2012年05月23日
ピラミッドをエクセルで描く
今日はちょっと風変わりな画像をアップします。
この画像は、エクセルを使って描いたものです。使っている図形の枚数は100枚です。
これでピラミッドの石段を表現しています。
エクセルで100枚の図形を、しかも、中心をそろえて描くのは至難の業。しかし、この画像は、わずか3分で作りました。
作り方は、「なんでも保管庫」にアップしましたので、関心のある方はご覧下さい。今なら、これを作るマクロの入ったエクセルファイルもダウンロードできます(笑)。
2012年05月22日
パラグアイ生まれのドラちゃんがドアの取っ手を開けて部屋に入れた訳
ネコ師にやたらと懐いていた今は亡きドラちゃんの写真が出てきました。
パラグアイで撮影したものです。ドラちゃんはパラグアイ生まれで、日本に連れ帰った猫でした。
このドラちゃんは、部屋のドアのノブにぶら下がり、ドアを開けて入ってきました。今住んでいる家です。その当時は、それが当たり前だったのですが、次世代のセサールとピーちゃんは、そんな芸当はできません。
一度、セサールに教えようとしたのですが、「ドアのノブまでセサールの前足が届かない!!」
ドラちゃんは、ドアの所で立ち上がり、簡単にドアレバーを押し下げて部屋に入ってきていたので、セサールの前足がドアノブに届かないので驚きました。どんなに背伸びしても。
なんで? ずっと疑問でした。そこで見つかったのが下の写真です。
そうなのです。ドラちゃんは異常に胴が長かったのです。だから、立ち上がると簡単にドアノブに届きました。
猫を比較してはいけないのですが、ドラちゃんは賢い猫でした。それに比べて、・・・・・。
でも、やはり、ドラちゃんは特別な猫でした。同じパラグアイ生まれのケタルは、ドアを開けることができなかったのです。ケタルはとても大きな猫で、ドアノブには届いたと思うのですが。
ケタルは、ドラちゃんと仲良しだったので、ドラちゃんの動きをいつも見ていたはずなのに、ついに、ドアを開けて入ってくることはなかったのです。
小型猫のピーちゃんでは、なおさらドアノブまで届きません。
ギザのピラミッドの記事を追記するか、新しく書くかで迷っています。スフィンクスの記事も書かなければならないし、赤のピラミッドの記事も・・・。
「なんでも保管庫」の記事も合わせて読んでいる方はご承知の通り、現在、ピラミッドの続編を準備中です。クフ王のカルトゥーシュをWORDで作りました。奇麗なカルトゥーシュを作ろうと、時間ばかりかかってしまいました。次回のピラミッドの記事は、大ピラミッドの重力軽減の間で見つかったこのカルトゥーシュがキーワードになります。
2012年05月20日
世界遺産:ギザの三大ピラミッド(Giza Necropolis その5)
古代エジプトの人たちは左右対称(シンメトリー)が大好きなようです。
ギザの3大ピラミッドの各辺は正確に東西南北を向いています。ピラミッドは正確な四角錐で建造されています。
そこで、大ピラミッドの通路の位置が問題視されています。
屈折ピラミッドには、入口が二つあり、それぞれ別々の部屋に通じています。しかし、この二つの部屋は内部でつながっています。
吉村先生は、大ピラミッドについてもこのような構造があるのではないかと推測しているようです。
大ピラミッドを見ると、隠し扉などある筈がない、という気がしてきます。そもそも、入り口すらも完全に閉塞し、内部に入れないようにした構造で、隠し扉を造る意味がありません。
王の玄室と大回廊のラインが東西方向の中心線から南側に少しずれている。このため、同じ構造のものが北側にもあるのではないかというのがシンメトリー論です。
大ピラミッドの正規の入り口を見てみましょう。
入り口の構造体は、(現在の)表面から5から6つの目のブロックで初めて現れます。このことは、構造上、とても重要なことです。表面から4、5ブロックは、入り口としての構造上の機能を持っていないのです。つまり、入り口は、完全に閉塞されています。後で使うということは全く想定されていない構造だということです。その距離は4~5メートルでしょう。
表層部から5から6ブロック目で、初めて入り口の構造体が現れるということは、さまざまなことを示唆していると思います。
1.一つの石を取り除けば、入り口が現れる構造ではないこと。
天井が崩れます。現在の状態はとても不安定。
2.5~6つのの石を取り除けば入口が現れるような構造になっていないこと
現在見ることのできる正規の入口は、既に入り口としての目的が終わった、「開かずの入り口」だったのではないか? その証拠に、ここから内部には入ることができない(大回廊から滑り落とされたと思われる石で完全に封印されています)。
3.最初から、表層の4、5ブロックは、表層カバーとして設計されていた(むろん、表面を覆っていたカバーストーンは含まず)。
