2011年01月31日
食欲がないので・・・豪華料理!
スクレに長期滞在して早1年8ヶ月。残す所4ヶ月になりました。
先日は、日本でラーメンを食べる夢を見ました。日本で食べる日本の食べ物が恋しいです。
スクレは標高が高いため、何を作っても美味しくできません。このため、食欲不振がづっと続いています。これでは栄養バランスに問題があるので、今日は、超簡単豪華料理を作りました。
調理時間10分です。
本当は3種類の料理で、3皿に盛りつけるのですが、食べるのは一人、皿を洗うのも自分、ということで、大きなさらに皆、盛りつけました。あまり見栄えは良くないですが。
まず左から。
サーモンの燻製。その右の黄色いのがプラタノという調理用バナナの油炒め。
中央が生のトマトで、その下が、生のアボカド。その右がソーセージと野菜のオリーブオイルガーリック炒め。
上にかかっているソースは、アボカド入りタルタルソース。
このタルタルソースはレモンで酸味を付けています。
サーモンの燻製とソーセージにこのタルタルソースがピッタリ。
とても美味しいです🎵 食欲不振が嘘のようです。
作り方といっても、料理しているのはソーセージと野菜いためだけ。
ニンジンは厚手に切り、水を入れた容器に入れ、電子レンジで加熱し火を通します。
その後、ニンニクを入れた油にニンジン、ソーセージ、ピーマンを入れて炒め、小ネギを入れ、塩、胡椒で味付けし、最後にオリーブオイルをかけて火を止めます。
タルタルソースは、タマネギをみじん切りにして水にさらした後、ペーパータオルで良く水気を切り、みじん切りにしたゆで卵とマヨネーズを混ぜます。その後、塩、胡椒をしてレモン汁を加えます。最後に、アボカドを粗めに切ったものをさっくりと混ぜて完成。
プラタノは、上で使ったフライパンで炒めるだけ。熱を加えることで甘みが増します。
いつもは、どうしても醤油を使う料理になってしまうため、バリエーションに乏しい料理でしたが、今日は、栄養バランスも良く、胃への負担も少ない健康料理かなぁと思います。
これほど油を使う料理はめったに作りませんが。
2011年01月29日
ボリビアの伝統儀式コア
今日は、ボリビアの伝統儀式コア(KOA)をご紹介します。
久しぶりに脱力記事です。頭を使わず手だけが書いています(笑)。
アンデスの大地の神パチャママに捧げるインカ以前から続く儀式で、さまざまな活動の開始の時に執り行われる儀式のようです。いつもなら、ここでいろいろ調べるのですが、今日は脱力記事なので、皆さんも脱力してご覧下さい。
引っ越しをして新しい家に入る時も、このコアを炊き、家の中を煙でいぶします。
引っ越しでのこの儀式は見たことがあったのですが、野外でやっているのを初めて見ました。
写真の場所は、世界遺産スクレから車で4時間の場所にある集落です。標高は約3,000m。雲が近いです。
コアの儀式を簡単にご紹介します。
まず、地面に炭を置きます。
足りないようなので、もっと運んできました。
この炭の中に、煙の出る"あるもの"を入れます。
その「あるもの」とは、・・・・。よく分かりません。下の写真がその中身です。いろいろな葉っぱや穀物や紙やら入っています。
これを火の中に入れます。
するとたちまち煙が立ち上ります。
ビール瓶のようなものが2本用意されています。
このお酒を火の周りに回しかけます。方向は反時計回りです。
2本のボトルを順番に火の周りに回しかけます。時折、自分も飲みます。
ネコ師の番が回ってきたのでやってみました。すっかりビールだと思っていたのでぐっと飲んだら、なんと「シンガニ」という蒸留酒でした。いきなり酔っぱらってしまいました。もう一本のボトルは甘いワインでした。
火の脇にオレンジ色のバケツが見えますが、この中には何やら怪しい液体が入っています。
飲んでみたのですが、強烈なアルコール。工業用アルコール(90度)を水で薄めて色づけの薬草を入れたものでした。最初はチチャかと思ったのですが、・・・、ちょっとこれは飲めません。
パチャママに捧げる詔(みことのり)のようなものがあるのかと思ったら、何もありません。捧げるのはお酒。飲む前に地面に少しこぼし、パチャママに感謝します。
儀式には踊りが付きもの。3人の踊り子が自慢のダンスを踊ります。
この地域は、ヤンバラ文化圏に属し、タラブコの人たちと同じような民族衣装を着ています。でも、この衣装のデザインは集落ごとに微妙に違うそうです。踊りも同じように見えますが、たぶん違うのでしょう。
