2013年09月28日
安久津八幡神社(山形県高畠町)
安久津八幡神社本殿
安久津八幡神社は、その長い歴史の中で、幾度となく火災に見舞われています。度重なる火災により宝物や記録は失われましたが、わずかに残る神社縁起書や棟札(むなふだ)等の記録から、明応9年(1500年)、建て尚宗により社殿が再検された記録を最古として、七度消失し、その度ごとに再建されてきました。現在、本殿は、寛保3年(1743年)に焼失した社殿を、米沢藩上杉氏9代重定のき 代、宝暦5年(1765年)に再建されたものです。
三間社流造(さんげんやしろながれづくり)、茅葺き、軒組は和様平三斗(わようひらみとと)といいます。棟の両端には鬼瓦があげられ、屋根が半円形に張り出す特異な形状をしています。本殿は、近世建築ながらその手法が優れ、江戸時代を代表する建物として、昭和30年県指定有形文化財に指定されました。
もともとの本殿は、現在地の北、八幡山の中腹に近いところにあり、現本殿の背後に参道やその両脇の堀、旧本殿などの跡を見ることができます。また、八幡山の中腹や山麓には、神社を囲むように十数基の古墳が点在しています。この古墳群は、鳥居町古墳群と呼ばれる物で、いずれも横穴式石室を有する7世紀後半から8世紀にかけての円墳です。本殿左手裏に見ることができる古墳は、鳥居町3号墳、4号墳です。
「高畠町教育委員会」
セサールは目を開けたまま眠る?
先日、獣医さんのところに予防接種のためにセサール君を連れて行きました。
そこで、突然、猫妻が獣医さんに突飛な質問を・・・・。
猫妻 「セサールは目を開けたまま寝ているのですが、大丈夫でしょうか」
獣医さん 「・・・・・(何言ってるんだろうこの人)・・・・・・(猫が目を開けたまま寝る分けねぇーだろう)・・・・(でも、そんなこと言うと上客を失ってしまう。商売、商売)・・・[ニコリ]・・・・」
という、獣医さんの長い心の声の後で微笑みがあり、・・・。
獣医さん 「大丈夫ですよ」
との診断。
家に帰ってから、本当に目を開けて寝ているのか観察することに。
すると、これは真実・・・、かどうかは分からないのですが、セサールが寝ているところをのぞき込むたびに、目をでっかく見開いているのは真実だと確認しました。生きてるの? と思ったら、目玉がぎょろりと動いた。生きている!
セサールは神経質なのか、人が近づくと目を見開く癖があるようです。アパート暮らしでストレスが溜まっているのかも。
2013年09月24日
珍しい「犬神社」に行ってきました
前回は猫神社でしたが、今回は犬神社。その名も「犬の宮」という。
場所は、前回ご紹介した「猫の宮」の直ぐ傍です。今回はまず写真から。
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最初、ここが「猫の宮」だと思って、参道を登っていったのですが、犬でがっかり。
猫好きの管理人にとって、犬の宮の紹介は力が入りませんが、簡単にご紹介します。
場所は、「猫の宮」から150m位の近場にあります。
「猫の宮」との大きな違いは、「犬の宮」には立派な参道があることと社が大きいこと。犬に負けて悔しいです。さらに、「猫の宮」はリンゴ園の直ぐ脇の平地に建っていますが、「犬の宮」は山腹にあること。
実は、この参道が趣があって素晴らしい。写真をご覧下さい。とても美しく、気持ちの良い参道です。
「猫の宮」と交換したい!
