2016年09月19日
和宮の死因の謎が解けた! 死因は脚気ではなくコレラだった?
岩倉使節団とともに米国に渡った5人の女子留学生たち。その中でも吉益亮子に関心があり、いろいろ調べているのですが、遅々として進まずです。
図書館で当時の新聞を調べたのですが、吉益亮子の名前を見つけることはできませんでした。物故者欄などに載るかと思ったのですが、見つからない。
ところで、和宮の死因は、脚気による心不全とされています。でも、ネコ師は、これがどうも引っかかる。亡くなる前には激しい下痢に見舞われていたようです。下痢に伴う極度の脱水症状。そして、心不全。これってコレラの症状と同じです。そう。吉益亮子が亡くなったとされる病気です。
和宮が亡くなったのは明治10年9月2日のこと。この時に日本でコレラは発生していたのでしょうか。
なんと、19年ぶりに大発生していました。まさに、和宮が亡くなった明治10年9月に横浜で発生し、全国に広がったようですが、実は、その前月、8月に明治政府から注意喚起が出されています。
和宮の死因はコレラだった!
そう考えると、和宮の死にまつわる多くの謎が解けるように思います。
・なぜ、和宮の死から葬儀・埋葬までの記録がほとんど皆無なのか
・なぜ、和宮の葬儀に、篤姫はじめおもだった関係者は全て欠席し、代理を立てているのか
・なぜ、和宮の遺体は横を向いているのか
篤姫は、後年、和宮の終焉の地、箱根塔ノ沢の環翠楼を訪れ、涙していますが、彼女は和宮の葬儀に出席していないと言うことを誰も指摘していない! なぜ、出席しなかった? 篤姫だけではありません。本当に、要人はだれも出席していないのです。出席している要人は、役職に就いていて欠席するわけにはいかないという人たちだけ。仮にも江戸城無血開城の立役者である和宮の葬儀には、なにがなんでも出席する。それが当たり前です。それなのに・・・。とても奇妙な和宮の葬儀。
この謎が解けなかったのですが、やっと結論に至りました。
だから、隠す必要があった。
だから、記録がほとんど残されていない!
この謎は、「なんでも保管庫2」『明治時代の新聞報道から皇女和宮薨去の原因を読み解く』に追記していますので、一度読んだ方でもまた読んでみて下さい。
なかなか面白く仕上がっていると思います。
2016年09月18日
捕獲していた野良猫が脱走してしまいました!
地域猫を有志で捕獲して、我が家で家猫にすべく飼っていた2匹の猫のうち一匹が脱走してしまいました。
どうやら、二階のベランダから飛び降りたらしい。
庭にいるところをうちの奥さんが見つけたのですが、後の祭り。どこかへ行ってしまいました。
捕まえた地域猫は兄弟姉妹の雄と雌。このうち、メス猫が逃げてしまいました。
とても臆病な猫で、全くなつかない。夜になると、ベランダの手すりによじ登り、啼いていました。やはり、外が恋しかったようです。
何度か失敗した後、やっとのこと捕獲した猫だっただけに、取り逃がしてしまい悔しいです。でも、仕方がない。近所を探しているのですが、影も形もない。
なんとかエサを確保していればよいのですが・・・。
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