世界を二分といっても両国が勝手に決めた線引きですが、両国にとって日本はどちらの国の領有下にあったのでしょう?
1494年にスペインとポルトガルの新大陸における領有範囲を決めた、『トリテアス条約』は有名です。これは西経46度37分で、スペインとポルトガルの植民地の権限を区分した条約です。
しかし、地球は丸いのです。その反対側の境界はどこなのでしょうか。
これは、1529年、サラゴサ条約によって線引きされています。その線がどこか分かりますか。
実は、日本の明石を通る東経135度付近です(46度-180度=134度)。つまり、スペインとポルトガルにとっての世界の領有区分によれば、東日本はスペイン、西日本はポルトガルの領有権下にあったのです。
以前の記事で書きましたフランシスコ(修道)会が東北を拠点に活動していたのも、スペインから派遣されたフランシスコ会と、ポルトガルから派遣されたドミニカ会が条約を守り、活動拠点を区分していたということに由来しています。
フランシスコ会は、その活発な活動が目に付き逮捕され、長崎での26名殉職(日本二十六聖人:1597年)という事態を招きます(この詳細については過去記事「スクレのモナステリオ・デ・ラ・レコレタ (Monasterio de la Recoleta) 修道院と展望台」をご参照ください。日本と世界遺産『スクレ』がつながります。
Wikipediaには以下のように書かれています。
「イエズス会の後に来日したフランシスコ会の活発な宣教活動が禁教令に対して挑発的であると考え、京都奉行の石田三成に命じて、京都に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じた。ちなみに、二十六聖人のうちフランシスコ会会員とされているのは、スペインのアルカンタラのペテロが改革を起こした「アルカンタラ派」の会員達であった。」(Wikipedia 「日本二十六聖人」)
修道会の会派はたくさんあり、日本語版ではごちゃ混ぜ。会派などどうでも良くて、「大きな流れの中では同一視して良い」と考える人が多いのでしょう。本当にそれでよいのかは分かりませんが。
この境界線のことを知っている日本人は何人いるのでしょうか。日本史でも世界史でも習わなかったように思います。
日本の歴史教育は、宗教面を極端に軽視しています。いや、避けている、という表現が正しいでしょう。世界最高の教育レベルでありながら、宗教、特にキリスト教、ローマ法王の果たした役割・影響を軽視しているため、日本人が海外に行っても、宗教遺跡の意味を理解できません。偉そうなことを言っていますが、これは私自身のことを言っています。
世界遺産『スクレ』の魅力を知るには、フランシスコ会という修道会がキーワードになるのではないかと思います。
一介のヴェネチアの商人の息子のコロンブスが、なぜ、スペイン女王の支援が得られたのでしょう。これには、フランシスコ会が関与しています。
マヤ文明の20万巻に及ぶ文書を焚書した『ディエゴ・デ・ランダ司教』って誰でしょう? 彼はフランシスコ会に属していました。
フランシスコ修道会って何なのか。興味が湧いてきましたでしょうか。
中南米の歴史的史跡・世界遺産、特に、スペイン侵略以降の史跡の持つ意味を理解するには、修道会の活動を知ることが重要ではないかと思います。
過去記事でも書きましたように、16、17世紀の世界と日本とボリビア・スクレは、つながっています。世界遺産の古都『スクレ』の魅力をご紹介するためには、スクレが世界遺産としてその価値を認められたコロニアル時代の建物群の持つ意味を簡単でも事前に知っておくことが必要かなぁ、と思います。
ネコ師が、『初めて知ったよ』というようなテーマを中心に、スクレの歴史に近づいていきたいと思います。