2011年03月30日
スクレ空港のフライトシュミレータ
スクレはとても寒いです。毎日曇天か小雨が降るという天気が続いています。
まだ、夏の筈なのにこの寒さは何なんだ! それに今年の雨の多さは異常です。2月から3月にかけて二日に一回は雨が降っているのではないでしょうか。
さて、世界遺産の古都スクレの空港の正式名は、フアナ・アスルドゥイ・デ・パディジャ国際空港(Juana Azurduy de Padilla International Airport)といいます。
フアナ・アスルドゥイについては過去記事で詳しくご紹介していますので、そちらをご覧下さい。
スクレの飛行場については、以前、「ちょっと怖いスクレの飛行場」でご案内しましたが、先日、Youtubeを見ていたらスクレの飛行場のビデオがたくさんあるのに驚きました。
どうも危険な飛行場として有名なようで、フライトシュミレータにもなっているようです。
地上から見ると簡単に着陸しているように見えますが、操縦席から見ると、滑走路手前の丘が邪魔して、丘を越えるといきなり滑走路が始まるという感じです。しかも、この滑走路はダウンスロープになっているので、飛行機がなかなか停止しない!
フライトシュミレータはスクレの他にも色々あるようです。
スクレ空港は、スクレ市内まで15分くらいの近場にあるのですが、上で書いたような状況のため、別の場所に新しい空港を建設することになり、既に用地の買収も済んでいるそうです。ただ、そこから先が問題で、できるとしても10年後かも知れません。
2011年03月28日
エクアドルの教会にも秘密の地下トンネル
エクアドルの小都市リオバンバ(Riobamba)にある地下トンネルのお話しをしましょう。
エクアドルに行った時に感じたのは、人口20万人の都市がたくさんあり、狭い国土に均等に配置されていることでした。ちなみに、エクアドルの国土面積は日本の75%、人口は14,306,876人(2010年推計値)です。
下の表は、エクアドルの都市別人口ですが、第4位から第10位までが人口20万台です。
日本のように大都市に人口が集中するのではなく、ヨーロッパに見られるように地方都市が点在するという印象でした。
エクアドルの都市と人口 (2010年推計値)
1. Guayaquil 2,306,479人
2. Quito 2,151,993人
3. Cuenca 350,068人
4. Santo Domingo 291,325人
5. Portoviejo 257,000人
6. Machala 250,000人
7. Durán 241,924人
8. Ambato 215,000人
9. Manta 211,000人
10. Loja 200,000人
11. Riobamba 190,000人
リオバンバ
今日ご紹介するのは、第11番目の都市リオバンバ。以前ご紹介したエクアドル最高峰チンボラソ山の麓にある町で、チンボラソ県の県庁所在地になっています。
リオバンバ市は、1534年、Colta湖の近くに現エクアドル領内で最初の都市としてスペイン人ディエゴ・デ・アルマグロにより建設されましたが、1645年の地震で建物はほぼ壊滅、さらに1797年2月4日の地震により都市は完全に破壊され現在の場所に移転しています。エクアドルが独立して直ぐにこのリオバンバが首都となりましたが、それは短い期間だったようです。
町は歴史を感じさせる建物がたくさんあり、ヨーロッパの小都市といった感じです。ただ、18世紀終わりの建物なので、それほど古くはありません。赤道に近いため、気温は一年中変わらないそうですが、6,000m級の山に囲まれているため、日が暮れるととても寒いです。
この町のご紹介は次回に譲るとして、今日は、秘密のトンネルのお話し。
この街で、「マンシオン・サンタ・イサベリャ(Mansión Santa Isabella)」という名前のホテルに泊まりました。
ホテルのマネージャーもしっかりした、とても感じの良いホテルです。下の写真に写っているのがマネージャー。
ホテルの隣はホテル経営の本屋になっています。
2階のホール。
このホテルには4泊したのですが、ある時、ホテルに帰ったらマネージャーが、このホテルの地下に昔のトンネルを使ったバーがあることを教えてくれました。
「おっ、エクアドルでもトンネルか!」と、いろいろ詳しく聞くことに。
なんでも、このホテルの前の持ち主が教会の司祭で、現在のホテルオーナーが司祭が亡くなった時に買ったのだそうです。
そして、地下にトンネルが延々と続いているのを見つけてびっくり。トンネルは、以前は教会として使われていた小学校まで続いていたそうで、その先は不明だそうです。
噂では、町中にトンネルが網の目のように張り巡らされているそうです。
ホテルでは、このトンネルを両側を塞ぎ、バーとして使うことにしたそうです。
下の写真がバーの内部。使われている石材は当時のもので、ほとんど手を加えていないそうです。
しかし、スペイン人はどうしてトンネルを掘るのが好きなのでしょうか。大変な労力だと思うのですが。
この感じの良いバーで一杯やりました。とても良い雰囲気で、隠れ家的で気に入りました。
さて、ここから解決編です。・・・、というのは嘘です。情報がないので、何のためのトンネルなのかは結局分かりません。
しっかりした作りで、まるで貯蔵庫のようですが、あちこちにつながっているのことを考えると貯蔵庫というよりも、戦闘用だったのかも知れません。尼僧院との逢い引き用にしては規模か大きすぎるように感じました。トンネルの高さは2メートル20センチくらいあり、幅は3メートルくらいです。壁や天井は石造りで、所々に太い材木の梁があります。
トンネルと聞いてもっと狭いと思ったのですが、意外に大きいのでびっくり。
何に使ったのか、知りたいものです。
