以前書きましたように、スクレにはたくさんの教会があります。
なぜ、ボリビアの小さな都市に過ぎないスクレにこんなにたくさんの教会があるのか不思議です。
一説には、200の教会があるそうです。おいおい、そのくらいちゃんと数えろよ、と言いたいのですが、スクレ市内には少なくとも20以上の教会、礼拝堂、修道院があるのは間違いありません。何しろ、100~200mのブロックごとに1カ所は教会があるので。まさに、街角には必ず教会があるという感じです。
歴史的に、教会は権威と富の象徴だったようです。富の半分以上は教会に集められました。それは、土地、宝石、貴金属、さまざまな形を取りますが、そのような富が教会に集められ、その威信を維持するために、さまざまな豪華な建造物が建てられていったようです。
これらの建造物は、一点豪華主義ではなく、数も問題だったのだと思います。
世界遺産スクレを象徴するカテドラルの祭壇
豪奢なラ・メルセ寺院の祭壇
サント・ドミンゴ教会の祭壇
夕日に佇むセサール
大司教座のあるカテドラルが1カ所あれば事足りる、と考えるのは、合理主義、無信教の表れかも知れません。
17世紀のスクレでは、富は教会に集中していました。以前グアダルーペの聖母の記事で書いたように、その富は寄進によるものもありましたが、当時の教会は金融機関を兼ねていたということも、富の集中を加速しました。ポトシ銀山から得られる莫大な富は、ポトシやスクレの教会の新築、改築に使われました。
さて、教会に使われている膨大な量の分厚い金箔(すでに「箔」ではない)。どこから来たのでしょうか?
これについては現在の所、不明です。ただ、ポトシ銀山からの副産物だったのではないかと思います。銀山では、量は少ないものの金や他の貴金属も同時に産出します。
銀はさびで黒く変色するのに対して、金は変色せず光り輝いています。
ヨーロッパの古い小説を読むと、「銀製の食器を磨く」という文章によくお目にかかります。銀は磨く必要があるようですね。なにしろ、黒く変色するので。(銀、銀純度、sterling silver 925, 950)についてはカンクーンの記事で書いたと思いますのでそちらをご覧ください)
ところが、「金の食器を磨く」という文章は見かけません。教会の金の聖具も磨いたりなどしません。拭くだけです。
金は、全ての文明で高く評価されている金属です。光り輝く金属は他にもありますが、「さびない」ということが他の金属と違う点だと思います。
今も昔も、このさびない金属を巡って多くのエゴがぶつかり合いました。
教会の装飾に使われているのは金だけではありません。たくさんの宝石が使われています。どうしてでしょうか。それが、ルビーでもサファイヤでもかまわないのですが、当時入手できる「光り物」だったからではないでしょうか。そのほとんどは寄進によるものだと思います。
以前、たしかコスタリカの記事で書いたと思いますが、教会の建築デザインは光を重視しています。なぜ、教会の入り口は東に作られるのか。
「光り物」は人々の心を高揚します。そして惑わします。その光に惑わされ、虜になっている人もたくさんいると思います(うちの息子もその一人です)。
「色」とは、光の反射の程度を表していて、全く反射しなければ「黒」。さまざまな反射を考慮して教会の設計がなされました。
我々日本人にとって、彫像の聖人がその場所に置かれている意味を知り、理解することは困難です。しかし、教会内部の光のバランス、光による演出は、我々でも楽しめるのではないかと思います。その役者が光り物と言われる宝石や貴金属です。
古都スクレの建設当時、他の建築制約が一切ない中で、なぜ、東西南北に45度傾けて都市建設が行われたのかが疑問です。多くのスペイン入植地は東西南北を基準に都市の区画が決められています。ネコ師は、都市建設を行った(実質的)設計者の出身地の都市デザインに依っているのではないか、との仮説を立てています。これに関しても、一部、過去記事でご紹介しています。