2010年08月31日

スクレの観光ツアー

 世界遺産スクレにはたくさんの外国人観光客が来ます。国によって観光旅行の目的が違うようです。

 日本人観光客は(うちの子供たちを見ていて思うのですが)、お土産買い、そして駆け足の史跡巡り。インターネットにアップしているボリビア旅行記を見ても、駆け足の旅行というのがひしひしと伝わってきます。

 そこで、スクレ観光には別の楽しみ方があり、外国人観光客の一部はそんな旅をしているということをご紹介したいと思います。

 スクレのど真ん中、5月25日広場(Plaza 25 de mayo)の角に「JOYRIDE」というスクレ市内及び近郊のツアーを企画するツアー会社があります。普段は店の前を通るだけでしたが、息子たちがスクレに来たので、店に入ってみました。いろんな観光ツアーがあり面白いなあと感じました。いつも外国人観光客で一杯です。

 この旅行社が企画しているツアーの一部をご紹介します。

 まず、標高3,000m以上の高地を駆け巡るトレッキング。これはいろいろな難度が設定されています。私は絶対参加しません。

 他には、乗馬。これは面白そうです。ネコ師は仕事で、二日間で12時間も乗馬したことがあります。パラグアイでのことです。馬以外の移動手段がなかったためですが、結構大変でした。まず、両足を締めていないと落馬するので、内ももが痛くなります。重要なのは「鐙(あぶみ)の長さ」。これが適当な長さに調整されていないと足がだるくなります。馬から降りた時に立てなくなります。足の自重はかなりのものなので、鐙にその重みをかけることになります。仕事ではなく、ゆっくりと乗馬できればいいかなぁ、と思いました。ただ、日曜日は、馬を休ませるためにツアーは受け付けないのだそうです。

 次に、自転車とバイクによるツーリング。これも楽しそうです。自転車の場合、難易度別に3つのコースがあります。基本的には、トラックで自転車をスクレ郊外まで運び、そこからスタートします。簡単なコースは、ずっと下り坂。難しいコースは、アップダウンのコースを8時間も走るというもの。聞いただけでいやになりそうなコースです。ゴムボートによる渓流下りもこのツアーに含まれています。

 バイクのコースは楽しそうでした。機動力を活かし、野山を駆け巡るコースです。日本の免許証を持っていれば乗れるのだそうです。

 この他に、アンデス渓谷のロッククライミング、パラグライダーなど、さまざまなツアーがあり興味津々でした。

 せっかくボリビアまで来たのだから、「有名な観光地は見ておかなければ」と思う人と、せっかくボリビアまで来たのだから、「普段できないことをやりながら楽しみたい」という人がいるように思います。前者は日本人観光客です。

 「神様」は人間に、時間だけは平等に与えられました。しかし、その使い方は個人にゆだねられています。せっかくボリビアまで来たのだから「楽しまなくちゃ」というのが国籍を問わず観光客全員の気持ちだと思います。

 「世界遺産スクレは、白い街、古い教会がたくさんありました、学生がたくさんいました、食べ物が美味しかったです、○○のお店で安く買いました、××の街角で出会った人はとても親切でした」などなど、「地球の歩き方」にあるような旅行記やコメントを見ると、・・・、なんか違うんではと思います。「心から楽しみました」ということがもっと全面に出るような、そんな旅行を企画できたら良いのではないかと思います。

 世界遺産の古都スクレを知るには、歴史を学ぶことが重要だと思います。なぜ、フランシスコ会修道院がたくさんあるのにイエズス会修道院が一つもないのか、そもそも修道院がどうしてたくさんあるのか、なぜ、修道院が地下トンネルでつながっているのか、ポトシ銀山の発見前にどうしてスクレ(チャルカス)に町が築かれ「Ciudad de la Plata(銀の町)」と呼ばれたのか・・・。

