2011年04月25日
サルボ宮殿の幽霊:モンテビデオ
モンテビデオの記事をネットで探しても、おもしろい記事がない。一つも。
確かにこの町は、紹介するようなものが少ないのは分かるのですが、あまりにもひどすぎる。
街のモニュメント的な建物、サルボ宮殿についてもほとんど何も書かれていないつまらない記事ばかり。
ということで、モンテビデオ観光のお手伝いをすることにしました。
この建物は、企業家兄弟Angel José SalvoとLorenzo Salvoが建設したもので、設計はイタリア人建築家Mario Palantiが担当し、1928年10月に竣工しました。
高さ95m(105mの資料もあります)、27階建てのこの建物は、1935年までは南米で最も高い建物でした。
現在でも、ウルグアイでは建物の上に乗っているテレビ塔に次ぐ二番目に高い建築物となっています。ちなみに、タンゴと聞くと誰でも一度は聞いたことがあるラ・クンパルシータ(La Cumparsita)が1917年に最初に演奏されたのがこの建物のあった場所だそうです。
この20世紀初めを彷彿させるアールデコ調の美しい建物は建築以来、モンテビデオの人たちの誇りとなっているそうです。
元々はホテルや事務所用に建てられたそうですが、ホテルとして使われたのは数年間だけで、しかも、いくつかの階だけだったそうです。
今は分譲マンションとオフィスが混然と入居している雑居ビルとして使われており、一般公開はしていません。
入り口の受付のおっさんに聞いたら、「個人の部屋だから、一般公開はしていないよ。展望台もないよ」と無愛想に言われました。
建築は、2年間かけて基礎を12メートル掘削し、地上27階建て、370室、地下室2つを持つ建物が完成します。
このビルの所有者の一人Angel Salvoは完成の前になくなり、兄弟のJoséも完成の5年後に亡くなっています。
José Salvoは企業家として成功していました。彼には二人の娘があり、その娘のうち一人がRicardo Bonapelchという謙虚な男と結婚しました。
ところが事件が発生します。
1934年4月29日の夜、José Salvoは車に轢かれ、その怪我がもとで亡くなります。警察が調べたところ、ひき逃げした運転手が判明し、その自供からBonapelchが彼を雇って義父を殺したことが明らかになります。Bonapelchは逮捕され、刑務所でその一生を終えます。
Salvo一族は1960年代にビルを個人住宅用に所有権の販売をします。
まあ、いろいろ曰くのありそうな建物なので、もしやと思ったのですが、やはり「出る」そうです。何がって? もちろん、幽霊です。
翻訳する元気がないので、リンクだけ張っておきます。
http://ghostbustermvd.wordpress.com/2010/11/22/fantasmas-en-el-palacio-salvo/
建物の1階に下の写真が飾ってありました。建築当時の写真です。
モンテビデオの街を散策
モンテビデオの街を歩いてみました。
朝早くモンテビデオに到着したもののホテルのチェックインは11時からということで、荷物だけホテルに残しモンテビデオ市内を散策することにしました。
イースターのまっただ中のため、ブエノスアイレスもモンテビデオも閑散としています。
海岸の近くの海に突き出た部分が歴史地区ということで歩き出したのですが、"歩けば遠い"。
空港で膝をぶつけたせいで、膝が痛い。痛い足を引きずるように、たくさん歩きました。健康にはよいかも。
歴史地区はあとでご紹介しますが、突端部分にレストラン街があります。ここだけたくさんの観光客がいました。
おいしそうなので、そのうち食べたいと思います。
レストランでは、かわいい子が客の呼び込みをしていました。
10メートル離れたところからズームでパチリ。映画の場面のような写真になりました(笑)。
この子は、改めてみるときれいな子ですね。白い肌に血管が浮き出ています。怒らせると怖いかも。
モンテビデオに行く
ウルグアイのモンテビデオにやってきました。
ブエノスアイレスを早朝出発し、モンテビデオに到着。
ブエノスアイレスには空港が二つあり、国内と近隣国には市内の空港が使われるようです。
ホテルを朝5時半に出て、この市内の空港に向かったのですが、ここで珍しいトラブル発生。
ネコ師の乗ったタクシーがパトカーに捕まってしまいました。
このタクシーの運転手が信号を無視したのが捕まった理由です。パトカーの中に入っていきました。
違反切符を切られるだけかと思ったら、本格的に取り調べられています。その間も、タクシーのメーターはぐんぐん回転しているし、きがきではありません。
