2010年10月12日

プレ・インカ時代の岩絵 プーマ・マチャイ:Google Earth対応

 今日は、プーマ・マチャイ(PUMA MACHAY)洞窟です。

 まず、この記事のタイトルの『プレ・インカ』についてご説明します。

 プレ・インカとは、インカ帝国以前のアンデス文明の諸文化のことを指します。ナスカの地上絵や、クスコにある古代の石組みもこのプレ・インカに属します。この基準となるインカ帝国の起源は、その前身となるクスコ王国が13世紀に成立したと考えられていることから、それ以前ということになります。何ともおおざっぱなくくり方です。同じく13世紀に成立した鎌倉幕府(実際は12世紀末1185年ですが)以前と言っているようなものです。

 この言葉が示すとおり、文字を持たなかったとされる南米の文明の研究は遅れており、エジプトのような明確な時代区分ができない状態のようです。

 このPuma Pachay遺跡は小さな自然の洞窟で、INKA MACHAY遺跡の近くにあります。

INKA MACHAY よりさらに約150m登った所にありますが、INKA MACHAYより上は景色が一変し、巨大な奇岩が多く見られます。

 ここの標高は、(私の時計では)3,410m(公式資料では、3,580m)。スクレ市役所が観光客用に遊歩道(?)を造っているのですが、非常に険しい地形の関係で道幅20cmの所もあり、その下は奈落の谷底。なかなかスリリングです。

Pumamachay1.jpg


Pumamachay2.jpg


 以前は、このような記事を書くたびに、現地の状態を伝えることのできないもどかしさを感じていたのですが、今は、『Google Earth』というツールがあり、座標さえ分かれば、すぐにその地形を確認することができる時代になりました。座標は、本記事の最後にあります。『Google Earth』の使い方は、なんでも保管庫にアップしていますので、ご活用下さい。このブログを2倍楽しむことができます。


 洞窟の入り口は、幅4.78m、高さは2.5m。

 入り口には鉄格子の扉が付けられています。これは、どこかの不届きものが、この洞窟の貴重な壁画を削り取って持ち去ったことから取り付けられたものだそうです。下の画像は、岩絵を模写したものですが、右側の大きな拡大図のあるものが失われてしまいました。

Pintura_Inca3.jpg


Pumamachay3.jpg


 洞窟内部は、幅1.5m、高さ10m、奥行きが12.41mです。(注:スペイン語の文献を訳すとこんな表現になります。有効数値の考え方を知りません。)

 写真の男性は、この遺跡の管理人です。スクレ市役所に雇われています。毎日、集落からこの遺跡まで登ってくるのだそうです。その高低差、なんと500mです。毎日が登山です。月給は、1,400Bs(200ドル弱)だそうで、この国としては、それなりの額です。

Pumamachay4.jpg


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 プーマ・マチャイは、1973年にEDMUNDO SALINASと同行したトゥンペカ集落(Comunidad de Tumpeka)の住民フアン・プーマ(JUAN PUMA)によって発見されました。この遺跡の名前は、この発見者の住民の名字から付けられました。EDMUNDO SALINASは、この遺跡に関して2つの論文を発表しています(1987、2000)。2002年には、V. Mendozaが16の岩絵の存在を確認し記録しています。この岩絵は全て黒一色で描かれており、洞窟に入って右側の壁に見ることができます。左側の壁にも何らかの岩絵が描かれていたようですが、洞窟の天井部分に穴が開いており、そこから入り込む雨水がこれらを浸食し、今では確認することができません。

 下の写真は天井を見上げたアングルです。
Pumamachay8.jpg


 案内してくれたTumpeka集落の代表です。なかなかかっこいいお兄さんでした。このアングルが気に入っています。

Pumamachay10.jpg


 この遺跡からしばらく歩いた所で上を見上げると何やら立派な建物が見えます。これは博物館だそうです。まだ、開館していません。この博物館のある所は、平坦な地形なのですが、道路がありません。建設資材は、人間が肩に担いで運んだのだそうです。その距離2Km。日本人なら歩くだけでへこたれてしまいます。何しろ標高は3,500m以上あります。

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 ここの道幅は20cm程度です。
Pumamachay11.jpg


 SALINASによれば、この遺跡の岩絵は、少なくとも1000年以上前のものだそうです。

(さらなる情報は、文献を読んでから、この記事に追記します)


Pumamachay12.jpg


Pumamachay14.jpg


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 このような遺跡を見るたびに、「何でこんな辺鄙な場所に住んでいたんだろう」と考えてしまいます。
 普通は、生活に便利な、平坦地で、水辺に住みそうなものです。しかし、ここに住んでいた人たちは、標高3800mの高地で、しかも、平地はほとんどなく、水源からもかなり遠いという不利な条件を問題にしなかった。

 なぜか。

 たぶん、敵からの襲撃を避けるために、こんな不便な場所に住んだのでしょう。

Pumamachay19.jpg


 この荒々しい景観がとても気に入りました。

Pumamachay20.jpg


 同行者が別ルートで登ったのですが、さすがは現地の人です。あっという間に合流できました。

Pumamachay21.jpg


Pumamachay22.jpg


 Inka MachayとPuma Machayとの分かれ道にある道しるべ。左に行くとPuma Machayに、下るとInka Machay遺跡です。

Pumamachay23.jpg



【Google Earth用緯度経度】


 以下の緯度経度をGoogle Earthにコピーペすると、この遺跡の正確な場所が表示されます。

 Inka Machay 18°57′21.30″ S 65°25′31.10″W

 Puma Machay 18°57′21.90″ S 65°25′26.60″W


 Google Earthでは、下の画像のように3Dで現地を見ることができます。
 Google Earthの使い方は「なんでも保管庫」に書きましたので、そちらをご覧下さい。

InkaMachay_PumaMachay.jpg




 参考文献
 "El Parque Arqueológico de Incamachay - Pumamachay, Una guía para Visitantes", SIARB, La Paz, 2004
posted by ネコ師 at 01:00| Comment(0) | 世界遺産 スクレ市 | 更新情報をチェックする
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