 この疑問は、実はネコ師の疑問です。理由が分かったものもありますが、分からないこともたくさんあります。そこが世界遺産スクレの魅力の一つなのかも知れません。

 このブログの世界遺産スクレに関する記事は、これらの疑問をひとつひとつ解き明かしていくことに重点を置いています。そういう視点で『世界遺産スクレ2010』のカテゴリーに分類されている記事をご覧いただけるとうれしいです。


 
posted by ネコ師 at 15:05| Comment(0) | 世界遺産 スクレ市 | 更新情報をチェックする

2010年08月30日

スクレは暖かくなってきました

 標高2,850mの世界遺産スクレは、年中温暖な気候と言われていますが、やはり冬は寒いです。

 しかし、ここ数日、暖かい日が続いてほっとしています。世界遺産のスクレを訪れる外国人観光客がかなり増えてきたように思います。このまま暖かくなってくれればよいのですが。

 私が今住んでいるホテルの部屋は、以前、このホテルの支配人(女性)が住んでいた部屋です。この女性は、現在、アルゼンチンに出稼ぎに行っていて、9月末に戻ってくることになっています。彼女は家を持っているので、この部屋に戻ってきて、私が追い出される心配はありませんが。

 この女性(たぶん、45才くらいのおばさん)は、暑いのが大嫌い。私は今いる部屋が快適なのですが、彼女にとっては灼熱地獄だったそうです。フロントにいるときも、いつも扇風機を回していました。

 昨年の暮れに、彼女からアメリカに旅行すると聞いて、「どこに?」と聞き返したら、なんとシカゴ。真冬のシカゴは恐ろしく寒いと聞いたことがあり、それを言うと、「寒いのが大好き! 寒いから行くの揺れるハート」とのこと。どういう体をしているのかと疑問に思いました。

 海外旅行をしていると、空港で奇妙な光景に出くわします。それは服装です。防寒着を着込んだ人もいれば、半袖の人もいます。別々の地域から来たのだから当たり前なのかも知れませんが、体質の違いもあるのではないかと、この女支配人の話を聞いて思いました。

 私は寒がりなので、できれば暑い所が良い。でも、それは程度問題。

 パラグアイで仕事をしていた時、あまりの暑さに気分が悪くなったことがあります。日陰にいても暑くて暑くてどうしようもない感じでした。

 ブラジルのマナウスも格段の暑さでした。熱い重厚な大気を着込んでいるような、そんな感じでした。

 でも、寒いのよりはまだましです。寒さで困ったのがウユニ塩湖。ここは本当に寒いです。スクレの中古市場で買ったフェザーのジャンパーが全く役に立たないくらい寒かったです。このため、日本から本物のフェザーのコートを持ってきました。

 今年1月にウユニに行った時にも完全防備で現地入りしました(ウユニ塩湖シリーズの記事をご覧下さい)。この時はとても暖かい日が続き防寒着は必要なかったのですが、準備は大切です。

 スクレはこれからどんどん暖かくなっていきます。そして、ネコ師が14時間も街頭で踊り子たちの写真を撮影し続けた、あの「グアダルーペ祭」を迎えます(過去記事をご覧下さい)。来月です。

 今回は、日本から30倍ズーム一眼レフの新しいカメラを買ってきたので準備万端。また、大量の写真を撮ろうと思います。
posted by ネコ師 at 14:12| Comment(0) | 世界遺産 スクレ市 | 更新情報をチェックする

2010年08月29日

高山病って慣れるの?


 今日は、ボリビアと聞いたら気になる「高山病」について書きたいと思います。
 ボリビア、ペルー、チリに跨がるアンデス地域は、標高3,000m~4,000mの高地に位置しています。そこで旅行者にとって心配なのが『高山病』です。

 飛行機の中は加圧しているので安心、と思いきや、ボリビアの首都ラパスに着陸する時には減圧していて、機内はほぼラパスの大気圧で着陸します。着陸してから減圧しているのではありません。減圧しないと、着陸して飛行機のドアを開いた瞬間にドアが吹き飛ぶことになります。

 高地に行っても何ともない人もいれば、重い高山病に罹り、生死を彷徨う人もいます。高山病は非常に危険な病気で、重い症状になったらすぐに低地に移動しないと死亡してしまいます。

