2010年02月24日

テーブルから落ちるワイングラス:GIFアニメ

 Seesaaブログが、メンテナンスのために更新できなかったので、GIFアニメを作ってみました。

 折りたたみテーブルから落下するワイングラス。

 それでどうした、と言われれば一言もありません(汗)。

 折りたたみテーブルが珍しいので作っただけです。

 本当は、別の絵を描いていたのですが、Photoshopが強制終了してしまい、全てパーになりました。やはり小まめにセーブしておくべきですね。

Table2.gif


 落ちてガチャンと割れるバージョンも作ってので、過去記事をご覧下さい。


2010年02月21日

世界遺産「スクレ」のラ・グロリエタ城が公開されています


 スクレの重要な観光名所の一つが、プリンスとプリンセスのお城『ラ・グロリエタ城(Castillo de la Glorieta)』。実は、このお城、ポトシまでの街道沿いにあり、ポトシ方面からスクレに戻る時、このお城が見えると、「もうじきスクレだ」と知ることができるランドマーク的存在なのですが、修復のため閉鎖されており、内部は長いこと見ることができない状態でした。

 ところが、この修復作業も昨年末頃に終了し、現在は内部を見ることができます。世界遺産スクレを訪れる人にとって朗報だと思います。

 先日の記事で、このお城の歴史的背景を書きましたので、まだお読みでない方はご覧ください。
 今日、ついに『ラ・グロリエタ城』に行ってきましたので、その様子をご紹介します。

行き方

 スクレ市内でタクシーをつかまえて値段の交渉をします。「『ラ・グロリエタ城までの往復+待ち時間1時間でいくら?」。運転手の回答は50Bs.(約650円)。この値段は妥当なものです。以前、別の運転手二人に同じ質問をしましたが、皆、50Bs.と言っていました。交渉成立です。

(注:お城の中のツアーの時間帯があるため、タクシーの待ち時間は1時間半にした方が良いです。)

 タクシーに乗り込み、お城まで行きます。時間を計ったら12分で着きました。近い! 50Bs.は値切る価値がありそうです。まあ、私はやりませんが。

 『ラ・グロリエタ城』のある地区一帯は、現在、ボリビアの軍隊の学校になっており、お城近くの検問所では、軍隊が検問しています。といっても、ただの守衛的な感じですが。

下の画像はGoogle Earthの地図です。

Google Earth用座標


 19° 5'4.94"S 65°16'6.66"W

 ポトシはスクレの西に位置しますが、ポトシへの道路は、スクレの南側から出ます。
 やはりかなりスクレ市内に近いです。クリックすると大きく表示できます。

Mapa_Glorieta_SUCRE.jpg


お城の見学

 ゲートを通り抜けるとお城が間近に見えてきます。
 入口付近に別の守衛所がありますが、そこは挨拶するだけでスルー。

 お城の入口の門の所に、料金表が貼ってあります。
   ボリビア人 5Bs.
   外国人 10Bs
   カメラ 10Bs

<開館時間>
   月   13:00-17:00
   火~金  8:30-17:00
   土、日  9:00-16:30

  開館時間は、夏と冬とでは違うと思います。ご注意を。

  門を抜け、お城の玄関まで行きます。玄関から中に入ると、受付があり、そこで見学料+カメラ代、計20Bs.を支払います。

 ガイドが付いたツアーの開始時間まで、庭の方を見てきたらよいと言われ、その通りにすることにします。25分後ということなので、タクシーの待ち時間が少し気になります。

 庭に出て見ると、楽しそうな庭ですが、もう少し手入れをした方がよいと感じました。建設当時の面影が残っている程度で、庭としてはあまり整備されていない感じです。

 時間が来たので、再び玄関にもどり、お城の内部見学ツアーに参加します。

 最初に、玄関から見て右手に「居間」があり、その奥が「礼拝堂」になっています。
 玄関から見て左手が食堂、その奥が台所。あとは二階に登ります。

 「礼拝堂」でガイドが説明している内容は、前回の記事で書いている内容と同じものでした。プリンスが24才、プリンセスが17才の時に二人は結婚したと言っていました。

 最初、プリンスとかプリンセスとか書かれているので奇異な感じがしたのですが、この称号の使用は正式にローマ教皇から認められたものであることを知って、興味が湧きました。詳しくは『過去記事』をご覧ください。

 ガイドは丁寧に説明してくれてうれしいのですが、タクシーの待ち時間が気になります。

 お城の内部は、今回の修復作業できれいに整備されています。壁も塗り立てです。当時の壁はというと、二階に登る階段の途中で、アクリル板で保護された壁を見ることができます。プリンセスの肖像(当時の子どもたちの落書きかも)が残っています。元の壁面の状態を見ると、やはり相当古いものであることが分かります。

 二階から、塔に登ることができます。「塔」があれば、やはり登れないとつまらない。
 ツアー客の子どもたちは元気に登っていきますが、大人たちはフーフー言いながら登っていきます。

 塔からの見晴らしは良く、あたりを一望できます。
 このお城には塔が3つあり、登っているのは「プリンスの塔」。他に「プリンセスの塔」と時計台の「礼拝堂の塔」があります。