この踊りを見ていると、アンデスにいるんだ、と実感します。
ただ、ちょっといただけないのが、吹いている笛。これは水道管に使う塩ビ管で作られていて、味も素っ気もありません。
踊り自体は単調で直ぐに飽きてしまいます。
アンデスののんびりした光景です。アンデスでは時間がゆっくりと流れているように感じます。
子供達も元気です。
人なつっこいのですが、恥ずかしがり屋で、最初は近づいてきません。カメラを向けると直ぐにそっぽを向きます。でも、外国人には興味津々のようでした。
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2011年01月27日
スクレの歩き方(人):フアナ・アスルドゥイ・デ・パディージャ
フアナ・アスルドゥイ・デ・パィージャ(Juana Azurduy de Padilla, 1780-1862, 81歳)
今日は、スペインからアルトペルーが独立する時の英雄、革命リーダー、愛国の女戦士フアナ・アスルドゥイ・デ・パディージャをご紹介します。
スクレの空港は、フアナ・アスルドゥイ・デ・パディージャ空港といい、彼女の名前が付けられています。
彼女は夫のマヌエル・アセンシオ・パディジャと共にリオ・デ・ラプラタ副王からの解放のための戦いに参加し、反乱軍の指揮をとりました。
2010年3月、アルゼンチン大統領クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネルがスクレに来た時、「自由の家」で行われたセレモニーで、フアナのアルゼンチンでの軍の階級として「陸軍中将」を授けました。
ボリビアのヒロインの遺灰の前で、神秘な雰囲気の中で、フェルナンデスはアルゼンチン軍の権威の象徴であるの1本のサーベルを、フアナの代理としてエボ・モラレス大統領に手渡しました。彼女の演説は、なかなか魅力的なものでした。
「アルゼンチンの大統領として、女性として、政治活動家として、私は、ここにいることを誇りに思います。彼女の前で、彼女の遺骨の前で、私はアルゼンチン軍の将軍の名誉と栄光に満ちたサーベルを、彼女のために、また、アルゼンチン国民のために、ボリビア大統領に渡します。しかし、とりわけ、いつも、歴史はゆがめられ、隠されます。」
クリスティーナは、式典で、昨年亡くなったアルゼンチンのフォーク歌手メルセデス・ソーサの「Juana Azurduy」を歌いました。ソーサがフアナ・アスルドゥイに捧げた歌です。
クリスティーナは、このメルセデス・ソーサの曲でフアナを知ったと告白しています。
このアルゼンチン大統領は、きれいな人だなぁ、と実況中継をテレビで見ながら思っていました。エボ大統領が鼻の下を伸ばしっぱなしでした。
メルセデス・ソーサの歌はYoutubeで聞くことができます。まず、この歌をお聞き下さい。歌詞の本当の意味、そして、クリスティーナの行動、言動の意味は、この記事を読めば分かると思います。
歌詞の日本語訳は、下のようなものだと思います。ネコ師の勝手な訳ですが。
【「フアナ・アスルドゥイ」歌詞和訳】
フアナ・アスルドゥイ、アルト・ペルーの花、あなたよりも勇敢な隊長は他にいない。
フフイのもっと向こうであなたの声とあなたの勇ましいギャロップの音が聞こえる。ドーニャ・フアナ・アスルドゥイ。
私は未熟な祖国に恋をして、寝不足のまま大地を駆け巡る;スペインは、女性たちと戦わなければ、この大地を通り過ぎることはできない。
フアナ・アスルドゥイ。アルト・ペルーの花。あなたよりも勇敢な隊長は他にいない。
大砲が轟く。あなたのライフルを貸してください。革命はジャスミンの香りでやってくる。
アルト・ペルーの太陽の土地では、未だにトゥパクアマルを呼ぶ声がこだましている。
女性が守備する土地。自由なアマゾン
あなたの部隊に入り、あなたの命令を伝えるラッパ手になり突撃したい。フアナ・アスルドゥイ、アルト・ペルーの花、あなたより勇敢な隊長はいない。
スペイン語歌詞
Juana Azurduy,
flor del Alto Perú,
no hay otro capitán
más valiente que tú.
Oigo tu voz
más allá de Jujuy
y tu galope audaz,
doña Juana Azurduy.