 私が最初にラパスに行ったのは7年前でした。それより3ヶ月前に標高2,850mのスクレに到着した時には全く体調の変化はなく、その後しばらくしてから標高4,000mのラパスに移動しても全く平気でした。このため、スクレの標高に慣れてからラパスに行ったために高山病にならなかったのだと思いました。そういえば、高地トレーニングで標高に慣れるというのを聞いたことがあります。

 ところが、その後、ラパスに行くたびに高山病になるようになりました。風邪をひいた時のように目の周りが重く、呼吸も苦しくなります。スクレに1年滞在していても、ラパスの標高には全然適応できなかったということです。ラパスに行くたびに高山病の症状がかえって重くなるように思います。

 実際、スクレの人たちも、標高4,000mのポトシに行くと高山病になると言っています。最初は信じなかったのですが、自分も同じ症状になったので今は信じています。

 日本のどこかの大学の研究者がボリビア人が高山病にならない理由を調べたレポートを読んだことがあります。その結果は、「ボリビア人も慢性的な高山病の症状を示している」というものでした。やはり、人間は、低酸素の高地にはなかなか順応できないようです。

 人間の脳細胞は生まれた時から増えることはなく、どんどん崩壊していく一方なのだそうです。酸素が薄いとその崩壊速度が速まるそうです。

 私が滞在しているスクレのホテルには、酸素ボンベは置いていません。ホテルにはたくさんの外国人観光客が来ますが、酸素ボンベを必要とするほどひどい高山病の症状を示す人はいないということです。

 私の同僚に、標高に弱く、3,000mを超すと体調が悪化する人がいました。スクレの2,850mは比較的平気で、サッカーもできるのですが、3,000mを超えると急に体調が悪くなるようでした。まさに人間高度計のようです。わずかな標高の違いが高山病に大きく影響しているようです。

 よく酸素濃度という言葉を耳にします。大気中の酸素濃度は21%です。ところが、高地の場合は、この「濃度」という概念は通用しません。濃度という概念は割合を示しているだけで、量は示していません。酸素の割合が少なくなれば、他のガスに置き換わっているということですが、高地の場合は、大気圧が低いために、酸素の絶対量が低くなるのが問題です。高地での大気の酸素濃度が21%があったとしても、量が少ないので呼吸が苦しくなります。

 1枚のピザを3人で分ける場合を考えてみて下さい。もともとの1枚のピザの大きさが半分になった時、「一人あたりの割合は1/3だから同じだよ」、と言われても、食べる量は半分になります。酸素の絶対量が、標高3,000mおよび4,000mを境に人間に大きな影響を及ぼしているのではないかと思います。

 グアムでスキューバダイビングの免許を取得したのですが、私の潜水中の空気の消費量は一緒に潜った息子たちの倍でした。ちなみにダイビングで使うボンベの中身は圧搾空気で、酸素ではありません。海育ちのネコ師は素潜りの潜水には慣れているのに、スキューバダイビングは別ものでした。呼吸できないかも知れないという不安感は、自分の意志で息を止めて潜る素潜りとは全く異質のものです。これが空気の消費量を増やした原因です。

 高地の低酸素状態はこれに似ているなぁと感じています。

 太古の時代、地球上の酸素濃度は今よりも高かったと言われています。植物が大地を覆い尽くし、大量の酸素を生産していたためかも知れません。そんな時代に生きた動物たちは巨大化していったのではないかと思います。

 酸素を多く取り入れれば良いというわけではありません。過呼吸症になります。
 普段は何気なく行っている呼吸ですが、なかなか奥が深いです。


posted by ネコ師 at 17:17| Comment(0) | ネコ師の独り言 | 更新情報をチェックする

世界遺産 大ピラミッド建造の謎の解明に挑む【追記します】

 
 2年以上前に書いた「世界遺産 大ピラミッド建造の謎の解明に挑む」という記事に追記しようと思ったのですが、長くなったので、新しい記事としてアップすることにしました。

