世界には様々な美しい景色があります。
その中でも、「大平原の中に突き出た大地」というのは魅力的です。オーストラリアのエアーズロックやギアナ高地など。
今日は、そんな不思議な風景をご紹介します。さて、これはどこの景色でしょうか。
では、撮影場所をお教えしましょう。パラグアイのアマンバイという所です。
パラグアイの東部に位置し、ブラジルと国境を接しています。
普通の観光客は、まず訪れることはないと思います。アスンシオンから一日がかりです。
アスンシオンから北上し、コンセプシオンというところで5号線を東進します。何もない平原でこの景色が見えてくると感動します。
このまま進むと、三国戦争を引き起こし、国民の半分を死に追いやった大統領マリスカル・ロペスの戦死した場所があります。ソラーノ・ロペスという名前だったと思います。
この大統領は何となく日本の終戦時の首相を思わせるような人で、国民玉砕の道を選びます。三国戦争では、パラグアイ軍は敗走を続け、首都アスンシオンを放棄して、ロペス大統領はここまで逃げ延びてきました。ここに来るまでに、少年兵と老人だけのパラグアイ軍が全滅しています。
ロペス大統領は、さらに逃げ延びようとしますが、ブラジル軍に見つかり戦死しました。
まさに、太平洋戦争の東条英機を思わせるような大統領でした。
日本と違う所は、ロペス大統領は今でもパラグアイの英雄で、紙幣にもなっていますが、東条英機はとても無理だということです。何しろ、自虐的なことを言わなければいけない、いと、いつの間にか世論が誘導されている不思議な国なので。
この三国戦争は、調べてみると結構面白そうです。ここから先は記憶だけで書いているので間違っているかも知れません。
パラグアイ河とパラナ河の合流点にピラールという市がありますが、その少し南にウマイタ村、パソ・デ・パトリア集落があり、そこにパラグアイ軍の要塞がありました。以前、行った時には、パラグアイの歴史を知らなくて、全く興味がなかったのですが。
パラグアイ軍の司令官が巡視に出かけた時ブラジル軍の砲撃が彼に命中し戦死します。ここで、パラグアイ軍の主力は壊滅します。個人的には、これが敗戦の引き金になったように思います。その後、パラグアイ軍は撤退に撤退を重ね、首都を放棄し敵であるブラジル国境まで逃げることになります。
パラグアイ軍が弱かったわけではありません。ロペス大統領が富国強兵を図り、当時、南米で最強の軍隊と言われていました。敵の主要戦力であるブラジル軍は傭兵部隊でした。
ミッドウェー開戦と重なるイメージがあります。当時、最強と言われた日本海軍は、ミッドウェーでそのほとんどの戦力を失います。主力空母の損失より、空母が失われたため帰還できなかった熟練パイロットの損失の方が大きなダメージだったと思います。
いつか、三国戦争の記事を書ける日が来ると良いのですが。