Me enamora la patria en agraz,
desvelada recorro su faz;
el español no pasará,
con mujeres tendrá que pelear.
Juana Azurduy,
flor del Alto Perú,
no hay otro capitán
más valiente que tú.
Truena el cañón,
préstame tu fusil
que la revolución
viene oliendo a jazmín.
Tierra del sol
en el Alto Perú,
el eco nombra aún
a Túpac Amaru.
Tierra en armas que se hace mujer,
amazona de la libertad.
Quiero formar
en tu escuadrón
y al clarín de tu voz,
atacar. Juana Azurduy,
flor del Alto Perú,
no hay otro capitán
más valiente que tú.
フアナ・アスルドゥイ・デ・パディージャの生涯
フアナ・アスルドゥイ・デ・パディージャ(Juana Azurduy de Padilla)は 1780年7月12日、チュキサカ(現スクレ)で生まれました。彼女はスペイン系とインディオのメスティソでした。彼女の母親の家系は裕福でしたが、父親はスペイン人により殺されました。
彼女はチュキサカで育ち、12歳の時、修道女になるためにスクレのサンタ・テレサ修道院に入ります。修道院で彼女があまりにも頻繁に反抗的態度をとることから、最終的に17歳の時に修道院を追放されました。彼女は、ケチュア語とアイマラ後を話すことができました。
1802 年、マヌエル・アセンシオ・パディージャ(Manuel Ascencio Padilla)と結婚しました(1805年の説も)。
1809年5月25日の 独立革命の勃発後、フアナと彼女の夫は、民衆の軍隊に参加し、副王の罷免の後、管轄庁長官にフアン・アントニオ・アルバレスが任命されることになります。
フアナの場合が特別例外なのではなく、当時の女性の多くがその後の戦いに組み込まれていきます。
フアナは彼女の夫に積極的に協力し、アルト・ペルーを解放するためにブエノスアイレスから派遣されて来る軍隊と一緒に行動するために、「Los Leales」として知られていることになる騎兵中隊を組織しました。
戦闘の最初の年、予期しなかったペルーの王党派の動きにより、彼女は自分の子供を放棄することを余儀なくされ、たくさんの戦闘に参加することになります。
チャルカス・アウディエンシアは、2つの地域に分けられ、その一つは解放軍が、他はスペイン王に忠実な軍隊によってコントロールされていました。
1810 年、マヌエル・ベルグラノ(Manuel Belgrano)の解放軍に統合され、フアナの戦闘ぶりに非常な感銘を開けたマヌエルは、彼女にシンボルとしてサーベルを贈呈します。
彼女の特筆すべき活躍は、1816 年3月8日のビジャール(Villar)地域で起きました。
彼女の夫は、チャコ地域に行かなければならず、この地域の戦略策定を妻に任せます。この場所は、攻撃の標的となっていました。しかし、フアナは、大胆な襲撃で、相手軍の連隊旗を敵の将軍から彼女自身の手で奪い取り、ラプラタの丘の占拠を指示します。
この行動により、ブエノス・アイレス政府は、1816 年8月13日、フアン・マルティン・デ・プイレドン(Juán Martín de Puyrredón)によって署名された令よって、リオ・デ・ラプラタ連合地域の総帥をフアナ・アスルドゥイとすることに決定し、この地域の独立軍の基本である義勇軍の階級を陸軍中将(teniente coronel)としました。
ペルーを解放したいホセ・デ・サン・マルティン将軍の軍隊に編入になった後、戦争の戦略が変更になりました。サン・マルティンは、太平洋側からリマを攻撃することにします。そのためには、チリを完全に解放する必要がありました。この決定を不安定な状態のアルト・ペルーの解放軍に伝えます。この時、フアナとその夫は、極度の危機的な状態のもとにあり、彼女らの4人の子供たちは餓死しました。
その直ぐ後、彼女は5 番目の息子を妊娠していました。しかし、夫は既にビジャールの戦いで戦死していました (1816 年9月14日)。この戦いで負傷したフアナを助けようとして夫が亡くなりました。彼の遺体は、ラグーナの村で王党派により吊されました。そして、フアナは絶望的な状況でした: 未亡人になり、妊娠しており、しかも、王党派が効果的に領土を制圧している状況でした。
フアナは娘を出産後、ゲリラ(カウディージョ)のマルティン・ミゲル・ゲメス(Martín Miguel Güemes)の下へゆき、アルト・ペルー北部での作戦に参加しました。マルティンが死に、北部のゲリラは崩壊します。フアナは、(現アルゼンチンの)サルタ地域でひどく貧しい生活を余儀なくされました。