 クフ王のピラミッド建設方法で新たな説が唱えられています。その一つが、Houdinという建築家が提案する「内部トンネル説」です。この説の特徴は、ピラミッドの上三分の二はピラミッド内部に造られたトンネルで石材を運んだというものです。今回は、この説の可能性を検証してみたいと思います。

 内部トンネル説については、『ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!』様の記事を参考にさせて頂きました。この記事の完成度には正直驚きました。ありがとうございました。

 このトンネル説は、提案としては面白いのですが、理論が自己矛盾しています。直斜路ではなく、トンネルを造る理由で自己矛盾しています。そのほかにも、他の工法を否定する理由に挙げたことを、自分の工法では検証していないという、根本的な矛盾を呈しています。ただ、仮説としてはとても興味深いものです。それゆえ、なぜ、この仮説が成立しないのかを説明しながら、この手の「専門家」と称する人たちの言葉を信用してはいけない、ということを書きたいと思います。 

 まず、トンネル作業はとても大変な作業で、できることなら避けるべき工法です。明かり作業がどうしてもできない場合だけトンネル作業を行うと考えるのが常識です。

 直斜路を造れば1.6Kmで済むのに、内部トンネルを1.6Kmも造る理由が分かりません。トンネル作業はとても危険です。狭い上、換気も重要になります。多くの作業員が入るわけにはいかないと言うことです。トンネル工法は天候に左右されない、という発想は雨がある地域の話です。年間降水量が9mmしかないカイロでは、土木作業上心配する天候は砂嵐くらいです。

 大人数が閉鎖環境で作業をするには、換気はとても重要です。荒天の日も作業できるというトンネル説選択理由は説明になっていません。砂嵐の時にも、トンネルの内部で石の運搬が可能としていますが、それは不可能です。砂嵐の時には砂(呼吸器に入り込む微少な砂塵)が入り込まないよう入り口を閉めなければなりません。つまり換気ができないことになります。運搬作業はトンネルの内部だけでできるわけではなく、外部にも人が必要になります。砂嵐の時には、そもそも現場まで行くこともできません。

 炎天下の作業を避けることができる、というのもおかしな説明です。狭いトンネル内部に数百人の作業員が入って石の運搬作業をしたら、とても暑く息苦しいものになります。現在、クフ王のピラミッドへの観光客の入場は、換気の関係で100人に制限されています。

 表面の傾斜路は危険という説明は、全く矛盾しています。トンネル作業の方がはるかに危険です。石が滑り落ちたら逃げ場がありません。下方にいる作業員は全員死ぬことになります。

 表面に傾斜路を付けると測量できないとか、その重量でピラミッドがゆがむという説明も矛盾しています。トンネルの測量の方がはるかに難しいということです。測量の基本は、「見通す」ということですが、トンネル内部ではこれができないためです。傾斜路の重みでピラミッドがゆがむというのなら、反対側にカウンター盛り土をすればよいだけの話です。

 前回の記事で書いたように、無尽蔵にある「砂」を使うということを考えていない発想は、私には奇妙に思えます。数十キロも離れた所から石材を運んでくるのに、わずか数百メートルの運搬距離の延長を理由に直斜路方式を否定している理由が理解できません。

 トンネル方式の運搬は、カーブの作業が増え、さらに、運搬距離も増えます。メリットは一つもありません。

 最後に、この説の致命的なものをご紹介します。トンネルを埋める、あるいは塞ぐ方法がない、ということです。そのための石材をストックしておく場所がありません。塞ぐ作業をした作業員が抜け出す通路もありません。

 大回廊の入り口は、上部から落とされた石でふさがれています。しかし、建設の最後段階に、石材運搬用の長大なトンネルを塞ぐ石材を運搬する方法はありません。外部に仮設道路が無いわけですから、ピラミッドが全て完成した時でなければ、すなわち、キャップスートンを運搬、設置した後でなければトンネルを塞ぐことはできません。