この正規の入り口の構造は、埋め殺しといわれるもので、本来の目的を達成した後に、石で埋められたもので、二度と「入り口」として使われることは想定されていなかったと考えられます。
ここで奇妙なことがあります。
これだけ立派な入り口を造ったということは、儀式に使われたものと推測できます。
これだけ壮大な建造物の儀式です。当然、仮設は取り払われなければなりません。仮設を残したままの儀式は考えにくいです。
この入り口を通る何らかの儀式が行われたことは町が怒りません。
では、この入り口は、どうやって塞いだのでしょうか。
儀式が行われたのはピラミッドが完成した後と考えるのが妥当でしょう。
この入り口を「ちょっと塞ぐ」という分けにはいきません。
2012年05月17日
旅行記事について
このブログは、猫と世界遺産のブログですが、訪問客がそれほど多くはないので、海外旅行の部分を
http://4travel.jp/traveler/catmaster/
4travel.jp
旅行のクチコミサイト フォートラベルでも紹介しています。
そこの訪問者数が18,000人になりましたと連絡がありました。そのサイトからこのサイトへの訪問者も増えていて、零細ブログとしてはうれしいことです(笑)。
この旅行サイトの面白いところは、訪問した国が色つきで表示されること。実際には、もっとたくさんの国を訪問しているので、その記事を書いて、色つきの地図にしたいというブロガーの投稿意欲をそそります。
2012年05月14日
世界遺産:ギザの三大ピラミッド(Giza Necropolis その4)
今日は、ギザの三大ピラミッドのうち、カフラ王とメンカウラ王のピラミッドです。
ピラミッドのサイズをいろいろ書いてもイメージが湧かないので表を作りました。
こうしてみると、カフラ王のピラミッドもかなり大きいことが分かります。容積比で、大ピラミッドの86%です。
注)高さは、完成時
カフラ王のピラミッドは高さ143メートルで、頂上部分に化粧石が残っていることから、すぐに大ピラミッドとの違いを見分けることができます。ギザの中で最も美しいピラミッドといわれています。
一方、メンカウラ王のピラミッドは、高さが65.5メートルとギザの三大ピラミッドの中で最も小さく、容積で見ると大ピラミッドの10%に過ぎません(高さはずれも完成時)。
カフラ王のピラミッドは大きく見えますが、やはり、大ピラミッドと比較すると小振りです。
カフラ王のピラミッドの中に入りました。ここは写真撮影ができます。
玄室まで行きましたが、どうも違和感があります。カフラ王のピラミッドの玄室の天井は切妻造りになっています。クフ王の玄室は平らです。
ピラミッドの造りもそうなのですが、造られた順序が逆なのではないかと感じました。カフラ王のピラミッドが最初に造られたのではないでしょうか。その理由のひとつは、スフィンクスと参道でつながっているからです。スフィンクスの建造年代は、ピラミッドよりもはるかに古い年代であると言われています。したがって、最初にカフラ王のピラミッドが造られ、その後で、大ピラミッドが造られたのでは?
では、一番小さいメンカウラ王のピラミッドは? このピラミッドは、後世に造られた別ものでは?
容積は大ピラミッドの10%です。大ピラミッドの完成までに20年の歳月を費やしたと言われていますが、メンカウラ王のピラミッドなら2年でできる計算です。つまり、いつでも造れると言うことです。
そもそも、大ピラミッドをクフ王が造ったという記録はありません。では、なぜ、クフ王の墓と呼ばれるかというと、重力軽減の間の天井部分にクフ王のカルトゥーシュがヒエログリフで描かれているからです。
落書きとか、後世に書かれたものとか言われましたが、実際には、カルトゥーシュの一部分が石組みの内部に描かれていることから、ピラミッドの建造当時に描かれたものとされています。
これで、大ピラミッドはクフ王が造ったものに間違いない! めでたしめでたし、という訳です。
しかし、こんな労働者の落書きのようなもので、クフ王建造物だとするのには疑問があります。
クフとも読めるけれど別の読み方もあるようです。
しかし、ここで重要なことは、ヒエログリフが使われているという事実です。
つまり、大ピラミッドを有史以前の失われた超古代文明が築いた可能性や宇宙人が造った可能性はなくなったと言うことです。
では、誰が築いたのか。それは、現在の発掘結果からは正確には分かりません。
ギザ周辺に見られるピラミッド群の建造技術の発展過程から、大ピラミッドの建造年代を比定する時に古王朝歴代の王の中でクフ王の時代が最も可能性があるということだと思います。
大ピラミッドの建造で、大回廊で使われている「持ち送り方式」の石積みや重力軽減の間の切妻方式の天井の技術は、他の多くのピラミッドでも見ることができます。つまり、建造技術は段階を経て発達していったことが分かります。
しかし、エジプト文明にそれほど関心のないネコ師にとっては、大ピラミッドを造った目的と、どうやって造ったのか、という部分に関心があります。
