今日はボリビア人のお宅にご招待頂き、楽しい夜を過ごしました。
一緒に招待を受けたのがデンマーク人2人。
初めて、デンマーク人と話しをしました(笑)。
デンマークでは、何語を話すのかと聞いたら、デンマーク語だそうです。この言語を話すのはわずか550万人。貴重な言語です。二人のデンマーク人のうち、一人はスペイン語が達者でしたが、もう一人はまだ勉強中ということで、時折、会話が英語に変わります。スペイン語が達者な人がもう一人の人に、重要な話題の時にはデンマーク語で通訳していました。
北欧の言葉は、興味深いです。
会話が突然、英語にかわると、ネコ師はとても困ります。聞く分には良いのですが、話す時には頭をたくさん使います(汗)。これはとても疲れます。今日の出席者は5人で、私以外は皆さん外国語に堪能なので、会話の言語がころころ変わります。さすがに、デンマーク語はでませんが。
今晩の会話の中で面白いと思ったのは、出席者(皆、親父です)の子供達が、外国語を勉強して、積極的に海外に出ようとしていることと、社会の秩序を重んじるように変わってきたということでした。
独自の言語を話すデンマークでも、外国語を話すのは当たり前。また、ボリビアでもたくさんの人が英語の勉強をしています。日本人が英語を話せないのは、単に学習方法が間違っているからです。日本語という特殊言語のせいにするのは教育者の責任回避です。明治時代には、女中までもが英語を話せました。今は、大学を出ても満足に話せません。外国語のソフトを見つけるとすぐに、日本語化というキーワードで探す状況です。つまり、読むことさえもできません。
こんなことを書くネコ師ですが、英語は苦手です。直ぐに日本語化というキーワードで探す典型的な日本人です。
今日、デンマーク人のスペイン語を聞いていて思ったのは、英語をスペイン語に翻訳して話しているということでした。スペイン語では使わない言い回しで話をしますが、非常に流ちょうに聞こえます。これだけ話せたらいいなぁ、思いました。明日から、スペイン語の勉強をもっとまじめにしたいと思います。
もう一つ印象に残ったテーマが「徴兵制」です。デンマークにもあります。多くの国にある制度ですが、平和ボケしている日本人には、なじみのない制度です。
「日本が外国から平和貢献の評価を受けず、ただ乗りしていると批判を受けている」と一部の煽動的なマスコミがかき立てますが、これは違うと思います。全世界の国民は、日本の治安体制になど全く興味がありません。当たり前のことですが(日本以外の国の安全保障体制を知っている人がいますか?)。一部の政治的に動いている人たちが声を大きくして言ったのを一部のマスコミが意図的に取り上げ、さも、世界の見解のように言っているだけです。しかし、これがしばしば政治的に使われています。「徴兵制」など無いにことたことはありません。しかし、理念と現実が当然違うのは子供でも分かる話で、大人として、どのように国を他国による侵略から守るのか、が課題です。
「太平洋戦争」と言えば、日本と米国を中心とした第二次世界大戦のことを思い描きますが、南米では全く別の意味で捉えます。ボリビア人は、「太平洋戦争(Guerra del Pacífico)」と聞いた時、1879年から1884年にかけて、ボリビア・ペルー同盟とチリの間で行われた戦争のことを想定します。
チリの侵攻が始まったこの日、ボリビア国民はサッカーの試合に興じていたという話しを聞きました。そのために防衛の判断が遅れたと。時代認識が違うのでと思うのですが、ボリビアではそう信じられているようです。この戦いで、ボリビアは大洋に面した国土を失い、内陸国となりました。
話は変わりますが、・・・。
デンマーク人の息子さんが軍隊に入ったそうです。そこで、制服のアイロンがけから始まりいろんなこと学び、軍隊から戻った時にはきっちりした性格に変わっていたそうです。
以前はどの国も皆兵制を採っていましたが、平和な時代が続いているので、各国政府は経費の節減のため様々な選択制を採り入れているようです。
もっとも面白かったのが、次の会話。
デンマーク人の息子「パパ、僕はパパをすごく愛しているし、ずっと一緒にいたいと思っているけど、18歳になったら都会に出て、別の生活をしたいと思っているんだ。許して欲しいんだけど・・。」
デンマーク人の父親「都会では、入れ墨やピアスがはやっていて、それが若者のステータスのようになっている。しかし、もし、おまえが入れ墨やピアスの穴を開けたりしたら、私も自分の体に同じことをするよ。同じ入れ墨を同じ場所に入れることにしよう」
・・・・・。こんな受け答えの仕方に感動しました。親なら、娘、息子に使えるフレーズかなぁと思いました(笑)。まあ、うちの息子達がピアスをしても、親父はピアスの穴を開けるつもりはありませんが。
私の嫌いな言葉に「自由主義」「保守主義」があります。この言葉は非常に危険な言葉だと思っています。社会の秩序をことごとく破壊する活動は「自由主義」に分類され、社会の秩序を維持しようとする活動は「保守主義」に分類されるからです。両極分化し単純化した用語はとても危険です。思想差別用語として使用を禁止、あるいは定義の明確化をしたらよいのではないかと思います。さらに「ネオ自由主義」という言葉もあります。
この視点で、世界史の『革命』時代をご覧になれば、これまでとは違ったものが見えてくるのではないかと思います。1809年にスクレで発生した「自由への叫び」と呼ばれる反乱は、まさに、このような視点で見る必要があります。「スペイン植民地で虐げられた民衆の反乱」と捉えるのは、いかにもマスコミ的な捉え方です。歴史は、そんなに単純ではありません。
世界遺産スクレの魅力は、単にスペインコロニアル時代の建物・町並みが保存されている、のではなく、その建物群の歴史とそこに生活していた人々の歴史だと思います。
このブログでは、スクレ市内について非常に淡泊な説明しかしていないのは、「準備中」だからとご理解下さい。
世界文化遺産スクレの魅力を知るには、歴史を知ることが重要です。
その歴史を知るには、スクレにとどまらず、本国スペイン、さらには、ペルー副王領、チャルカス・アウディエンシアなど、多くの時代背景を知る必要があります。
「古都スクレから世界を見る」というコンセプトで記事を書けたらと考えています。
このブログの読者の方が、スクレの歴史を知ることで、実は、15世紀から18世紀にかけての世界の動きを知ることができる、という記事構成にしたいと思います。できるかどうかは別の次元ですが。
もうひとつ、書き加えたいことが。
デンマークで世界的に有名な企業としてセメント企業があるそうです。初めて知りました。実はスクレにも関係があるのですが、今回は省略。オランダにしろデンマークにしろ、小さな国で、しかも国民も少ないのに、世界的な活動をしていることに改めて感心しました。これらの国は、日本でいえば県の規模です。ということは、・・・。