スクレ観光の最大の行事がグアダルーペ祭。毎年9月8日の「グアダルーペの聖母の日」のある週末土曜日に盛大に開催されます。今年は9月11日に開催されました。
昨年のグアダルーペ祭では、踊り子たちのミニスカートに目が眩み、写真ばかりをアップしたネコ師ですが、今回は冷静にご紹介したいと思います。
グアダルーペの聖母は、世界遺産のスクレおよびチュキサカ県の守護聖人とされています。
その祭典では、ボリビア国内から集まった6,000人もの踊り子たちがダンスをしながらパレードをします。この地の伝統では、このパレードへの参加者は連続して3年間参加する約束となっているそうです。
【「グアダルーペの聖母」という名称について】 グアダルーペの聖母と聞くと直ぐに思い当たるのがメキシコのグアダルーペの聖母。これについては、たくさんの記事がネット上にありますので、そちらをご覧下さい。概略は以下のようなものです。
メキシコのグアダルーペの聖母は、1531年12月9日から12日にかけ4回、メキシコシティ近くに住むインディオ フアン・ディエゴの前に現れたとされています。この出現はローマ・カトリック教会が公式に認めている聖母出現のひとつだそうです。なぜ、「グアダルーペの聖母」というかというと、出現したマリア様が自ら、自分のことをそう呼んで欲しいと言ったのだそうです。
最後の出現のあった12月12日は『グアダルーペの聖母』の祝日とされ、毎年、何十万人ものカトリック信者たちが、グアダルーペ寺院での祝福のミサに参列するのだそうです。
まあ、聖母出現の真偽のほどは脇に置いといて、「では、グアダルーペとは?」という疑問が生じます。出現の場所が「グアダルーペ」という書き方をしている記事を見かけますが、違うように思います。聖母出現の場所は、現在のメキシコシティから北に7Kmほどのところにあるグスタボ A. マデロ(Gustavo A. Madero, D. F.) 地区のテペヤック (Tepeyac)の丘だそうです。
この「グアダルーペ」とは何かと調べてみると、元々はスペインのエストレマドゥーラ州にあるグアダルーペという地名から来ています。ここにある13世紀後半に建設された「サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院 (Real Monasterio de Nuestra Señora de Guadalupe)」は1993年、世界遺産に登録されています(現在の建物の主要部分は15世紀のものです)。この場所で聖母像が見つかり、それを安置するため修道院が建てられました。新大陸が「発見」される2世紀も前のことです。
この本家の修道院は、フランシスコ会と関係が深いのではないかと思います。1492年、コロンブスはアメリカを発見した後、最初にこの修道院に巡礼し、神に新大陸発見の報告と感謝を捧げました。なぜフランシスコ会かというと、コロンブスはフランシスコ会士であったと言われていること、さらに、航海の支援をスペイン国王に求める時、フランシスコ会士がその仲介を果たしたと言われているからです。一介の商人であったコロンブスが2度も国王に謁見できたのですから、その仲介者の存在がキーポイントになります。そして、スクレの修道院のおもだったものは、フランシスコ会修道院です。ラ・レコレタ修道院もしかりです。
大航海時代のスペイン人の多くは、このグアダルーペの聖母を信仰しており、それが新大陸に広がっていったものと考えられます。
なぜ、私がこの「グアダルーペ」にこだわるのかというと、実は理由があります。
この「グアダルーペの聖母」の出現の話は、以前私が住んでいた中米コスタリカにもあります。そこでは黒いマリア像が祭られ、やはり教会が建てられ、「グアダルーペの聖母の日」が定められています。
そして、南米ボリビアのスクレで「グアダルーペ祭」が毎年開かれるのです。不思議でした。そして、誰も「グアダルーペ」について知りません。
【スクレのグアダルーペ祭】 パレードには、民俗衣装に身を包んだ約6000人の踊り子たちが参加し、スクレとチュキサカ県の守護であるグアダルーペの聖母に捧げます。今回の参加グループは、民族合同協会(Asociación de Conjuntos Folclóricos)に加盟する53の団体。