ここからは、メンカウラ王のピラミッド(たぶん)。
大ピラミッドの記憶は鮮明なのですが、カフラ王かメンカウラ王のどちらのピラミッドに入ったのか記憶が飛んでいます。この後、いろいろなピラミッドを見て、中にも入ったので、写真の順番だけが記憶をたどる鍵です。
下の写真は、メンカウラ王の玄室に至る通路だと思います。
メンカウラ王の玄室(たぶん)。どうみても、造りかけという感じです。
もし、ピラミッド建造当時にこの場所を見学に訪れたとしたら、「完成まではまだまだですね」と言ったと思います。それほど雑然としています。誰かが床材を剥がして持ち出したのでしょうか。玄室に至る急傾斜の通路を考えると、それはなさそうです。
メンカウラ王のピラミッドは、大ピラミッドとは建造目的が違うのではないでしょうか。
謎解き編
以下の記述は、ネコ師が考えたもので、他者のいかなる研究も引用していません。そもそも、こんな推論は読んだことがありません。
ギザやその周辺のピラミッドの中に入ると、違和感を覚えます。それは、玄室と言われている部屋の造りがぞんざいなためです。とても完成しているとは思えません。
もし、このような状態が完成形であるとしたら、これは、少なくとも、王の玄室ではありません。
床材や壁材が剥ぎ取られ、他の建築に流用されたという可能性もあります。しかし、現在の床面の状態はデコボコした石で覆われていて、とても床材や壁材を剥ぎ取ったとは考えられません。それは、あまりにもボコボコ状態だからです。必要な石材を剥ぎ取っただけならば、その後はある程度均平になっているはずです。現在のこの状態がピラミッド完成時の状態のように思えます。
ピラミッド建造の目的
ピラミッドの建設目的は、誰にも分かりません。もし、王の墓でないとしたら、これだけの手間暇をかけてまでピラミッドを造る理由を、かなり絞り込むことができます。その理由として考えられるのは、「王が、自分がエジプトの王であることの正当性を示すため、ある奇跡を民衆に示すと同時に、王権のシンボルとして、国力を国の内外に示す役割を担っていた」のではないでしょうか。
それでは、「ある奇跡」とは何でしょう?
建造年代の謎とピラミッドの建造位置関係
スフィンクスとの位置関係において、カフラ王のピラミッドはスフィンクスとの関係を意識して建てられたものと推測できます。また、大ピラミッドは、カフラ王の北東に位置しますが、すぐに崖になり、やっと建造スペースを確保したという感じです。大ピラミッドが最初に建造されたとするならば、その立地場所に疑問が残ります。
カイロの町は当時は存在しなかったと思います。従って、カイロの町から見える位置に大ピラミッドを建造したと考えるのは不適切です。そんな理由で場所は決まりません。
ギザの台地に何もなかった時代に、最初に建てられたのはカフラ王のピラミッドではないでしょうか。これは、スフィンクスを基軸に、カフラ王のピラミッドの建造位置が正確に、"意味を持って"定められたと思います。
そして、直ぐ近くに大ピラミッドを建造する必要が生じた。後世の時代に、この二つの巨大ピラミッドの威光を借りるため、オリオンと同じ位置関係になるように、メンカウラ王のピラミッドを2、3年で造った。
もし、この考え方を採るならば、ギザのピラミッドは大ピラミッドとカフラ王のピラミッドの二つのピラミッドで完結します。この可能性は、冒頭に示したように、メンカウラ王のピラミッドがあまりにも規模(容積)が小さいからです。
二大ピラミッド建造の目的
カフラ王のピラミッドが最初に造られて、大ピラミッドがその後に造られたとするのであれば、その理由は何でしょう?
それは、ピラミッドの建設目的である「奇跡を民衆に示す」ために、カフラ王のピラミッドだけでは不足していた「何か」のためではないでしょうか。
カフラ王のピラミッドとスフィンクスとの位置が直交しない理由
カフラ王のピラミッドとスフィンクスとは同じ直交座標上にはありません。Google Earthで計測した結果では、5度ほど北側にずれています。
カフラ王とクフ王の二つのピラミッドができて初めてピラミッドの建設目的が達成される、と考えるのであれば、この二つのピラミッドの距離こそ着目すべき点です。この距離を確保するため、カフラ王のピラミッドの位置を北東に5度ばかり動かさなければならなかった(距離を縮めなければならなかった)。
クフ王のピラミッドの位置は、東方向には崖があるためこれ以上動かすことができない。だから、二つのピラミッドの必要間隔(固定距離)を確保するため、カフラ王のピラミッドを北東に5度移動しなければならなかった。両ピラミッド間の距離は、四角錐の頂点間距離で486.30m(Google Earth計測値)。ピラミッド単位のキュービットでは928。
MIX洋猫と世界遺産ランキングに参加しています。
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