
また、この地に生息していた髙安犬(コウヤスイヌ)は強い耐久力と激しい闘魂を持つ優秀な狩猟犬(マタギイヌ)として有名になっています。
前回の記事をご覧の方はお気づきかと思いますが、再び「和銅」という年号が出てきました。
「猫の宮」と「犬の宮」の言い伝えの内容は全く異なるものですが、年代が同じというのは納得できません。どちらか、あるいは両者とも違っているのではないかと思います。
それにしても、この地域の方々は、長年、「猫の宮」と「犬の宮」という二つの宮を守ってきたわけで、すごいことだと思いました。もし、言い伝えが真実であるならば、1300年もの長きにわたりこの二つの宮を守ってきたことになります。いくらなんでも、それはない。いつかの時点で伝承の遡りが起きたのでしょう。歴史を古くすることで権威付けする必要に迫られた時代があったのかも知れません。
その根拠は、樹齢1300年の樹木が周囲にないからです。「猫の宮」の直ぐ近くに樹齢1000年の木がありますが、300年ほど足りない。社を守って、周辺の樹木は切ってしまったとは考えられません。
ネコ師の推測では、江戸時代に起源を持つのではないかと思います。特に根拠はありませんが。