ギザにある三つのピラミッドは全て、四つの面が正確に東西南北を向いています。
積まれている石のサイズは、思ったほど大きいものはなく、せいぜい1m~1.5m程度です。50cm程度の石材もかなり使われています。
日本の城壁の石垣に使われている石の方がはるかに大きいです。たとえば、大阪城の石垣に使われている巨石は、桜門枡形の蛸石(5.5mx11.7mx0.9m)で、推定重量は130トン。瀬戸内海の備前犬島(現岡山市)から運ばれたとされています。
クフ王のピラミッドの注目すべき点は、基礎部分にあります。
クフ王のピラミッドは黄金比やパイ(π)など、数学的に計算されて作られており、その精度は驚くほど高いとものの本には書かれています。
しかし、現地で見ると、当然、基礎の部分はでこぼこ。とてもセンチ単位で計測できるものではありません。測る位置により値が違います。Wikipediaでは、底辺の長さが230.37mとしています。この数値は、誰がどのような方法で測量し、測量誤差はいくらなのかがわからないと、センチ単位の信憑性に疑問を感じます。
ピラミッドの石は、写真を見れば分かるように、不揃いで、石と石の間もかなり空いています。インカの石組みとは違います。
下の写真は、クフ王のピラミッドの北西の角の部分を撮影したものです。
どこまでが基礎の部分なのかさっぱり分かりません。
同じ位置からのアップ写真です。
下の写真の遺跡は、確か南側に面した所にあったと思います。修復したものでしょうが。
ピラミッドの西側です。入り口のある東側の反対側に位置する部分です。
右手に見える建物は、この西側で発掘された「太陽の船」の博物館になっています。
博物館に入るには、布製の靴カバーを付けます。
中には、この直ぐそばで発掘された「太陽の船」が展示されています。
博物館付近のアップ写真です。
このそばの石組みの状況です。西側の石積みの石は、東側に比べて小さいように感じました。
この付近の石積みです。やはり東側に比べてかなり小さいです。70cm~80cm程度の大きさです。
近くで見上げるとこんな感じです。まさに、「岩山」です。
さて、いよいよ謎解き編です。
下の写真は東側で撮影した写真です。石材の高さは150cm程度あります。先ほどの西側の石組みは100cm以下です。
この違いは何なのでしょう? 同じ層にもかかわらず、使われている石材のサイズ(高さ)が大きく異なります。
各段が水平になるように石を積んでいかなければ、偏圧がかかり、ピラミッドは崩壊します。東側と西側とで石材のサイズが違うというのはとてもおかしなことです。これでは格段が水平になりません。石材の大きさで基礎の高低差を調整したということでしょうか。
しかし、基礎は水平だったはずです。基礎となる部分に小さな溝を掘り、そこに水を流して、水平であることを確認します。これだけの大工事をするのに、基礎を水平にするのは、作業性の面からも、構造上の面からも重要です。しかし、現実には石材のサイズに大きな違いがあります。誰も指摘しない大きな謎です。
前回の記事で、盗掘者マムーンが、なぜ、東側から入ったのか不思議だったのですが、その理由は、使われている石材の大きさと太陽信仰が関係しているように思います。
東側に入り口を作ると、朝日が入り口と通路を奥深くまで照らします。
東側の石材のサイズが大きい理由は、入り口や通路部分の空間を造ることにより不足する支持力を大きな石材を使うことで補ったためではないでしょうか。
もしそうであるならば、ピラミッドの外側の石材のサイズの変化で、内部の空洞(通路)の有無を知ることができると思います。計算され尽くしたピラミッドの建造において、ピラミッドの東側と西側に使われている石材のサイズが全く異なるという事実は、ピラミッド設計者が意図して行ったことであると考えるのが妥当だと思います。
積まれている石材のサイズに着目した研究は聞いたことがありません。ご専門の方が、この視点から研究されることを期待しています。
次回は、残りの二つのピラミッドをご紹介します。
追記
ところで、最後の写真に写っている素敵な男性は誰でしょう?
・・・、なんと、ネコ師。
足が長い! カメラの写りのせいです。
腹が出ている! 気のせいです(汗)。
とってもハンサム!? その通りです(笑)。
このブログで二度目の登場です。Photoshopで消そうかと思ったのですが、めんどくさいので顔だけモザイクを入れました。なお、一度目の登場はクラサオ(キュラソー)の記事でした。