2010年04月30日

インカ時代の『幻の壁画』の最新情報


 世界遺産の古都は、やはり奥が深いです。

 スクレの旅行会社のツアーの中に、トレッキングツアーがいくつかあります。日本人はまず利用することはないでしょうが。

 スクレから1時間半くらい行ったところに、インカ時代の壁画があります。場所はスクレ市第8地区トゥンペカ集落パトトロジョ区です。

 旅行会社のツアー企画では、その壁画にたどり着くために渓谷地帯を2時間歩かなければなりません。ところが、今月、新しい道路ができたので、壁画まで30分で行くことができるようになりました。旅行会社でさえ知らない情報です(ちょっと特殊な事情があり、この道路のことは誰も知りません)。

 というわけで、今日はインカの壁画をご紹介・・・したかったのですが、残念ながらたどり着けませんでした(トホホ)。

 集落の人がいないので、適当に登っていったのですが見つけることができませんでした。降りてきたら集落の人に会って、やっと壁画の正確な場所が分かりました。今度こそたどり着きたいと思います。

 以前は、別の道路から入って車を降り、行きだけで2時間も渓谷地帯をトレッキングしなければたどり着けなかった幻の壁画ですが、今は(今月から)30分、山登りをするだけでたどり着くことができます。現地の人なら15分で登ると思いますが。新しい道路からすぐ近くに見えます。しかし、なにしろ標高が3,150mくらいあるので、近くに見えても外国人には登るのはしんどいです。

 次回、この『幻の壁画』をアップします。かなりスケールの大きな壁画のようです。ネットで見たことがないので、世界初公開かも。お楽しみに。私も楽しみにしています。

 現地の人に由来を聞いたのですが、すでに記憶は失われていました。もしかしたら、古老は知っているかも。

 (今日は、周辺の写真をアップできませんが、後でこの記事に追加しておきます。なかなか風光明媚で、気持ちの良い場所です)。

追記 2010年4月30日

 追記です。お約束の周辺の写真をアップします。

 ここが道路の終点。登り口の周辺の風景です。
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 「インカ道」のような石組みの階段があります。15分くらい登ったところです。
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 げげっ、道がない! ここを登るのかと思うと心臓がばくばくしてきます。
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 ここを壁のようになっている岩まで登っていきました。実際にインカの壁画があるのは、写真に写っていませんが、この右側の沢でした。
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 これも振り返ったときの景色です。
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 私たちは一つ沢を間違えて登ったようです。インカの壁画があるのは、写真中央の茶色の岩肌が見えているところです。
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 少し小高い丘を越えるとパタトロジョの集落が見えてきます。ここには4戸の農家があります。
 先月まで道路もなく陸の孤島のようなところでしたが、不思議なことにこの4戸の農家には、上水道と水洗トイレ完備です(笑)。不思議でしょう?

 なぜこんなことになるのかと言えば、ここがスクレ市の水道の水源の集落だからです。たぶん、補償工事で造られたのだと思います。(「スクレの水は怖い」という過去記事を関連記事としてご覧になるとよく分かります。)
patatoroyo07.jpg


 トレッキング・ツアーの人たちは、この山の向こうから2時間かけてやってきます。健脚でないととても無理だということが分かると思います。標高3,300mはありそうです。新しい道路からだと相当近いのが分かると思います。
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 インカの壁画は、今度アップします。

posted by ネコ師 at 16:39| Comment(3) | 世界遺産 スクレ市 | 更新情報をチェックする

2010年04月28日

世界遺産の古都スクレで充実した生活?


 いや~ぁ、古都スクレで、すっかり充実した生活をしているので、ブログの更新を忘れていました(真っ赤な嘘です)。

 最近、また、全然食欲がない症候群になったので、これはやばいとばかりに、ミキサーとジューサーを買いました。これで、ビタミンの補給はできます。

 こちらの果物は何でも安いので、ジュースにするのが良いように思います。

 最初、ジューサーを買ったのですが、バナナはジュースにならない!
 そこで、別にミキサーを買う羽目に。でも、この二つの機能は別なので、2台あっても良いかなぁ、と思っています。どうせ日本の半額程度で買えますから。

 ところで、先日買ったイチゴ。たぶん農薬が満載状態です。イチゴは日持ちしない野菜の代表ですが、なんと、スクレで売っているイチゴは、10日経ってもまだまだぴんぴんしています。