 ピラミッドが完成してから、トンネルを利用して石材を運び上げ、上から順番に塞いでいったのでしょうか。大回廊のように、落とし込みで塞ぐ石をストックしておく場所はありません。そもそも量が全く違います。

 では、塞がなかったのでは? もしそうだとすると別の問題が発生することになります。それはトンネルの強度と材質の問題です。ピラミッドの内部は固い花崗岩、外部は石灰岩でできています。トンネルを塞がないということは、強度を持たせるために、トンネル全体を全て花崗岩で造ることになります。仮設のトンネルであったとしても天井の梁材は石灰岩ではなく花崗岩を使う必要があります。

石材を運ぶために必要なトンネルの幅は、少なくとも3メートル近いと思います。石をのせるソリは、長くできません。カーブを曲がるためです。ということは、幅を広げて石の荷重を分散させることになります。このため、石材の幅よりソリの幅はかなり広いものになります。

 固い花崗岩を使ってまで石材運搬用のトンネルを造るメリットがあるとはとても思えません。石の切り出しにかかる作業量が全く違います。

 幅3メートルのトンネル天井を支える梁材は、どうやって運んだのでしょうか。カーブはどうやって曲がったのでしょうか。このトンネル仮説は、もっともらしいのですが、実行は不可能です。

 しかしながら、この説で興味深かったのは、大回廊を運搬トンネルとして使ったというものです。これは本当でしょう。これほど運搬に適した施設はありません。しかし、大回廊の建設目的は、石の運搬用トンネルではなかったと言うこともはっきりしています。石材運搬用トンネルのために、あれだけ精巧な回廊を造る訳がありません。大回廊は別の目的で造られたものです。トンネル運搬説の根拠にはなりません。

 もう一つ興味深かった点は、トンネルが実際にあるということです。ただし、石材運搬のためではなく、別の目的のために造られたものだと思います。現在見つかっているトンネルは小さなものです。とても石材は運べません。

 では、このトンネルは何のために使われたのでしょうか。

 ナスジオの調査隊が昨年、トンネルを塞ぐ石に穴を開け、ファイバースコープで覗くというドキュメンタリーを放映していました。この番組を見ていて不思議だったのは、トンネルを塞ぐ石は、トンネルが完成した後にはめ込んで塞いだものではなく、周囲と一体化しているということでした。ということは、ピラミッド建設中に周りの壁と一緒に塞いだことになります。でもそれではトンネルの役割を果たしません。水平のトンネルのため、上部から石を落とし込んで密着させる方法は採れません。

 私の想像ですが、これらのトンネルは、ピラミッドの本来的な構造の一部として造られたのではないかと思います。吉村先生の唱えるように永遠の生命を得るための装置の一部だったのではないでしょうか。王の玄室から螺旋状にエネルギーがキャップストーンに上昇していくための通路として、象徴的な意味合いで造られたものではないでしょうか。人が通るわけではないので、部分的に建設段階から塞いでしまうのはこのためではないでしょうか。

 この説を採れば、このトンネルは、運搬用としては一度も使われていないことになります。なにしろ、造りながら途中を塞いでいくわけですから。

【ピラミッド関連の過去記事】



世界遺産 大ピラミッド建造の謎の解明に挑む



クフ王の玄室はピラミッドの地下か?



posted by ネコ師 at 13:41| Comment(0) | なぞの解明 | 更新情報をチェックする

外国の病院で治療する

 喉の痛みが1週間経っても治まらないので、ついに病院に行ってきました。

 注射2回と抗生剤を処方されました。医師にアレルギーがあるかと聞かれ、色々あるのでどれにアレルギーがあるかは知らない、と答えると、処方箋に「要アレルギー検査」と書かれました。

 このアレルギー検査。ちょっと変わっているのでご紹介します。

 病院内の薬局で、注射器、薬液、錠剤を購入し処置室へ。看護師は、薬液を注射器に入れ、注射器の先から針を外して持ってきました。

看護師 「アレルギー検査をします。この薬液を目に1滴たらします」

 これには驚きました。確かにこの方法が一番確実で早く分かるのでしょうが、「アレルギー反応を起こしたらどうするんだ!」というのが、その時の気持ちです。なにしろネコ師のアレルギーで最もひどいのは目薬のアレルギーなので、目薬でもない薬液を目に入れるなど到底考えられないことでした。

