世界遺産ポトシの写真をアップします。いきなり写真集No.2かよ、と思われた方は、2009年8月13日の記事をご覧ください。写真を大量にアップしています。
ボリビアの有名なポトシ銀山は、1545年、インディオのDiego Huallpaが見つけました。
ちなみに、チュキサカ(現スクレ)がスペイン人征服者ピサロの手下のPedro Anzuares de Campo Redondoによって設立されたのは1538年で、ポトシ銀山の発見よりも7年も前のことです。
1538年にラ・プラタ(現スクレ)が設立されたという記述(西語でも同様)が非常にたくさんありますが間違いだと思います。ポトシの銀で栄えたからこそラ・プラタ(銀の町)と名付けられたと思います。
このお話は、次回に。
1555年、メキシコで水銀アマルガム法という精錬法が発明され、銀の産出量が飛躍的に増大します。
1569年、悪名高いペルー副王フランシスコ・デ・トレドの統治が始まります。さんざんインディオを虐めた副王です。
1572年、副王トレドは水銀アマルガム法を導入して、銀の生産量を上げます(詳細は、前回の記事をご覧ください)。
1574年のポトシの人口は、120,000人との記録が残されています。その後のことは前回の記事をご覧ください。
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世界遺産ポトシの記事は、どうも力が入りません。インディオの悲惨な歴史と、少数の大富豪の鉱山主のことがいつも頭をよぎります。
以前の記事で書きました、慈善事業を行いローマ法王から公国の称号を与えられた「世界遺産スクレのプリンスとプリンセスのお城『ラ・グロリエタ城(Castillo de la Glorieta)』」も、ポトシ銀山の鉱山主として巨万の富を築いたから造れたものです。
実は、ポトシは歴史的にもスクレ以上にいろいろ面白いところなのですが、・・・、どうも馴染めません。時間があったら、また、いろいろ調べてみたいと思っています。
次回もポトシの写真集です。






