2013年01月14日
八点鍾
先日、書店で面白そうな本を見つけたので購入しました。
何の本かというと、『図解 江戸の暮らしを支えた先人の知恵! 日本の暦と和算』(中村士監修、青春出版社)という暦(こよみ)の本。
去年公開された映画『天地明察』に惹かれて、暦関係の本を買ってしまった。映画は見ていないのに。
監修者の中村士(なかむら つこう)という方は、国立天文台を定年退官後、帝京平成大学教授になられたようです。
今日は、この本をご紹介するのではなく、「八点鍾」について書きたいと思います。
この本で初めて知ったことがたくさんあったのですが、そのなかでも、「時刻の変遷」の項が印象に残りました。この本では、時刻について次のようなことが書かれています。
日本の時刻が24時間表示となったのは明治6年の改暦後から。記録によれば、奈良時代の671年に漏刻(ろうこく)という水時計で時刻を刻むようになったというのが、最古の記録だとか。
江戸時代にテーマをおいた落語の「時そば」や時代劇を見ていると、一辰刻(いっとき)、暮れ六(くれむつ)、丑三つ時などの時刻を表す言葉が良く出てきます。
これは、一日を12等分し、つまり、二時間毎に干支で表したということは誰でも知っています。ところが、この時刻制度が用いられたのは、平安時代のこと。「養老律令」の施行細則を集大成した古代法典である「延喜式」にこの詳細が記載されているそうです。
一辰刻を四等分して「刻(こく)」という単位で表し、一刻、二刻、三刻、四刻と呼ばれていました。一刻は30分となります。さらに、一刻を十等分して「分」という単位で表しました。昔の1分は現在の3分に相当することになります。この時刻は、鐘や太鼓を鳴らして知らせていたそうです。このように、一日24時間を正確に分割する方法を定時法といいます。
ところで、江戸の一般庶民は、鐘楼(しょうろう)と呼ばれる鐘の音で時刻を知ったそうです。これは「時の鐘(かね)」とも呼ばれました。庶民は時計を持っているわけではなく、彼らの時刻についての基本は、日の出と日の入り。そこで、昼を六等分、夜を六等分する不定時法が用いられました。
そして、鐘楼を鳴らす回数は、十二支の子(ね)が九つ、丑(うし)が八つ、寅(とら)が七つ、卯(う)が六つ、辰(たつ)が五つ、巳(み)が四つ。ここで戻り、午(うま)が九つ、未(ひつじ)が八つ、申(さる)が七つ、酉(とり)が六つ、戌(いぬ)が五つ、亥(い)が四つ。
子の刻は、午後11時から午前1時の二時間。丑三つ時は、午前二時半頃になる。
明け六ツと暮れ六ツという意味は、これでよく分かりました。時刻を知らせるために鐘楼は最低でも4回以上打ち鳴らされたということになります。鐘が3回だけ鳴らされるということはなかったということです。
エクセルで ↓ こんなの作ってみました。
さて、ここまで読んで頭をよぎったのが「八点鍾」という言葉。
小説のタイトルにもなっています。
『八点鐘(Les Huit Coups de L'Horloge)』 モーリス・ルブラン(Maurice Leblanc)
『八点鐘が鳴る時(When Eight Bells Toll)』 アリステア・マクリーン(Alistair Stuart MacLean)
モーリス・ルブランの『八点鍾』は、レニーヌ侯爵に扮したアルセーヌ・ルパンがオルタンス・ダニエルという26歳の人妻と一緒に旅をしながら八つのミステリアスな事件を解決し、彼女を籠絡していく、という、いかにもフランス国民が喜びそうなキーワード満載の小説です。この中で、最初のストーリーに登場する廃屋「アラングル屋敷の大時計が八時を打つまでに」、というのが一つの約束となっています。これが八点鍾。本のタイトルにもなっています。
もう一つのアリステア・マクリーンの『八点鐘が鳴る時』は、映画にもなったようです。昔読んだ本なのでストーリーはほとんど忘れましたが、一日の間に盛りだくさんの事件があり、まるでアメリカのテレビドラマ『24 -TWENTY FOUR-』と同じような印象があります。「24」ではデジタル時計が時を刻んでいきますが、『八点鐘が鳴る時』では、鐘が時を刻みます。この鐘は、船の時鍾(タイム・ベル)。30分毎にならされるようです。
「船の雑学」というホームページに次のように書かれています。