 そこで、「いやだ」と言ったら、じぁあ、注射はできない、と言われてしまい、仕方なくこの薬液を目に入れることになりました。やはり患者は弱い立場です。

 薬液を1滴、目に入れ、目を閉じてしばらく待ちます。待っている間、心臓がどきどき。
 1分ほどして目を開けると、上下左右を見ろと指示され、そのとおりやったら、アレルギー反応は見られず、この薬品ではアレルギーを起こさないことが無事証明されました。

 しかし、病院を出て2時間くらいは不安でした。以前、眼底を検査するために瞳孔を開く目薬で劇症型のアレルギーを起こし、大変な目にあったことがあるからです。それも二度も同じ目に遭いました。顔がパンパンに腫れ上がり、目の中に出血が起こり、血が眼球の中でタポンタポン、とたまっています。治るのに1ヶ月もかかりました。でも、今回は、無事に済みました。喉の方は相変わらずです。

 病院の治療を見ていて、中国に行った時のことを思い出しました。
 中国の安徽省という所に行った時のことです。時は1月。中国の冬はとても寒いです。

 田舎に行く車の中で腹痛になりました。原因は前の晩に北京で食べた魚介類だと思います。
 田舎の病院に行って診察を受けました。医師に、「風邪だろう。着込み方が足りない」、と言われました。「おいおい、腹痛のためにきているんだぞ」、と思いましたが、仙人のような医師にはとても逆らえません。診察が終わり、薬を処方してくれました。

 ところが、処方された薬を見てびっくり。注射用のアンプルでした。これを飲むのだそうです。
 確かに体に入るのだから同じか、とも思ったのですが、ひどい腹痛と下痢で思考能力が低下していたので、そのまま言われたとおり飲むことに。

 ところが、このアンプル。どうやって開ければいいんだろう? 開け方が分かりません。通常、アンプルは、ガラス切りで傷が付けられていて、そこからパキンと折れるはずなのですが、折れません。割れると怖いので、タオルで包み、力一杯やってみても折れません。なんなんだぁ、この頑丈なアンプルは!

 そこで仕方なく、ドアの角にぶつけて割ることにしました。ガラスのかけらが入らないように注意して割りましたが、これを飲むのは勇気がいりました。

 この薬が効いたのかどうか分かりませんが、無事、腹痛も治まりました。
 
 
 話は、今回の注射に戻ります。

 注射はお尻に打ちました。日本では今はこの方法は採らなくなったのではないでしょうか。足の神経が麻痺する症例が出たことが原因だったと思います。日本では、腕に打っても良いのですが、こちらの注射はお尻でなければ痛くて大変だと思います。日本の注射針は優れもので、こちらの人に見せると驚くようです。

 お尻に打つ注射は、日本ではベッドの上にうつぶせになって打ったと思いますが、こちらは違います。スーパーの着替え室のようなブースの中で、ズボンだけ下げて、立ったままの状態で打ちます。片方の足を曲げ、そちら側のお尻に打ちます。

 なるほど、と思いました。

 実は、これも不思議に思っていたことの一つでした。以前、薬局に薬を買いに行った時のこと。先客の若い女性がなにやらたくさんの薬を購入していて、薬剤師がそれらを注射器の中に次々と入れていきます。5種類はあったと思います。

 その後、この客と薬剤師は、店の裏側のカーテンの陰に消えていきました。お尻に注射すると行っていたので、その時は、この奥にベッドがあるのだろうと思っていました。今回、違うということがわかり、勉強になりました。

 薬局で注射するということも日本とは違うので、軽いカルチャーショックを受けました(笑)。
posted by ネコ師 at 08:19| Comment(0) | 海外旅行を楽しむ | 更新情報をチェックする

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