1825年、スクレ元帥によるボリビアの独立宣言後、フアナは、新しい政府が資産を彼女の故郷に返すように何度も働きかけますが認められません。スクレ元帥は、彼女に年金を支給しますが、彼女が77歳になった1857年、ホセ・マリア・リナレス政府の下でその年金は廃止されることになります。フアナは、夫と5人の子供を革命で亡くし、孤独と極貧の中、1862年、81歳で亡くなります。亡くなったのはアルゼンチンのフフイ(Jujuy)でした。・・と思ったのですが、Wiki(Es)に書いてあるとおり、スクレなのだそうです。
彼女の亡骸は共同墓地に埋葬されますが、それから100年後、彼女の遺骨は掘り出され、スクレの自由の家に彼女の遺骨が安置されています。
フアナが率いた反乱部隊は、大部分が男性で、一部女性もいました。この反乱にはたくさんの女性が戦闘に参加しています。女性部隊の隊長がフアナだったわけではありません。
下の写真は、スクレから2時間半のところにあるプレスト村の広場に建つフアナ・アスルドゥイの銅像です。昨年建立されたばかりの新しいものです。
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ボリビア:スクレの修道院と教会の呼び名についての基礎知識
以前から不思議だったことの一つに修道院の呼び名があります。
コンベント(Convento)とモナステリオ(Monasterio)の二つ。
スクレの歴史にやたらと詳しいホテルの受付嬢にきいたら、彼女曰く、「コンベントは女子修道院で、モナステリオは男子修道院のことです」。教科書的な回答です。
この回答にすぐさま反撃するネコ師。
「ラ・レコレタ修道院は、男子修道院だけれど、どの資料もコンベントという単語を使っているし、通称もコンベント・デ・ラ・レコレタになっているよね。これはなぜ?」
またまた難題を持ち込む常連客(ネコ師のこと)に対し、プライドの高い受付嬢は必死に応戦。「確かにそうだけど・・・・。ラ・レコレタ修道院に付属する神学校などが女子修道院の経営になっているせいではないかしら。もしかしたら、ラ・レコレタ展望台も女子修道院の所有かも。詳しいことは叔母に聞いてみます」。
彼女のおばさんは歴史の先生で、よくお世話になっています。お会いしたことはないですが。
難題を持ち込む常連客はさらなる難題を質問します。
ネコ師: 教会を表す単語で、イグレシア(Iglesia)とテンプロ(Templo)があるけど、この違いは何? 「ラ・メルセ寺院(Templo de La Merced」は「Templo」だけど「Iglesia」とは呼ばれないよね。なぜ?」
イギリスのウエストミンスター寺院のように教会と寺院の使い分けがよく分からないので質問しました。ウエストミンスター教会とは言いません。
受付嬢:(まだ質問するのかと半ばあきらめの表情で)「Iglesiaには司祭が宿泊する場所が併設されていません。ミサの催行や祈祷の機能だけ持っています。Temploには司祭の宿泊所が併設されています」
ネコ師:「・・・・・」(ここで畳みかけるように質問するはずが単語を思い出せずに、ネコ師撃沈)
質問するはずだったのは、「スクレの歩き方:Eclesiastico博物館」で書いた「 Eclesiastico」という単語。これは、司祭の宿泊施設を示す単語らしいのですが、適訳を知らないので記事のタイトルには「教会博物館 Museo Eclesiastico」と書いています。この建物はカテドラルの隣にあります。これとの関連性を質問したかったのですが、「 Eclesiastico」という単語はほとんど聞いたことがないので思い出せずに撃沈しました(汗)。
ということで、この記事は続きます。
【追記2011.2.1】
さて、続きです。
受付嬢に先日の再回答を求めたら、また違うことを言い出しました。たぶん、前回言ったことを覚えていない。この受付嬢は、物忘れが激しく、頼んだことを直ぐに忘れてしまうこまった人でもあります。
「Iglesia」と「Templo」についての新たな見解です。
受付嬢 「『Iglesia』はミサを行ったりするカトリックの信仰上の行為に重点が置かれているのに対して、『Templo』は建物に重点を置いた呼び方で、機能的には全く同じです」
ネコ師「・・・・」
この前と説明が違うけど、いろいろ反撃したいのを我慢して、ここら辺で矛を収めることにしました。
宗教用語は難しいです。
2011年01月26日
ウユニ観光ガイド(2011)
最新のウユニ塩湖観光について、詳しくご紹介します。
【更新情報】
塩湖の最新湖面情報を更新しました(2011年1月25日)。コメント欄をご覧下さい。
スクレ市内の大手旅行代理店の扱っているウユニ観光プログラムです。6つのプログラムがありますが、個人旅行であれば自由に組むことができます。
下のコースの中で「Isla Incawasi」とは、通常、「魚島」と呼ばれているウユニ観光の定番の場所です。
プログラム1 (Salar de Uyuni - Coquesa)
1日目: Uyuni - Colchani - Isla Incawasi - Coquesa - Tahua
2日目: Tahua - Cueva Galaxia - Cueva del Diablo - Uyuni
プログラム2 (Salar de Uyuni - San Pedro de Quemez)
1日目: Uyuni - Colchani - Isla Incawasi - Cueva Galaxia - Cueva del Diablo - San Pedro de Quemez
