サンフランシスコ教会:Iglesia de San Francisco
古都スクレは古い町なので、教会について書くのはかなり難しい面があります。ネット上にある情報は混沌としていて、実はよく分からない部分があります。
当時チャルカスと呼ばれていた現スクレの地にスペイン人征服者がやってきて町を築いたのは1538年のことでした。最初にスペイン人達は粗末な礼拝堂を造りました。その場所は、現在ラ・レコレタ修道院のある小高い丘の上でした。当時、わき水があったのはこの場所だけだったそうです。現在、スクレの中心となっている中央広場(5月25日広場:Plaza 25 de mayo)は、ここから300m位離れており、80m位低い場所にあります。
この礼拝堂を整備したり造り直したりしてサンフランシスコ修道院と呼ばれるものができたようです。1540年のことです。
この修道院の近くにサンフランシスコ教会が建設されます。ところで、現在のサンフランシスコ教会は、中央広場の近くにあるので、いつの時点か分かりませんが移転したようです。
現在のサンフランシスコ教会やラ・レコレタ修道院は、1809年から1825年まで、軍に収用され、軍の施設として使われました。
スクレで最も古教会は1538年に建てられたサン・ラサロ教会です。この教会は、ラ・レコレタ修道院から少し下った所に造られました。二番目に古のが、1581年に建てられたルネッサンス様式のサンフランシスコ教会です。2 つの鐘楼を持つ美しい教会です。
1540年にサンフランシスコ修道院の建設が始まり、その後、教会が造られていったようです。1577年に再開した教会の建設には建築家フアン・デ・バジェホ(Juan de Vallejo)が雇われ、1580年に教会の主要部分がほぼ完成しました。その時から、様々な拡張工事が始まります。中央礼拝堂は1595年にFrancisco de Hinojosaのからの千ペソの寄付金を用いて豪華に改装されました。教会の内部は、細密に彫刻された、金箔で覆われた祭壇と祭壇画が掲げられています。
この教会の最初の目的は、ラプラタの子供達や住民にキリスト教の教義の基礎を教えることでした。
その後、修道院の建設を進め、寺院を拡張していきます。
セドロの木を用いたムデハル様式の豪華な羽目板があります。
教会の地下には、ラプラタの建設に携わったスペイン人征服者たちの遺骨が残されています。
また、この教会は歴史のモニュメントとしても知られています。教会には入り口の両側に二つの鐘楼がありますが、この塔の鐘が、1809年5月25日に勃発した南米最初の「自由の叫び」と呼ばれる革命を住民に知らせるのに使われました。
教会入口の前を飾る新古典派様式のアーチ状のアーケードは、アントニオ・ホセ・デ・スクレ大元帥の命令で愛国者マリアノ・スアレス・ポランコ(Mariano Suárez Polanco)の栄誉を称えるために造られたものです。彼は、フアナ・アスルドゥイ・デ・パディジャ(Juana Azurduy de Padilla)の率いる反乱部隊の従軍牧師でした。1809年5月25日に人々を呼び集めるために、サンフランシスコ教会の鐘が鳴らされました。この鐘を壊れるまで鳴らし続けたのが彼でした。
毎年、5月25日、「アメリカ自由化の火花」を称え、この鐘が鳴らされます。
いよいよ写真をアップします。世界遺産スクレの写真と言えば、必ず出てくる光景です。スクレ市内の中でもここは、良い撮影スポットだと思います。
関連市内地図
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【参考URL】
http://www.boliviatravelsite.com/attractions.php?attraction=Churches%20in%20Sucre
http://bicentenariosucre.blogspot.com/2009/03/la-campana-de-la-libertad.html
http://www.monografias.com/trabajos36/museos-quito/museos-quito2.shtml