 その一部をコンデンスミルクと牛乳を入れて食べたところ、口の中で強烈な異臭・異味がします。明らかに農薬です。イチゴの虫食いの穴の中に農薬の固まりが残っていたようで、洗っても取れなかったみたいです。

 やはり、開発途上国の野菜・果物は、これがあるから怖いです。
 イチゴはすぐに吐き出したから、体調不良はないのですが、あのまま食べていたら、中国産毒入り餃子の二の舞かと思いました。いつまでも口の中に化学薬品の臭いが残っていました。

 最近のトピックと言えば、部屋が変わったことです。先々週末、(同じホテルの)別の部屋に引っ越しました。

 ネコ師は(専門ではないのですが)、たくさんの電子機器を持っているので、それが紛失したり故障したりすると仕事にならないので気を遣いました。

 ホテルの従業員が引っ越しの手伝いをしてくれるのですが、・・・、こんな時に、思わぬ事故が起きるのを経験済みなので、・・・・、細心の注意を払って引っ越しの準備をしました。ただでさえ、パソコンのトラブルで膨大な時間を損失しているので、これ以上のトラブルはごめん被りたいというのが心境です。

 今度の部屋は、通りに面していて、窓もあるし、中庭もあるしで、とても快適です。前の部屋には、外気に接するような窓はなく、ほとんど『熊の巣』状態でした。コロニアル建築なので、窓が極端に少ないのは仕方がないのですが、長期滞在するのには堪えます。

 新しい部屋は、風通しも良く、夢のようです。前の部屋では、ホテルの外に出るまで、「今日は寒いのか暑いのか」がわからない状況でした。部屋の中はいつも同じ温度なので、快適と言えばそういえるかもしれませんが。

 別な見方をすれば、コロニアル様式の建造物は、外気温の変化の影響を受けにくいともいえます。

 でも、日本人にとっては、太陽と窓と風が必要だと思います。
 今度は、中庭で、魚の干物でも作ろうかと思っています。

 サンタクルスでチリ産の生鮭が入手できるのですが、冷凍のため、味が変です。こんな時は、塩を振り、天日で1日程度乾燥させるとおいしくいただけます。これがやっとできるようになりうれしいです。料理に幅も広がります。魚関係は、太陽光が利用できるのとできないのとでは、全く違います。発酵と腐敗の違いといえばわかりやすいかもしれません。

 前述のチリ産の鮭をそのまま焼いたのでは、「いやな味」がします。冷凍技術も影響していると思いますが、解凍すると、鮭の表面は「とろとろ」に溶けています。これが食味を悪くしていると思います。

 
posted by ネコ師 at 15:25| Comment(2) | 世界遺産 スクレ市 | 更新情報をチェックする

2010年04月24日

タラブコ村のカーニバル(詳細情報)


 世界遺産スクレ観光には欠かせないタラブコ村の日曜市。たくさんの観光客で賑わいますが、そのタラブコ村で年に1度開催されるカーニバルは大規模なもので、今年は副大統領も出席しました。

 3月14日に行われたタラブコ村のカーニバルの模様は、以前書きましたが、今日は、もう少し詳しく書くことにします。写真は前回の記事をご覧ください。

 タラブコ(Tarabuco)村は、世界遺産の古都スクレから東に64Km、車で1時間半の距離にあります。

タラブコのカーニバルの由来

 チャキサカのラ・ビリャ・デ・タラブコ(La Villa de Tarabuco)は、副王フランシスコ・トレドの命令で1578年6月29日、Kjara Kjara山の麓に設立されました。しかし、その歴史は、少なくとも500年前、今日、チュキサカ県のオルペサ、ヤンパラエス、タラブコ、スダーニェス、およびポトシ県の北部を含む地域を治め栄えたヤンバラ王国の時代にさかのぼります。

 タラブコのカーニバルは、もともとはスペイン侵略以前、"Jatun Pocoy"(豊穣)と”Pauker Waray(太陽への生贄)を祝うお祭りでした。のちに、1816年3月12日のフンバテ(Jumbate)での戦いでのスペイン王党軍に対するヤンパラエス住民の勝利を記念する意味が加えられました。