しばらくすると警官がやってきて、時間がかかるから別のタクシーで行くように言われました。
さすがは警察です。あっという間に別のタクシーを停止させ、ネコ師はこのタクシーに乗り換えました。
取り調べを受けているタクシーの運転手にここまでのタクシー代を支払おうとしたら「いらない」とのこと。もうけてしまいました。
このタクシーの運転手としては、早朝で誰もいない交差点の信号を無視したために違反と言われるのが納得できず、粘っているのかも知れません。
ネコ師は、別のタクシーで市内の空港に着いたのですが、思っていたよりもずっと遠い。
空港に着いたら、チェックインカウンタにはすでに80人くらい並んでいます。
この空港で、またまた信じられないトラブル。
飛行機の機内に入り、離陸を待っていたら、空港の係員が来てネコ師だけ降りるように言います。「???」。
言われるままに降りると、理由が分かりました。ネコ師は間違った飛行機に搭乗していたのです。
係員からは、「アナウンスを確認して搭乗するように」って言われたけど、ネコ師にも言い分が。
ネコ師がトイレから戻ってくると、搭乗がすでに始まっていたので、その列に並んで乗ってしまった。アナウンスは聞いていない。切符のチェックをしている係員も何も言わなかった。
そもそも自分の乗る飛行機がどのルートで飛ぶのかも、最終目的地がどこかも知らないので、「○○行き」というアナウンスを聞いてもしかたない(時がある)。
・・・などと、思ったのですが、はっきり言ってネコ師の単純ミスです。14番ゲートから自分の乗る飛行機よりも前に別の飛行機が出るのは確認していたので。
しかし、航空会社で間違いに気づいてくれて助かりました。間違って乗った飛行機はブラジル行きでした。ビザを持っていないネコ師は、空港から出ることもできず大変な目に遭うところでした。
ホームアローンのように。
モンテビデオに向かう飛行機から下を見ると、なにやら「泥の海」のような景色が広がっています。広大な干潟のようにも見えるのですが、船がいくつか見えるので、水深が2メートルくらいはありそうです。
よくよく考えてみると、河口の景色なのでしょう。
ところが、モンテビデオに着いて、海の色を見て仰天。「やっぱり、泥の海だ!」。泥の海という表現がぴったりの色をしています。沖を見ても同じ色。本来の海の色はどこにもありません。
地元の人に聞いたら、風が強いとこんな色になるのだと言っていました。
本当に奇妙な海です。風が強いので三角波がたつのは分かるのですが、その数が半端ではない。遠浅で、海底に岩がたくさん突き出ているのだと思うのですが。
日本では、曇天で海が荒れると、海の色も変わりますが、見渡す限り泥の海のように見えることはありません。
ちょうど上の写真を撮影していたら、自転車で宇宙に旅立つところに遭遇しました。あのETで見たような場面です。
この自転車に乗った人は結構長い時間この格好をしていてくれたので、写真の納めることができました。下がアップ写真です。30秒以上この格好をしていました。何考えているんだろう?
モンテビデオの街は、こぢんまりとしていて、何となくパラグアイのアスンシオンに似ています。この町の特徴は、「本屋がたくさんあること」。中南米で大きな本屋のある国はほとんどない。と思うのですが、モンテビデオでは比較的たくさん見かけます。
市内はそのうち。
2011年04月23日
ブエノスアイレスでお寿司を食べる
ブエノスアイレスに着いて、早速、日本食を食べに行きました。
最初に行ったのは、お寿司の店。名前は忘れました。日本人(らしき人)もいて、味は日本食。ちょっと感動。ウエイタも感じが良く、気に入りました。
困る点は、ドルで支払えないことと、カードも使えないこと。自動引き出し機で下ろしたなけなしのペソで支払いました。
この店は、ホテルのフロントで探してくれました。ホテルから一番近いのですが、それでもタクシーで10分くらいかかりました。
次の日の夜も日本食を食べに出かけました。またまたホテルのフロントに、「ドルで支払える日本食レストラン」という条件で探してもらったら、再び寿司屋がヒット。普通のご飯を食べたいのに。
ドルで支払えるという誘惑に負けて出かけました。
店の名は、「SAKE sushi」。
住所: Berutti 2640, Recoleta
店の前でタクシーを降りたら、ちょっといやな予感。
店に入ったら、またいやな予感。メニューをみたらさらにいやな予感。
どうも日本食レストランにはほど遠く、ペルー料理と創作寿司を出す店のようです。
外人にはそれでよいのでしょうが、ネコ師は「普通の日本食」を食べたい!