なぜ、犬を祀る社があるのでしょうか。
それでは、「猫の宮」の時と同じように、「犬の宮」の由来を案内板を基にご紹介します。
【犬の宮由来記】
昔(和銅年間の頃)、この高安村は毎年春秋の二回、都の役人に人年貢を差し出すことになっており、村人が難渋していました。
ある時、道に迷った旅の座頭が一夜の宿を乞い、村人からこの不思議な年貢取り立ての話を聞きました。座頭は、「何物かの仕業に違いない」と推察し、村人に悪魔退散の策を授けた後、村を去っていきました。
村人たちは早速、年貢の取り立てに来た役人たちを酒席に招き、頃合いをみて甲斐の国から借りてきた三毛犬、四毛犬の二頭の犬を放ちました。二頭の犬と役人とで大乱闘となりました。騒ぎが収まり、倒されていたのは、役人ではなく二匹の大狸と多数の荒狸でした。傷ついた二頭の犬はその怪我がもとでまもなく死んでしまいました。
この村の大難を救ってくれた二匹の犬を村の鎮守とせよ、との座頭のお告げにより、崇め祀ったところ、この里は難産もなく生まれる子供は無難に育ち村が栄えたという。
また、この地に生息していた髙安犬(コウヤスイヌ)は強い耐久力と激しい闘魂を持つ優秀な狩猟犬(マタギイヌ)として有名になっています。
前回の記事をご覧の方はお気づきかと思いますが、再び「和銅」という年号が出てきました。
「猫の宮」と「犬の宮」の言い伝えの内容は全く異なるものですが、年代が同じというのは納得できません。どちらか、あるいは両者とも違っているのではないかと思います。
それにしても、この地域の方々は、長年、「猫の宮」と「犬の宮」という二つの宮を守ってきたわけで、すごいことだと思いました。もし、言い伝えが真実であるならば、1300年もの長きにわたりこの二つの宮を守ってきたことになります。いくらなんでも、それはない。いつかの時点で伝承の遡りが起きたのでしょう。歴史を古くすることで権威付けする必要に迫られた時代があったのかも知れません。
その根拠は、樹齢1300年の樹木が周囲にないからです。「猫の宮」の直ぐ近くに樹齢1000年の木がありますが、300年ほど足りない。社を守って、周辺の樹木は切ってしまったとは考えられません。
ネコ師の推測では、江戸時代に起源を持つのではないかと思います。特に根拠はありませんが。
2013年09月23日
珍しい「猫神社」に行ってきました
猫を祀っている神社は国内にいくつかあるようですが、今日は、そのひとつに行ってきました。
猫好きにとって、「巡礼の社」です(笑)。
住所: 山形県東置賜郡高畠町高安277
座標: 37.993635,140.202803
この記事では「神社」と書いていますが、それは、入り口に鳥居があるから。下の方で出てきますが、この社は観音堂のようです。そもそも仏教由来の観音様を祀る社が神道の鳥居を持つ神社と言えるのかについてはよく分かりませんが、日本はおおらかな国なので、全国にこんな例はたくさんあるようです。
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正式には、「猫の宮」と呼ぶようです。
ネットで調べると関連記事はいくつかヒットするのですが、住所が書かれていないのでどこにあるのか分からない。
亀岡文殊の近くにあるらしいので、亀岡文殊まで行って、「猫の神社はどこですか」と神社の人に聞きました。すると、「ヤマザワの交差点を右に曲がって進み、注意していると看板が出ているので分かりますよ」との答え。言われたとおりに進むと、ありました。
もっと小さな「祠(ほこら)」をイメージしていたのですが、立派な社が建っています。
なぜ、このような社が建てられたのか興味の湧くところですが、近くの看板に「猫の宮由来記」というものがあったので読んでみました。なかなか面白いです。
【猫の宮由来記】(清松院縁起聞伝書による)
延暦年間の頃(和銅より約70年後)、この村に、信心深い庄屋夫婦がいました。
二人には子供がなく、丈夫な猫が授かるよう祈っていました。
ある夜、観音様が夢枕に立ち、「猫を与えるから大切に育てよ。さすれば村中安泰、養蚕が盛んになる」とお告げがありました。
授かった猫には「玉」と名付け、大変可愛がり丈夫に育てました。歳月が経つにつれ、不思議なことに、どこへ行くにも傍を離れず、何物かを狙うが如き睨み据える行動をとるようになりました。
その異常さに思いあまった主人は、ある日、隠し持った刃物で猫を切り捨てます。
ところが、切り捨てられた猫の首は天井に飛び、そこに隠れていた大蛇の首に噛みつき、大蛇を殺してしまいました。
大蛇は、昔、犬に退治された古狸の怨念の姿であり、猫は観音様の化身で、猫の行動は庄屋夫婦を守るための振る舞いだったのです。
村人は庄屋を救った「玉」をねんごろに葬り、観音堂を建て、その供養を行い、恩徳を偲び、これを「猫の宮」と呼びました。
以後、村人は猫を大切に育て、養蚕が盛んになり、安泰な生活が続いたそうです。
屋根のところに「猫の宮」の文字が見えます。
参拝者が持ってきた猫の写真がたくさん奉納されていました。
「猫の宮由来記」には「延暦年間の頃」とあったので、782年から806年頃のことのようです。
(和銅より約70年後)とも書かれています。和銅元年は708年なので、その70年後は778年。和銅は8年間しかなかったので、和銅8年(715年)の70年後は785年。つまり、大体、778年~785年頃の出来事のようです。何なんだ! 年代を特定できるという言い伝えの詳細さは!