例年、踊り子たちの泥酔によるトラブルが問題になっていることから、協会は、「行き過ぎ行為があった場合」、警告、罰金の徴収、または1~2年間の出場停止の処分を決定しました。
毎年、パレードが遅延し、昨年の場合、最後のグループが踊り終えたのは明け方4時近くだった反省から、今年は大量の人員を配置し、3色の旗で進行をコントロールする方法が採られました。(緑:順調、黄色:遅延、赤:ペナルティ)。 この効果もあってか、今年のパレードは1時前に終了しました。
パレードに参加するグループの規模は、最低50人、最大500人と大規模なもので、5000〜6000人の踊り子たちが参加したようです。グループは、スクレの他、ポトシ、コチャバンバ、ラパス、サンタクルスからも参加しています。
【歴史】 チュキサカ県の守護聖人として称えられているグアダルーペの聖母は、住民に対するカトリック信仰の象徴として位置づけられています。スクレ市役所が収集した歴史文献によると、この宗教行事が始まったのは17世紀初頭に遡ります。
グアダルーペの聖母マリアの肖像は、中心部に金のプレートが埋め込まれ、周囲は銀製の板で作られています。その上に聖母マリアの御顔と手、そして子イエスが見えます。衣装には後の時代になって寄進されたたくさんの宝石が飾られています。その価値は算出できないとまで言われています。ポトシ銀山の栄華を伝える奉納品です。
台座のアップです。
8月30日には、この像が年に一度だけ外に出ます。これを御輿にして市内を練り歩きます。何しろ銀製なので、相当な重さがあり、担ぎ手たちは必死です。
【伝統的儀式】 聖母の祭りの前に、スクレ-タラブコ間の街道沿いにある「エル・アブラ礼拝堂(Capilla del Abra)」で宗教儀式が執り行われます。その後、オルーロのモレナーダと比べてシンプルな衣装を着てタンタ・モレノス(t’anta morenos)を踊ります。当地の歴史学者によれば、タンタ・モレナスの踊りの振り付け、音楽は、現代のモレナーダとは完全に異なるものだそうです。
たとえば、登場人物には、ニワトリ、虎、猿、老人がおり、卑猥な言葉を使って真似をします。もちろん、24の悪魔と大天使ミカエル、そして女鬼(China Supay)もいます。
ディアブラーダ(DiabladaまたはDanza de Diablos:悪魔の踊り)という踊りもあります。これは、アンデス高原の伝統的な踊りで、踊り子たちは、けばけばしい悪魔のお面と衣装を身につけて踊りながら行進します。この踊りはスペイン植民地時代に始まり、聖母に屈服した悪魔をイメージしたものだそうです。祭りはsicurisが伴います。sicurisって何? 分かりません(汗)。
【グアダルーペ祭2010】 今年のグアダルーペ祭のパレードの写真をアップします。
今日は、記事を書く方に時間を費やしたので、写真は10枚だけです。
今回の写真は、皆きれいに撮れていると思います。なにしろ、手振れ防止機能が優れたNIKONの望遠一眼レフで三脚を使って撮影しています。
次回から、ビデオ版をアップします。音が入ると臨場感が伝わるのではないかと思います。爆竹やら爆煙やら、けたたましいブラスバンドの奏でる独特の音楽など、・・・。
ホテルの予約は、
『agoda』というインターネット格安ホテル予約サイトが便利です。
参考URL
http://www.entradasfolkloricas.com/2010/09/sucre-se-vuelca-la-entrada-folclorica.htmlhttp://www.mysnco.com/2002-11.htmlhttp://www.d-b.ne.jp/mikami/guadalup.htmhttp://antiquesanastasia.com/religion/references/virgin_mary/apparitions/guadalupe_en_mexico/general_info.htmlhttp://antiquesanastasia.com/religion/references/virgin_mary/apparitions/guadalupe_en_mexico/general_info.html