この話を運転手にしたら、「キトにもあるよ」とのこと。スクレにもポトシにもキトにもあるという地下トンネル。これだけあると、もはや秘密のトンネルという感じではないです。
2011年03月27日
ウユニ塩湖パノラマ画像
いつもフラッシュにしてしまうのですが、今回は、ウユニ塩湖のパノラマ画像をアップします。120度くらいカバーしているのではないかと思います。8枚の画像から作ったパノラマ写真です。
クリックすると大きな画像でご覧頂けます。幅2000pxで作っているので迫力があるのではないでしょうか。元画像はとてつもなく大きいです。
リャマ肉を食す
オルーロに行った時、リャマ肉料理の店があり、運転手が食べたいというので入ってみました。
リャマ肉専門の店で、レストランというほど高級ではなく、庶民的な店です。
リャマ肉は、以前、ウユニ塩湖の魚島のレストランで食べたのですが、今回は、リャマの乾燥肉を調理したもの。ジャルキといいます。
同じ乾燥肉でもビーフジャーキーは美味しいのですが、リャマ肉を乾燥したリャマジャーキーは、そのままではとても固くて歯が立ちません。
この食堂では、食器を洗わなくて良いように食器をビニールで覆い、その上にそぼろ状に細かくしたリャマ肉、ジャガイモ、トウモロコシ、ゆで卵、チーズがのっています。
このお味は? 肉がやはり固いです。不味くはないのですが、美味しいとは言えない。胃に悪そうな食べ物です。やはり、生肉のステーキの方が美味しいです。
下の写真はウユニ塩湖で食べたリャマ肉です。これは柔らかくて美味しかったです。
ジャルキはボリビア料理として有名で、スクレのレストランでも食べることができますが、ジャルキを出すレストランは非常に限られています。
インカの時代、ジャルキは保存食として貴重な料理だったと思いますが、繊維質だけが残っている感じで、私の弱いネコ師はちょっと食べることのできない料理でした。
皿の上に被せたビニール袋は、残ったジャルキを持ち帰るのに使えて便利です。店にとっても客にとっても役に立つビニール袋です。
2011年03月20日
ボリビアのオルーロ:世界文化遺産のカーニバル
先日、スクレからラパスまで陸路を13時間かけて行ってきましたが、その途中、オルーロ(Oruro)に立ち寄りました。
オルーロと聞いてカーニバルを連想する人はボリビア通の人でしょう。
スクレからラパスに陸路を使って行くには、まず、ポトシに行き、そこから北上、オルーロを通ってラパスに行きます。
スクレからポトシまでが3時間弱、ポトシからオルーロまでが4時間、オルーロからラパスまでが4時間といった道のりです。運転手を休ませる必要があるので、合計13時間くらいかかります。
さて、オルーロですが、人口250,000人(2011)のボリビアの中では大きな都市です。標高は3,700m。
スクレの人に聞くと、オルーロのことをボロクソにけなします。
オルーロは標高が高く、とても寒く、日差しが強く、水がないなど、生活するのはとても大変な所だそうです。車の運転手がオルーロのことをよく知っているのでなぜかと尋ねたら、オルーロの出身でした。
そんなオルーロですが、町の自慢はフォルクローレとカーニバル。オルーロのカーニバルはユネスコの無形文化遺産に登録されており、南米三大カーニバルの1つに数えられています。
なんでこんな不便な所に町があるかというと、鉱山のせいです。オルーロは1606年11月1日に銀採掘の拠点として設立されました。当時のスペイン国王フェリペ3世にちなみ、「オーストリア王家の聖フェリペの町」と呼ばれていたとwikiに書いてありました。
オルーロはその後、スズの採掘で栄えますが、今は廃れ、カーニバルだけが有名な町になってしまいました。
ネコ師がオルーロを訪れたのは、3月4日~6日のカーニバルが終わった次の週だったので、町中のあちこちで、見物用椅子の解体作業をしている最中でした。というわけで、カーニバルの写真はありません。
ところで、スクレのCorreo del Surという新聞の2011年3月6日付けの第一面に下の写真がありました。まるで戦国絵巻から抜け出てきたような踊り子、そして抜群のアングルに仰天。さすがはプロです。後方の踊り子達は絵画のようです。
クリックすると大きな画像でご覧頂けます。画像の著作権はCorreo del Surに帰属します(著作権ロゴをいれました)。
オルーロの市内を写真でご紹介します。黄色い建物が市庁舎です。
ソカボン広場。カーニバルのメイン会場となっており、踊り子達は踊り終わるとここの教会で祈りを捧げます。3年連続でカーニバルに参加すると願いが叶うのだそうです。スクレでも同じ言い伝えがあります。ワンパターンです。
教会です。踊り子達は、最後にこの教会で願いの成就を祈ります。
ここがソカボン広場のカーニバルのメイン会場。カーニバルのテレビ中継はこの広場の模様を撮影しています。
オルーロからラパスまでは平坦な道で、スクレ周辺の道路と比べれば格段に良いのですが、この道路では正面衝突が頻発しているため、複線化の工事をしているのだそうです。
オルーロの町の出口に面白いモニュメントがあります。フォルクローレを題材に金属で造られたもので、ラパスに向かう道路の中央分離帯にたくさん置かれています。
下のモニュメントは、タラブコのイメージにもなっている笛トコロ(tokoro)を吹く人です。センスの良い作品だと思います。
この中央分離帯の終わりの所になにやら変わったものが・・・。
これは、ヘルメットをデザインしたものです。そういわれれば分かりますが、最初に見た時は斬新なデザインに驚きました。
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この酔っぱらいのような猫のことをもっと知りたい方は
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