2日目: San Pedro de Quemez - Coquesa - Uyuni
プログラム3 (Salar de Uyuni - Lagunas de Colores - Uyuni)
1日目: Uyuni - Isla Incawasi - Cueva Galaxia - Cueva del Diablo - San Pedro de Quemez
2日目: San Pedro de Quemez - Lagunas Menores (Cañapa, Hedionda) - Ojo de Perdiz
3日目: Ojo de Perdiz - Laguna Colorada - Fumarolas Sol de Mañana - Laguna Verde - Villamar - Villa Alota - San Cristóbal - Uyuni
プログラム4 (San Pedro de Atacama - Uyuni)
1日目: San Pedro de Atacama - Hito Cajón - Laguna Verde - Fumarolas Sol de Mañana - Laguna Colorada - Ojo de Perdiz
2日目: Ojo de Perdiz - Lagunas Menores (Hedionda - Cañapa) - Pan Pedro de Quemez
3日目: Pan Pedro de Quemez - Cueva Galaxia - Cueva del Diablo - Isla Incawasi - Uyuni
プログラム5 (San Pedro de Atacama - Tupiza - Salar de Uyuni o Viceversa)
1日目: San Pedro de Atacama - Hito Cajón - Laguna Verde - Fumarolas Sol de Mañana - Laguna Colorada - Villamar o Quetena Chico
2日目: Villamar o Quetena Chico - San Pablo de Lípez
3日目: San Pablo de Lípez - Pueblo Viejo - Tupiza
4日目: Tupiza - Uyuni
5日目: Uyuni - Isla Incawasi - Coquesa - Volcán Thunupa - Uyuni
プログラム6 (Uyuni - Lagunas de Colores - Tupiza - Uyuni)
1日目: Uyuni - Isla Incawasi - Cueva Galaxia - Cueva del Diablo - San Pedro de Quemez
2日目: San Pedro de Quemez - Lagunas Menores (Cañapa - Hedionda) - Ojo de Perdiz
3日目: Ojo de Perdiz - Laguna Colorada - Fumarolas Sol de Mañana - Laguna Verde - Villamar
4日目: Villamar - San Antonio de Lípez
5日目: San Antonio de Lípez - Pueblo Viejo - San Pablo de Lípez - Tupiza
6日目: Tupiza - Potosí
プログラム7 (Ollagüe - Lagunas de Colores - San Pedro de Atacama o Viceversa)
1日目: Ollagüe - Cueva Galaxia - Cueva del Diablo - Isla Incawasi - Colchani - Uyuni
2日目: Uyuni - San Cristóbal - Lagunas Menores (Cañapa - Hedionda) - Ojo de Perdiz
3日目: Ojo de Perdiz - Laguna Colorada - Fumarolas Sol de Mañana - Laguna Verde - San Pedro de Atacama
【各観光地までの距離】
【ウユニ塩湖観光地位置図】
【塩湖周辺のホテル】
ウユニ塩湖の中にある唯一のホテルは「Hotel Playa Blanca」。湖岸から7.2Kmのところにあります。ただし、このホテルは違法営業と言うことで、正規の旅行代理店は予約を扱っていません。通常は宿泊できないと思います。
塩湖の湖畔にいくつか塩のホテルがあります。その中で旅行代理店がお奨めなのが、「Hotel Luna Salada」。ここは、湖畔の中でも少し高い場所に建てられているので、ウユニ塩湖を一望できるそうです。
その近所にあるのが「Hotel Cristal de Sol」。このホテルもお奨めの一つだそうです。
【質問に対する回答】
野口さんからコメント欄に質問が入っていますので、ここでお答えします。
内容は旅行代理店からの聞き取りなので、ネコ師が確認したわけではありません。
1.鏡の塩湖を夜見たいのですが、ホテルから歩いて鏡の塩湖が見られるようなウユニのホテルをご存じないでしょうか?