本当は、そのまま店を出ようかと思ったのですが、ペソをほとんど持っていないので、ドルを使える店を探さなければなりません。めんどくさいので、この店で我慢することにしました。
後で気づいたのですが、ブエノスアイレスのお寿司屋さんのネタは、どこに行ってもサーモンとタイとタコの3種類しかありません。海が目の前なのに不思議です。何しろネタの種類が少ないので、いろいろ趣向を凝らした巻きものにしているのですが、味は同じ。
サーモンは、最初は良いのですが、だんだん飽きてきます。貝を食べたいのに。
注文してしばらく待つと、お寿司が出てきました。
さて、お味は?
やはり帰れば良かったです。
何が不味い、と言われれば困るのですが、ネコ師には美味しくない。
ビールを1本飲んで、72ペソ(1,800円)でした。
早速、後悔。これも空港で換金しなかったことが尾を引いています。
ブエノスアイレスには最近たくさんのお寿司屋さんができたようです。これも健康ブームでしょうか。しかし、「もっとネタを増やす工夫をしろよな」。
自分で作った方がずっとうまいです。トホホ。
翌日の昼は、ホテルのフロントではなく、自分でネットで探すことに。たくさんリストアップしたのですが、最初の3軒は閉まっていました。イースターのためです。4軒目にやっと開いている日本食レストランにたどり着きました。「日会食堂」というところです。
この提灯が見えたときは感動! やっと昼飯が食える!
昼は、うどんの定食にしました。49ペソです。うどんが堅いのですが、それなりに美味しいです。
、夜もここで食べることに。あちこち探し回るのはもうこりごりなので。
夜は、五目ラーメンにしました。醤油を使いすぎですが、スープは野菜系で美味しいです。
持ち帰りで次の日の分も確保。これでレストラン探しともおさらばです。
2011年04月22日
イースターを楽しむ 誰が?
そういえば今はイースターなんだと改めて実感。なぜかというと、いろいろありまして。
ブエノスアイレスの町は閑散としています。目立つのは浮浪者ばかり。タクシーの運ちゃんに聞いたら、イースターで皆、ブエノスアイレスから外に出ているので交通量も格段に少ないのだそうです。
イースター中に旅行すると困るのがレストラン。皆、閉店です。今日は、日本食レストランに昼飯を食べに出かけたら3軒しまっていました。4軒目でやっとご飯にありつけたという状態でした。それでも日本食レストランは開いている方で、夜は平常通りのようです。
ボリビアやパラグアイの感覚でアルゼンチンに来て困ったのがドルの換金。
空港で換金しなかったのでホテルでやろうと思ったのですがダメ。
翌日、銀行に行ったら、口座のある人だけと断られました。換金所に行ったらパスポートがないと換金できないと言われ、結局換金できず。
自動引き出し機で何とか100ドル相当のペソを引き出せたのですが、再度やろうとしても受け付けない。
結局、100ドル相当のペソでタクシーに乗ったりご飯を食べたりすることになりました。これは心許ない。最初に行った日本食レストランは、ドルもカードも受け付けないので、なけなしのペソで支払いました。
空港で換金しなかったのが失敗の原因でした。
ブエノスアイレスは、昨日、今日とぐずついた天気で、ぱっとしません。晴れたらゆっくり町を歩きたいのですが。
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このバナーは「セサールの酔猫バナー」という名前です。
この酔っぱらいのような猫のことをもっと知りたい方は
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