一点鍾 20:30 00:30 04:30 08:30 12:30 16:30 18:30
二点鍾 21:00 01:00 05:00 09:00 13:00 17:00 19:00
三点鍾 21:30 01:30 05:30 09:30 13:30 17:30 19:30
四点鍾 22:00 02:00 06:00 10:00 14:00 18:00 -
五点鍾 22:30 02:30 06:30 10:30 14:30 - -
六点鍾 23:00 03:00 07:00 11:00 15:00 - -
七点鍾 23:30 03:30 07:30 11:30 15:30 - -
八点鍾 24:00 04:00 08:00 12:00 16:00 - 20:00
「八点鍾」は、8時のことではないようです。
そのうち、この本をブックオフで探して、読み直してみたいと思います。
英語の「Eight Bells」と異なり、日本語の「八点鍾」という言葉には、美しい響きを感じます。
「『サヨナラ』ほど美しい別れの言葉を知らない」というアメリカ人で女性飛行家の草分け的存在として知られるアン・モロー・リンドバーグの言葉が知られていますが、私の記憶では「Goodbyは神に祈る言葉だがこの美しさはない」という文章がこの後ろに入ると思います。
リンドバーグという名前を見て思い描くのは、1927年、単座のプロペラ機でニューヨーク・パリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功したチャールズ・オーガスタス・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh)のこと。 アン・モロー・リンドバーグは、彼の奥さんです。
彼らの長男が誘拐され殺害された事件は日本でも有名なので知っている人も多いと思います。事件から3年後の1935年、日本への飛行の体験を書いた『翼よ、北に』という本で作家としてデビューしています。夫が有名な『翼よ、あれがパリの灯だ』を出版したのは1953年になってからのことです。
2013年01月12日
世界の暖かいお酒
今回は、一泊で盛岡に行ってきました。天気が良く、気持ちの良い日でした。
昨日の夜は、同僚と一杯やりました。二ヶ月前にも同じメンバーで盛岡に出張したので、今回は、別のお店で飲むことに。
つまみは定番の焼き鳥。ところが、ネコ師は、鶏肉が苦手なので、つつく程度。その代わり、大好きなホッケ焼きで、日本酒を堪能しました。
やはり、日本酒はいいなぁ。日本酒のない国には赴任したくない。
以前いたボリビアのスクレでは、日本酒の入手が難しいので、普段は常温のワインを飲んでいました。
ワインは美味しいのですが、寒いときは暖めて欲しい。
ところで、お酒を温めて飲む習慣を持つ国は限られているように思います。
日本酒は、冷や(常温)でも熱燗でも、さらに、冷やしても飲めますが、そんな飲み方をするお酒はあまりないようです。最初にボリビアに行った時は、冬で寒く、シンガニというブドウから造った蒸留酒をお湯割りで飲んでいました。ところが、現地の人は、そんな飲み方は絶対しない。バーでお湯割りを作ってもらう時も、一々説明しないと分かってもらえません。
ワインはホットでも飲むようです。名前は忘れましたが、ボリビアでもコロンビアでも飲みました。これは、ボトルごとお湯の中に入れて暖めるので、この方法を知らないバーで注文すると悲惨なことになります。ぬるいか熱すぎるということに。
本格的なホットなお酒は、トルコに行ったときに飲んだもの。
これは、たぶん、ラク(RAKI)というお酒で、アルコール度数45度のトルコのアニスというハーブ入りのスピリッツだったと思います。このお酒は、ボトルに入っているときには透明なのですが、水割りやお湯割りにすると白く濁るという不思議なお酒です。バルカン半島は寒いです。こんな時、このような暖かいお酒はうれしいです。
そういえば、紹興酒も暖めて飲みますね。中国に行ったときは、極寒の1月だったので、紹興酒の暖かさがうれしかった。・・・・、とはいいながら、その直前に大変な下痢をしたので、ほとんど飲めなかったのですが。中国の冬の寒さは半端じゃない!