(回答)上の二つのホテルは塩湖に面していると言うことでした。「Hotel Luna Salada」は、他の旅行代理店も推薦していました。ネットで検索してみて下さい。ホテルのHPがありますので、それを見てご検討下さい。
2.スクレ―ウユニをバスで行く予定ですがポトシ経由で1日(昼)で行けるのでしょうか?それともポトシに泊まらなければならないでしょうか?
(回答)コメント欄で回答済みですが、スクレからウユニまでの直行バスが出ています。所要時間は9時間で、昼の便です。
3.ウユニで夜の水鏡を長時間(3時間くらい)にわたって連続写真を撮りたいので、playa del sol hotel に一泊したいのですが現在宿泊は可能なのでしょうか?
(回答)playa del sol がどこにあるのか分かりませんが、ウユニ塩湖の中にある唯一のホテルは「Hotel Playa Blanca」といいます。上で書きました通り、塩湖内でのホテルの営業は禁止されており、旅行代理店は取り扱っていません。
4.他に夜塩湖の中に入る手段はあるのでしょうか?
(回答)上で書きましたホテルは、塩湖の縁に建っているので、歩いて塩湖まで行けるそうです。皆が寝静まった後、ホテルからでも自由に撮影できるかも知れません。
夜の塩湖に車で入ることは可能だそうで、そのようにツアーも組めるそうです。ただし、ガイドを雇う必要があります。
5.今回はウユニが目的で5日予定を組んでいます。どのように過ごすのが適当かアドバイスをお願いできたらありがたいのですが。
(回答)上でご紹介した6コースが代表的な観光コースのようです。どのコースにするかは、旅行の目的と時間と体力によって違ってくると思います。標高が高いので、思った以上に体力を消耗します。各観光地までの距離の画像をご参照下さい。かなりの時間、車に乗っていることになります。スクレからウユニまでは9時間、ラパスからウユニの町までは10時間車に乗っていることになりますが、実際にはもう1時間かかるのではないかと思います。そこからさらに長旅に出るのには、相当の体力が必要です。
【ネコ師の補足説明】
① ウユニの町から塩湖の湖畔に行くのに30分くらいかかります。
② ウユニはとにかく寒いので、防寒着が不可欠です。今、日本から来るのではあれば、日本は冬なので問題ありませんが、日本の夏に来る時は、こちらで防寒着を買って、使い捨てにした方が良いと思います。スクレのメルカード・カンペシーノというローカル市場に古着屋さんがたくさんあります。ただし、その場合でも日本から厚手の肌着を持参して下さい。これはいつの季節でも同じです。寒さを防ぐには肌着が最も重要です。富士山山頂と同じくらいの標高なのをお忘れなく。
③ ウユニの町と塩湖の位置関係を画像にしました。
画像を見ただけではどのように塩湖に入るか分からないと思うので、ルートを入れました。
ウユニの町からColchani集落まで21,219m、Colchani集落から塩湖湖畔まで5,164m、塩湖湖畔から塩のホテル(Hotel Playa Blanca)まで7,239mです(Google Earth計測データ)。合計では34Kmくらいの距離があります。
今回掲載している画像は、文字が読めるように大きなサイズで作っています。ダウンロードして、旅行の計画作りにご活用下さい。
旅行ルートについて検討する時、スペイン語の地名が分かればネットで検索して様々な情報が得られると思います。画像検索やYouTubeなどの映像検索にも活用下さい。
Laguna Verdeは、風が吹くと劇的に緑色に変化する湖です。Laguna Coloradaはプランクトンの影響で赤い湖です。このプランクトンを食べにフラミンゴがやってきます。Thunupaはこのブログでもご紹介しているトゥヌーパ火山です。
「世界ふしぎ発見!」で宮地眞理子がミステリーハンターを努めたウユニ塩湖の番組は、最高の条件で撮影されており見応えがあります。YouTubeで視聴できます。
【ネコ師ならどのコースを選ぶか】
最後に、ネコ師ならどのようなコースを選ぶかを書きたいと思います。
1.ホテルはウユニ湖畔のホテルを事前に予約します。
2.初日は、スクレからウユニまでの移動。ウユニに着いてから、汽車の墓場めぐり。