養蚕が村の重要な産業だったことが分かります。しかし、奈良時代に養蚕はあったのかなぁ。
早速調べてみると、日本の養蚕は弥生時代に中国大陸から伝わったとされているらしい。魏志倭人伝にも養蚕のことが書かれている。また、聖徳太子が制定した十七条憲法に「春より秋に至るまでは農桑の節なり民を使うべからず。 」と記されています。かなり古い時代から日本各地で養蚕が行われていたようです。
「猫の宮由来記」を読んで、「あれっ?」と思ったことがあります。たぶん、皆さんも感じたのでは。
まず、子供のいない庄屋夫婦は、なぜ、「丈夫な猫が授かるよう祈っていた」のでしょうか。また、観音様は、庄屋夫婦に子供を授けるのではなく、猫を授けたのでしょうか。普通、子供のいない夫婦は、子供が授かるようお祈りし、観音様はその願いをかなえてあげました、というのが民話の世界かと思うのですが。
ネコ師 「きっと、この庄屋夫妻は子供嫌いだったんだよ。」
猫妻 「猫って、そこら中にいたんじゃないの」
ネコ師 「当時は猫は貴重だったと思うよ。子供はそこらじゅうにいても、猫は珍しかったんじゃないかなぁ」
猫妻 「でも、なんで猫なんだろう?」
ネコ師 「当時、養蚕は村にとって大切な産業だったんだ。でも、せっかく紡いだ生糸を鼠がかじって台無しにしてしまう。だから、庄屋夫婦は子供ではなく、当時貴重だった鼠を捕る猫が授かるようにお祈りしたんだよ。奈良時代ごろに、経典などの大事な書物をネズミから守る益獣として、中国から輸入された事が、日本猫の始まりと言う説があるようだし。」
猫妻 「ちょっと話が飛躍しすぎでは?」
ネコ師 「次の疑問は、なぜ、「玉」と名づけたのか」
猫妻 「だんだんどうでも良くなってきたんだけど」
ネコ師 「猫の名前が「タマ」と付けられているのは、「宝玉」を表すからなんだ。それだけ猫が貴重な存在だったと言うことだよ。」
猫妻 「もしそうなら、日本中にもっと「猫の宮」があっても良さそうじゃない。どうして猫を祀る神社は少ないの」
ネコ師 「・・・・」(答えられない質問には狸寝入りをする。)
【追記】
高畠町出身の方とたまたま飲む機会があったので、猫の宮のことを聴いてみました。
すると、・・・、面白い話を聴くことができました。
彼によれば、猫の宮が今のような立派な社を持つようになったのはそれほど古くはなく、彼が子供の頃には小さな祠があるだけだったそうです。そして、猫が死ぬと、その祠の辺りに猫の亡骸を捨てに行ったとか。
ところで、この「猫の宮」の直ぐ近くに「犬の宮」があります。次回は、この「犬の宮」の記事を書きます。
2013年09月22日
トリミング後の猫の毛の伸び方
5月の初めにトリミングしたセサール君。その時の写真があったのでアップします。
下は、トリミングして直ぐの写真です。
すっかり白猫になっています。セサールだと分かるのは顔と尻尾だけ。新しい猫を飼ったのですか、と近所の人に言われたのも頷けます。
次は、8月末に撮影した写真です。だいぶ毛が伸びてきました。でも、4ヶ月近くたっているのに、まだ毛が短い。見た目は以前のセサールに似ていますが、まだまだ毛が足りない。
今は、かなり長くなってきました。冬の準備も万端です。
MIX洋猫と世界遺産ランキングに参加しています。
このバナーは「セサールの酔猫バナー」という名前です。
この酔っぱらいのような猫のことをもっと知りたい方は
猫カテゴリーからご覧下さい。
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