 このお祭りは、1816年3月12日、ペルー副王の王党派軍に対して独立の戦いが行われた記念として、3月の第2日曜日に開催されます。今年はなぜか第3日曜日(3月21日)でしたが。その目的は、正統なヤンバラ文化として民間信仰や部族の踊りを保存、普及、広めることにあります。

ミニ年表

1540年 アルト・ペルー(現ボリビア)のチャルカスの谷にラ・プラタ市(現スクレ市)建設
1548年1月3日 アルト・ペルーはペルー副王領となる。
1578年6月29日 タラブコ村設立
1776年 アルト・ペルーがペルー副王領からリオ・デ・ラ・プラタ副王領に転入される。
1809年5月25日 アルト・ペルーのスペインからの独立を求め、チュキサカ(現スクレ市)で独立運動が起こる。
1810年 アルゼンチンの独立を期に、アルト・ペルーはペルー副王領の管轄に戻る。
1816年3月12日 フンバテ(Jumbate)の戦い
1825年5月25日 アルト・ペルーの独立とボリビア建国

カーニバルの中心は『プフリャイ』

 そのカーニバルの中心は、プフリャイ(Pujllay)です。ここでの踊りは、肥沃さ、畑の花の広がりを表していて、ヤンパラエス地域の民族音楽のもと典型的な民族服を身につけ踊ります。ヤンパラエスの踊り手たちは、約10インチの鉄製で馬蹄形の拍車がついた高いサンダルを履いています。カラフルで魅力的な民族服は、住民たちが自ら織ったものが使われます。

 民族衣装は、ブラウスか黒のシャツ、赤い装飾がついた白い半ズボン、縞模様のポンチョ(Siquia – unku)、それを縛る腰帯(chumpi)、その上に、別のポンチョと大きなハンカチを身につけます。頭には、幅広いリボンを巻き、時折、そこに硬貨、花、スパンコールなどで飾られたチカチャスカ(ticachascada)と呼ばれる家畜の尿で硬化させた革製のヘルメットのようなものをかぶります。

タラブコの伝統衣装


 彼らが演奏する音楽は、pinkillo、tokoroといったアエロフォン(気鳴楽器)で奏でられます。リズムはサンダルに付いた拍車の音を用い、スペイン征服者を冷笑し駆り立てるます。

 プフリャイ(pujllay)とは、ケチュア語でゲームの意味ですが、元々はミサのお祝いとして始まりました。後に、広場で踊り手が儀式的なパレードを行い、また、インカの王女(ñusta)あるいはプカラ(Pucara:宗教的象徴である食品を供えたハシゴ状の祭壇)の処女が選ばれ、プカラの周りを伝統の踊りを踊ります。

 プカラは、肥沃な土地への崇拝を捧げるにパチャママに敬意を表し、木を骨組みに、そこに果物、パン、ロールパンやほかの食べ物を飾ります。式典の後、これらは観客に分配されます。

フンバテ(Jumbate)の戦い

 1816年3月12日、スペイン植民地からの独立に向けた戦いが始まりました。タラブコ村近くのフンバテ集落に集結した住民戦士グループがペルー副王の軍隊に巧みな戦略で勝利を治めました。この戦いについては、歴史上の文献にはほとんど記載されておらず、大部分の情報源は伝承によるものです。

 ヤンバラは、インカ帝国の東の国境に位置し、この地域をチリグアノ族の侵略から守るため、インカ帝国から戦士が派遣され駐留していました。この後のスペイン人の入植で、タラブコではメスティソ化が進みましたが、インカ時代の遺産として、国境守備隊としてのこの軍事的な精神は19世紀末まで維持され、スペインからの独立運動を支えました。

 1816年3月12日、タラブコ村郊外のJumbate村において大規模な戦闘が起こりました。スペイン王党派軍は、人数的にはタラブコの反抗勢力よりたくさんいました。そこでタラブコ族の戦士たちは、スペイン人が弾薬を浪費して彼らの疲労を誘うために、タラブコ族のポンチョをナガササゲ(payares)の茂みに吊して偽装する戦略を考案し、実行しました。この戦略の前にスペイン王党派軍は敗れ去りました。

参考資料:
http://www.la-razon.com/versiones/20070311_005842/nota_250_400701.htm

 フンバテの戦いは歴史の中にはほとんど出てきません。スクレの街頭で始まった1809年の独立運動から1825年のアルト・ペルーの独立までの期間の出来事は、歴史の中では忘れ去られています。