3.翌日、まず、トゥヌーパ火山に行きます。途中、塩の博物館を見学。帰りは遅くなるので、博物館は閉まっています。この火山に登るのには体力が必要なので、最初に行きます。ここの標高をお忘れなく。このルートだと昼食を持参した方が良いでしょう。
(なぜか、ウユニの人たちが動き出すのは10時頃です。早朝出発を予定していても対応してくれないかも。今、気がついたのですが、ウユニの旅行社は、塩の博物館の開館時間にあわせて出発時間を決めているのかも。スクレの旅行社ならこんなことはありません。)
火山に登頂してミイラを見て下山。そこから魚島に向かいます。魚島を一周すると相当疲れます。後は、ウユニに戻ります。
4.その次の日は、なんといっても見てみたい「ウユニのリチウム」。Rio Grandeという所に採掘場があります。地図の左下あたりです。前回は、水深が深くて行くことができませんでした。
5.もし、その次の日も滞在できるのなら、塩湖の真ん中で、一日中、ぼけーっとしています。移り変わる塩湖の景色を楽しみながら。駆け足であちこち見て歩くより、同じ所に長く滞在している方が好きです。移動に時間を取られるのがいやなので。
6.さらにもう一日滞在できるとしたら。やはり、塩湖の真ん中で、一日、ぼけーっとしています(笑)。でも、寒いので、早々に車の中に避難すると思いますが。
などと書きましたが、実際にはプログラム2が面白そうです。せっかく塩湖に来たのだから、広大な塩湖の中を走り回るのが一番かも知れません。
お土産は、ウユニでしか売っていないものがたくさんあるので、欲しいものがあったら迷わず買った方が良いと思います。ウユニの塩はスクレのスーパーにはありません。中央マーケットにはありますが。
【追記2011.1.29】
検索からこのサイトへのキーワードで気になったことがあるので追記します。
気になったキーワードとは「バス」です。ウユニまでの移動をバスと決めつけているのではないかと思います。このサイトで何度も書いていますが、ボリビアのバスはとても危険です。夜行バスはその中でも最も危険な移動手段だと思います。
ボリビアまで来る旅費と時間を考えれば、スクレやラパスから旅行社の4WDを借り上げるという移動も検討の対象にしたら良いのではないかと思います。バスと違い自由が利くので、このブログでご紹介している「中世のお城のような吊り橋」やウユニに行く途中の絶景を車を止めてゆっくる見ることができます。ウユニに行く途中の沼にいるフラミンゴを追いかけ回したり、道ばたのビクーニャにゆっくりと近づき写真を撮ることもできます。ポトシ市内を速攻で見て回ることもできます。
【追記 2011年2月17日 ストライキ、デモ情報】
昨年末に政府が発表したガソリン等補助金の撤廃に端を発した物価の上昇、物資の不足は、政府が補助金撤廃を撤回した後も収まらず、流通や物価が不安定な状況が続いています。
2月18日から全国規模のストライキ、抗議行動が予定されており、交通機関が麻痺する可能性があります。今回の行動はさまざまな団体がそれぞれ行うもので、バス代など公共料金の値上げを求める団体もあればそれに反対する団体もあります。憲法改正などで国全体の組合が一致団結して政府に圧力をかけるというパターンではないようです。
18日は、幹線道路の道路封鎖までは行わないといわれていますが、それ以降は、政府の回答次第なので、どのようになるか予測が付きません。最悪の場合は、幹線道路の封鎖が行われ、その都市から出ることも入ることもできなくなります。
カーニバルが3月7~9日にあるので、この期間はお祭り好きのボリビア人はストなどやらないと思います。カーニバルを挟んだ前後の週あたりが危ないかなぁ、と勝手に思っています。
今週末から来週にかけて政府に圧力をかける行動が起こり、その回答を待って大規模な行動に移るという感じかと思います。
ポトシの組合がまた道路封鎖を行う可能性もあります。もう少し様子を見なければ分かりません。ところで、ネコ師は明日から外国出張なので、このフォローはできません。あしからず。
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