今日は世界遺産の古都キトをご紹介します。
エクアドルの首都キトの旧市街は1978年に世界遺産(文化遺産)の第一号案件として登録されました。この年、エクアドル領ガラパゴス諸島も世界遺産に登録されています。
エクアドルの首都キトは、インカ時代にスクコに次ぐ第2の都市でした。
スペイン人侵略者ピサロがペルーに到着した当時、インカ帝国は、首都クスコにインカ皇帝ワスカルが、第2の首都キトにはワスカルの弟のアタワルパがおり、インカ帝国の北部を治めていました。
ネコ師がキトに着いた時、町の大きさに少し驚きました。ボリビアにはこれほど大きく、これほど洗練されている都市はないと感じました。とてもきれいな町です。
スペイン人によるキトの建設は1534年8月28日。サン・フランシスコ・デ・キトと名付けられました。1538年に建設されたチャルカス(現スクレ市)よりも4年早いことになります。
一方、キトにアウディエンシアが設置されたのが1563年。現スクレのチャルカス・アウディエンシアの設置はこれより4年早く1559年9月4日です。
なんでこんな歴史のことを書くかというと、スクレと比べてキトの建物群があまりにも大きく、不思議だからです。ペルー副王のいたリマでさえ、これほどではありません。旧市街の古い建物群のスケールの大きさに圧倒されました。
一時、南米大陸の半分を所管し絶大な権限を持っていたチャルカス・アウディエンシアのあるスクレの町の大きさや建物群と比較し、それをはるかに凌ぐキトのスケールの大きさには驚かされました。
教会などの建物もゴシック様式の建築で、スクレでは見られないものです。建物があまりにも大きいので、イギリスの植民地かと思ったくらいです。インドにはイギリス植民時代の巨大な建物がたくさんあったので。
結論から書けば、キトの建物群はスクレの建物と比べて新しいもののようです。サン・フランシスコ教会・修道院などは、3回建て替えられています。
キトで一番見たかったのがホセ・アントニオ・デ・スクレの住んでいた家。旧市街のど真ん中にあるのですが、観光コースとしては意外に知られていないようです。ドライバーに聞いたら知らないと言っていました。
本サイトのスクレ将軍の記事をご覧になれば、この家を訪問したかった理由が分かると思います。
キト旧市街の地図
クリックすると別画面で拡大表示できます。
0 La Basilica del Voto Nacional
1 Monasterio San Juan
2 Plaza e Iglesia San Blas
3 Iglesia Santa Bárbara
4 Monasterio Carmen Bajo
5 Plaza y Teatro Sucre
6 Casa Cadisan
7 Hotel Patio Andaluz
8 Iglesia La Merced
9 Iglesia y Monasterio de la Concepción
10 Antiguo Hotel Majestic
11 Pasaje Arzobispal
12 Empresa del Centro Histórico
13 Plazoleta La Marín
14 Palacio de Carondelet o Palacio de Gobierno
15 Plaza Grande y Monumento a la Independencia
16 Pasaje Espejo CC
17 La Catedral Metropolitana de Quito
18 Pasaje Baca CC
19 Monasterio Santa Catalina
20 Centro Cultural Metropolitano
21 Iglesia de la Compañía de Jesús
22 Plaza y Conjunto San Francisco
23 Pasaje La Manzana CC
24 Plaza y Convento de Santo Domingo
25 Iglesia San Roque
26 Capilla del Robo
27 Monasterio Santa Clara
28 Museo de la Ciudad
スクレ将軍の家博物館(Museo Casa de Sucre)
いきなりですが、ボリビアの初代大統領スクレの住んでいた家をご紹介します。
スクレが妻マリアナと新婚時代を過ごした家です。そして、スクレの愛娘テレサが落ちて亡くなったベランダもあります。
博物館はメイン通りの角にあります。
博物館の正面玄関
ボリビア大統領を辞職したスクレは、辞職前に結婚の手続きをしただけで6年間も会っていない妻マリアナの待つキトに向かいます。そして、妻の実家に居候します。・・・、と思っていたのですが、違いました。スクレはマリアナの父からこの家を買い上げています。
スクレの住んでいた家ということでワクワクしながら訪れました。
ところが大問題が発生! 一眼レフ・カメラの電池がない! というわけで写真がありません(嘘です)。 博物館に入って直ぐにカメラの充電を開始。充電中のカメラは同行したガイドに見張っていてもらい、館内のガイドとともに見学することにしました。写真は別のデジカメで撮影することにしました。
ところがまたまた問題発生。博物館内は撮影禁止。撮影が許されるのは中庭などのオープンスペースだけだそうです。「なんで?」とガイドに聞いたら、「ここの展示物は全てオリジナルであり、文化遺産を守るため法律で撮影禁止になっている」との返事。フラッシュを焚くと対象物の劣化を早めるからフラッシュ禁止というのなら分かるのですが、納得がいかない!
入り口で入場料を支払い、館内のガイドの案内で右手の陳列室へ。ここにはスクレ、ボリーバルをはじめとする多くの肖像画が掲げられています。中でも注目されるのがスクレとボリーバルの直筆の書簡。二人とも達筆です。ここは撮影禁止でガイドのお嬢さんが目を光らせているので写真はありません。
次に、台所に案内してくれました。
台所に隣接する食堂です。
食事中は無言で食事をとり、食べ終わってから奥に見えるソファーで笑談したのだそうです。これはどこの習慣なのでしょうか。ヨーロッパのどこかの国の習慣なのでしょう。
食堂の食器棚。大きなワイングラスがスクレ用で小さなグラスがマリアナ用だそうです。
スクレの寝室。ベッド脇の長持ちは現代の旅行カバンで、旅行する時にはこれに荷物を詰めて持ち歩いたそうです。一人で持ち運ぶのはとても無理です。召使いも同行したと言うことでしょう。
広間。3つのテーブルがあり、それぞれ調度品が赤、黄、青に色分けされています。色により、スクレの作戦会議用、マリアナの友達との談笑用、と使い分けられていたようです。
スクレの一人娘テレサが落ちた中庭。
大きな家です。お金持ちは違うなぁ、という感じです。マリアナの父親はスペイン植民地有数の資産家でした。キト市内にもたくさんの家を持っていたのでしょう。
ここまで書いて力尽きたので、この記事は書きかけと言うことで今日はおしまい。