緯度の低い熱帯や亜熱帯の国でも、標高が高いと寒い地域があります。ところが、このような地域では、お酒を温めて飲むという習慣はないように思います。
パラグアイにいたときに驚いたのは、電気も引かれていない田舎で、ギンギンに冷たいビールが出てきたこと。なぜ、こんなことができるかというと、プロパンガスを使った冷蔵庫があるため。電気を使わず、プロパンガスを燃焼させてビールを冷やす、というシステムに驚きました。
お酒の飲み方は、まさにその土地の文化という感じがします。
日本人が、寒い時期にどんなに暖かいお酒の飲み方を示しても、現地の人は絶対マネしません。これは、食文化の違いかも。日本人は、歴史的に見ても、新しいものに対して、かなりどん欲だと思います。ところが、外国では、このような傾向はあまり感じません。むしろ、かなり保守的、という感じを受けます。
また、日本の食材の種類の多さには、外国に行って初めて気づきます。グルメという最近のキーワードとは別に、古来から、日本人は何でも食べられるものは食べてきた証だと思います。それは、度重なる飢饉の時に得た経験かも知れません。
太平洋戦争の時、南東アジア諸国及び南西アジア諸国に展開していた日本陸軍は、兵站を絶たれ食料を調達できず、苦しむことになります。ところが、これらの地域は自然の食用植物資源が豊富で、それを知っていたのなら多くの餓死者を出さなくて済んだのではないかという記述を読んだことがあります。
日本人の食文化は、飢饉に大きく影響を受けているように思います。そして、とにかく食べることのできるものを、いかに美味しく食べることができるか、また、いかに入手困難な高価な食材に似せた調理ができるかに苦心してきたように思います。
日本酒の熱燗、焼酎・ウイスキーのお湯割りなど、その工夫の表れのように思います。
昨日の夜は、同僚と一杯やりました。二ヶ月前にも同じメンバーで盛岡に出張したので、今回は、別のお店で飲むことに。
つまみは定番の焼き鳥。ところが、ネコ師は、鶏肉が苦手なので、つつく程度。その代わり、大好きなホッケ焼きで、日本酒を堪能しました。
やはり、日本酒はいいなぁ。日本酒のない国には赴任したくない。
以前いたボリビアのスクレでは、日本酒の入手が難しいので、普段は常温のワインを飲んでいました。
ワインは美味しいのですが、寒いときは暖めて欲しい。
ところで、お酒を温めて飲む習慣を持つ国は限られているように思います。
日本酒は、冷や(常温)でも熱燗でも、さらに、冷やしても飲めますが、そんな飲み方をするお酒はあまりないようです。最初にボリビアに行った時は、冬で寒く、シンガニというブドウから造った蒸留酒をお湯割りで飲んでいました。ところが、現地の人は、そんな飲み方は絶対しない。バーでお湯割りを作ってもらう時も、一々説明しないと分かってもらえません。
ワインはホットでも飲むようです。名前は忘れましたが、ボリビアでもコロンビアでも飲みました。これは、ボトルごとお湯の中に入れて暖めるので、この方法を知らないバーで注文すると悲惨なことになります。ぬるいか熱すぎるということに。
本格的なホットなお酒は、トルコに行ったときに飲んだもの。
これは、たぶん、ラク(RAKI)というお酒で、アルコール度数45度のトルコのアニスというハーブ入りのスピリッツだったと思います。このお酒は、ボトルに入っているときには透明なのですが、水割りやお湯割りにすると白く濁るという不思議なお酒です。バルカン半島は寒いです。こんな時、このような暖かいお酒はうれしいです。
そういえば、紹興酒も暖めて飲みますね。中国に行ったときは、極寒の1月だったので、紹興酒の暖かさがうれしかった。・・・・、とはいいながら、その直前に大変な下痢をしたので、ほとんど飲めなかったのですが。中国の冬の寒さは半端じゃない!
