十年以上前、中国に行った時のこと。季節は1月でとても寒い頃でした。
北京で、日本食レストランに行き、お寿司を食べました。
その帰り道のこと。道ばたで、小さな子供を抱えた乞食の女性が物乞いに来ました。
中国に乞食がいるの? と、少し驚きましたが、当時の金額で5千円くらいの「元」を渡したと思います。
中南米の物乞いには何もあげないことにしているネコ師ですが、北京の物乞いは、生死がかかっているという切迫感がありました。
南国では、年中、何らかのフルーツがあるので、簡単には餓死しないように思いますが、北京の1月はとても寒く、簡単に凍死してしまいそうです。その時、物乞いの女性が抱えていた子供は、ネコ師の子供と同じくらいの年齢だったので、財布のヒモがゆるんだ・・、のかも。
さて、翌日は、飛行機で、北京の南に位置する安徽省に向かいました。
国内便の乗り方が複雑で、旅行慣れしているネコ師でも一人の旅行は無理という感じでした(今の中国の国内線事情は分かりませんが)。
安徽省の空港から、省都の合肥市に向かう自動車の中でお腹の具合が悪くなり、合肥に着いてトイレに駆け込みました。前日のお寿司にあたったようです。
かなりひどい下痢になり、病院に行ったら、風邪だと言われました。「おいおい、この症状のどこが風邪なんだよ。明らかに食中毒だろう!」、と思いながらも、中国人の仙人のような経験のありそうな老医師の診断に従いました。
病院で処方された薬は、アンプルに入っているものでした。小さなガラス製の容器に密封された注射薬です。それを6本処方されました。
ネコ師 「これって、注射するやつだよね。飲んでもいいの」
看護師曰く、注射も飲むのも同じなのだとか。
そんなはずないとは思いながらも、ホテルに戻ってから、このアンプルを飲むことに。
ところが、アンプルを開けることができない。通常は、ガラス切りが付いていて、それで傷をつけて、「パキッ」と折って開けるか、もともと、アンプルに傷が付けられていて、簡単に開けられるはず。
ところが、ガラス切りも付いていないし、アンプルにも傷がない。手で割ろうとしてもびくともしない。
ガラスの破片でけがをしないように、バスルームにあったタオルに包み、思いっきり力を入れてアンプルを割ろうとしたのですが、全く割れない。他の5本も試したのですが、同じでした。
腹痛は周期的に激痛として襲ってくるので、何とか薬を飲まなければ、と思っても、アンプルが割れない。
そこで、ネコ師の採った最終手段はというと・・・・。
アンプルをタオルに包み、手をけがしないようにした上で、バスルームの入り口の角にアンプルをたたきつけ割ることにしました。
これで、アンプルは割れました。しかし、その割れ方は、「パキッ」と割った時のような普通の割れ方ではなく、アンプルの途中から無残に割れているという状態でした。
さすがに、この状態で飲むわけにはいかず、一旦、コップに移し、上澄み部分だけを飲むことにしました。当然、ガラス片が混入しています。
このアンプルが効いたのか、3本飲んだら、腹痛が治まり、眠ることができました。
この時の腹痛はすさまじく、死ぬかと思いました(この後のシリーズで、もっと死にそうになります)。この経験は、ワースト5にランキングされます。とても心細く、悲惨な経験でした。
翌日は、ホテルでおとなしく養生することにしました。
合肥は巨大な都市で、その周辺のどんな田舎に行っても、道路には、人や自転車がひっきりなしに
通っているという感じでした。
田舎に行くと、山は全て農地になっています。余っている土地などなく、人口を養うのには土地が不足していると感じました。
チャン・ツーイーが出演している中国映画に出てくる荒涼とした大地ではなく、安徽省には水に恵まれた農地が広がっていました。
腹痛が治まったので、恐る恐る町に出てみました。合肥から少し離れた町です。
お土産屋さんがあり、亀の形をした硯を売っていたので買いました。
「あの硯、どこに行ったのでしょう?」 家に持ち帰ったのは確かですが、それ以降、見たことがありません。
海外で買ったお土産の末路はこんなもの?
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