 大きな歴史の流れの中で、忘れられた小さな歴史を垣間見るのはおもしろいと思います。


posted by ネコ師 at 13:32| Comment(0) | 世界遺産 | 更新情報をチェックする

2010年04月20日

世界遺産ポトシの『幻の集落』


 今日は、『幻の集落』の写真をアップします。
 幻と言っても、実在する集落です。

 なぜ、幻かというと、この集落に入るには、集落総会での許可が必要で、簡単には入ることができないからです。しかも、許可が下りたとしても集落内の道路を車で通りすぎるだけで、車を停車させたり、車から降りて写真撮影したりしてはならない、という条件付きです。

 まったく不思議な集落です。

 この集落は、世界遺産の古都スクレからポトシに向かって2時間半くらい行ったところにあります。場所は、ポトシ県ベタンソス村キビキビ集落というところです。

 このような規制をしているのはこの集落だけで、周辺の集落はもちろん立ち入り自由です。

 なぜ、この集落だけ立ち入りを制限しているのか。興味が湧きますね。なにやら秘密のにおいがします。麻薬でも栽培しているのでは?

 下の写真は、集落の許可を得て、移動する車内から撮影したものです。山の斜面にテラス式の野菜畑が広がり、とても美しい景色です。

幻の集落


幻の集落 Quivi Quivi


幻の集落 Quivi Quivi


 隣のテコヤ集落からキビキビ集落方向を撮影したものです。

QuiviQuivi4.JPG


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 このパノラマ写真はテコヤ集落です。キビキビ集落とよく似ています。

QuiviQuivi6.jpg


 実は、キビキビ集落がよそ者の立ち入りや写真撮影を禁じている理由はよくわかりません。隣の集落の人に聞くと、あの集落は嫉妬深い、と言っていました。

 では、種明かしです。といっても想像ですが。

 この集落は、野菜生産でとても有名な集落です。
 この野菜生産は、1983年に南米地域を襲った干ばつ被害から復興するために、政府が支援して始まったものだそうです。

 山の斜面を段々畑にして、土が流れないように整備し、かんがい水路が張り巡らされています。

 集落の人たちは、この技術を他の集落の人たちに盗まれるのを嫌っているようです。これが隣の集落の人たちの意見でした。

 この集落があるベタンソス村は、ボリビアの中でもほとんど唯一といわれるインカ時代の行政制度が残っているところです。『クラカ』といわれるインカ時代の酋長が現在の行政組織の上に君臨しているという、なんともおもしろいところのようです。

 地元の人から話を聞いたのですが、基礎知識がないのでさっぱり理解できません。インカ時代とスペイン植民地統治政策の知識がないと歯が立ちません。

 関心のある方は、google検索で「wiki インカ クラカ」で調べればヒットすると思います。ベタンソス村のことも書かれています。

 Wikiでは貴族階級(クラカ)としていますが、ここのクラカは、少し違うようです。クラカになるためには、インカ時代から続く要職を経験し、だんだん上に上っていく必要があるそうです。まるで軍隊の制度のようだと地元の人が言っていました。世襲制でなれるわけではないようです。

 それにしても不思議なところだと思います。

posted by ネコ師 at 14:27| Comment(2) | 世界遺産 | 更新情報をチェックする

2010年04月17日

PCがまたおかしくなり、クリーンインストールするはめに!


 久しぶりの更新です。何しろPCが全く起動できなくなり、悪戦苦闘の末、どうしようもないので、クリーンインストールしました。9月に続いて2回目です(トホホ)。

 前回のクリーンインストールは、Windows更新の問題、1月のWordの不具合も自動更新の問題、そして今回は、ウイルス対策ソフトの更新ファイルが原因でした。特定のメーカーのPCの特定の条件でしか発生しない問題がこのPCでのみ発生しているので、本当に頭にきます。

 PCが起動しないので、ネットで対策を調べるわけにもいかず、クリーンインストールする羽目に。本当は、しなくてもよかったことがネットでわかったのですが、後の祭りです。

 こんな訳で、疲れたので、しばらくお休みします。


 
posted by ネコ師 at 06:20| Comment(2) | ネコ師の独り言 | 更新情報をチェックする

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