緯度の低い熱帯や亜熱帯の国でも、標高が高いと寒い地域があります。ところが、このような地域では、お酒を温めて飲むという習慣はないように思います。
パラグアイにいたときに驚いたのは、電気も引かれていない田舎で、ギンギンに冷たいビールが出てきたこと。なぜ、こんなことができるかというと、プロパンガスを使った冷蔵庫があるため。電気を使わず、プロパンガスを燃焼させてビールを冷やす、というシステムに驚きました。
お酒の飲み方は、まさにその土地の文化という感じがします。
日本人が、寒い時期にどんなに暖かいお酒の飲み方を示しても、現地の人は絶対マネしません。これは、食文化の違いかも。日本人は、歴史的に見ても、新しいものに対して、かなりどん欲だと思います。ところが、外国では、このような傾向はあまり感じません。むしろ、かなり保守的、という感じを受けます。
また、日本の食材の種類の多さには、外国に行って初めて気づきます。グルメという最近のキーワードとは別に、古来から、日本人は何でも食べられるものは食べてきた証だと思います。それは、度重なる飢饉の時に得た経験かも知れません。
太平洋戦争の時、南東アジア諸国及び南西アジア諸国に展開していた日本陸軍は、兵站を絶たれ食料を調達できず、苦しむことになります。ところが、これらの地域は自然の食用植物資源が豊富で、それを知っていたのなら多くの餓死者を出さなくて済んだのではないかという記述を読んだことがあります。
日本人の食文化は、飢饉に大きく影響を受けているように思います。そして、とにかく食べることのできるものを、いかに美味しく食べることができるか、また、いかに入手困難な高価な食材に似せた調理ができるかに苦心してきたように思います。
日本酒の熱燗、焼酎・ウイスキーのお湯割りなど、その工夫の表れのように思います。
芸ネコドラちゃんの子供の頃の動画
パラグアイ生まれの黒猫、ドラちゃんが、まだ、パラグアイにいた頃の動画が見つかったのでYoutubeにアップしました。
少し分かり難いビデオですが、小さなスポンジのボールを投げると、ドラがくわえてきて、手のひらまで持ってきます。このビデオを撮影するまで、同じ遊びを30分くらいやっていたので、さすがのドラちゃんもかなりお疲れ状態。すごい顔をして、はぁはぁ、と犬のように口で息をしていました。
最初は、手の平にボールを持ってくるので面白く、何度もやっていました。これはビデオに撮ろうと、カメラを持ってきて遊びを再開したのですが、ドラはさすがに疲れたらしく、取りに行ったまま戻ってこない。
以前、アップした大人になったドラちゃんのビデオ。お手、お代わり、を確実にする猫でしたが・・・。
2013年01月06日
徐々に新しいパソコンに設定を移行中
以前使っていたパソコンが起動しなくなったので、新しいパソコンを買ったのですが、入っているOSはWindows 8。 このOSはとても使いにくく、早晩、消えてしまうと思います。
以前のパソコンにはたくさんのソフトがインストールされているため、新しいパソコンに古いパソコンの環境をインストールするのにはかなりの時間がかかります。時間がかかるということはそれだけ労力もかかります。
ブログを更新するには、今まで使っていたツールが使えないと困ります。特に、画像処理関係のソフトがないととても更新ができません。
そんなわけで、本格更新はもうしばらくお待ちください。OSが変わったため、とても手間取っています。
2013年01月04日
明けましておめでとうございます
2012年は瞬く間に駆け抜けていった感がありますが、今年は、じっくり、一年を楽しめたらと思います。
外国に住んでいると時間がゆっくりすぎていると感じます。ところが、日本に帰ってくると、時間の過ぎるのが早いことに驚きます。これは、情報量の違いだと思います。
日本の情報量が多いのは間違いありません。しかし、その質は・・・。
日本の情報量が多い理由は、さまざまな媒体が使われるからです。外国に行って驚くのは、本屋の数の少なさ。そして、そこに陳列されている本の少なさ。
外国人は本を読まない。少なくとも、日本人の感覚では。
日本のテレビはいろいろな面でがんばっていると思います。番組作りの質も良くなっているように思います。しかし、そうではない番組もしぶとく生き残っています。ニーズがあるということでしょう。
今年一年をゆったりした時間の中で過ごすには、情報をいかに遮断するか、にかかっています。これは、テレビを買ってから強く感じています。
日本人は、つまらないテレビのために、どれだけ多くの時間を失っているのでしょうか。
今年は、テレビを見る時間を少なくしたいと思います。もともと、あまり見ないのですが。
MIX洋猫と世界遺産ランキングに参加しています。
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この酔っぱらいのような猫のことをもっと知りたい方は
猫カテゴリーからご覧下さい。
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