 ここで、ネコ師はタクシーと約束した時間になったので帰ることにします。ここまでですでに1時間。

 いつでも来れるので、続きは今度来たときに見ることにしました。
 なんとも淡泊なネコ師です(笑)。

 では、20枚の写真でご紹介します。
 今回はサムネイル版で表示しますので、クリックすると少し大きく表示できます。

 検問所を抜けると、お城が間近に見えてきます。

Castillo_Glorieta01.JPG


 おとぎの国のお城と言われるには、やはりタマネギ型の屋根を持つ塔が必要です。青い屋根が周囲の景色に良くマッチしていて素敵です。

Castillo_Glorieta02.JPG


 お城の門のところまでやってきました。この門に料金表と開館時間が貼り付けてあります。

Castillo_Glorieta03.JPG


Castillo_Glorieta04.JPG


 お城の玄関前に置かれたフランシスコ・アルガンドナャ・レビリャ王子の像です。プリンセスの像はなく、肖像画もありません。
 この彫像のデザインで、プリンスがなぜ子どもたちと一緒にいるのかも過去記事を読むと分かりますねぇ。

Castillo_Glorieta05.JPG


 お城の玄関部分。逆方向からの撮影です。

Castillo_Glorieta06.JPG


 庭に出て見ました。池、東屋などがあり、当時の面影が残っています。

Castillo_Glorieta07.JPG


 これが前回の記事で書いた「ローマ神話の女神ベスタ(Vesta)の神殿」だと思います。最初、地形をうまく利用したのかと思ったのですが、よく考えたらそんなはずがない。これは完全に盛り土したものです。造園師の描いた図面を見てみたいものです。

IMG_0035.jpg


 庭全体が水、池、湖を意識して作られているのだと思います。
 下の写真のようなボートがあります。

Castillo_Glorieta08.JPG


 このボートのある場所は一段低い場所なので、当時は、ボートの周りには水が張られ、湖面に浮かぶボートという状態だったと思います。
 丁度、ボートの基礎部分まで水で覆われていたと思います。

Castillo_Glorieta09.JPG


 時間になりましたので、いよいよお城の内部見学ツアーに参加します。この塔は、「プリンセスの塔」と呼ばれています。正面玄関は、この塔の角を左折します。

Castillo_Glorieta10.JPG


 ツアーの開始です。ガイドの後について、お城の中を探索します。
 居間の天井です。何造りの建築か忘れましたが、なかなか豪華です。

Castillo_Glorieta11.JPG


 天井を支える像の左手が皆、「輪」の形を作っています。この部分に旗竿を差し込んで、豪華に飾っていたのだと思います。

Castillo_Glorieta12.JPG


 礼拝堂です。この上が塔になっています。

Castillo_Glorieta13.JPG


 食堂です。テーブルは、オリジナルではなく、当時のデザインのものが寄贈されたそうです。天井は居間とは違ったデザインになっています。

Castillo_Glorieta14.JPG


Castillo_Glorieta15.JPG


 二階から「プリンスの塔」を見上げます。

Castillo_Glorieta16.JPG


 「プリンスの塔」の展望台から見た「プリンセスの塔」。プリンスの塔は、頂上部分に展望台があり、外周を一周できます。

Castillo_Glorieta17.JPG


 礼拝堂の塔。その奥がガレージ。時代により使い方が違ったようですが、物置や馬小屋として使われていたとか。

Castillo_Glorieta18.JPG


 ネコ師は時間切れで、一人帰ることにしました。
 ヨーロッパの石造りのお城は冷たい印象を受けますが、このお城は、暖かい印象を受けました。

Castillo_Glorieta19.JPG


 ガイドの説明では、このお城は1910年まで城主が住んでいたそうです。プリンスが亡くなったのがこの年ですから、プリンセスは、亡くなる1933年までの間、このお城を離れスクレ市内で過ごしたのではないかと思いました。

 ポトシ街道から撮影したものです。おとぎの国のお城という感じがします。

Glorieta_Camino_UP.jpg



posted by ネコ師 at 13:25| Comment(0) | スクレの博物館 | 更新情報をチェックする

2010年02月20日

日本から世界遺産の古都スクレに行くには?


 日本からボリビアの世界遺産の古都スクレに行く方法をご紹介します。

 まず、日本からボリビアに行くには、当然ですが、飛行機に乗らなければなりません。ボリビアは日本から見て地球の裏側に位置しているので、東周りでも西回りでも料金も時間もほとんど変わらないようです。

 ボリビアの国際空港は、ラパスとサンタ・クルスの2カ所があります。スクレには国際空港がないので、ラパスかサンタ・クルスで入国した後、スクレまで移動することになります。

大きな地図で見る Source: Google Map

 日本からアメリカ(マイアミ)経由でラパスに行くには、選択の余地なく、アメリカン・エアーライン(AA)を使うことになります。私の大嫌いな飛行機会社です。理由は過去記事をご覧ください。

 サンタ・クルスに到着する場合には、航空会社、ルートの選定に様々なオプションがあります。ペルー経由もその一つです。

 米国経由の場合には、一旦、米国で入国審査を受けなければなりません。セキュリティが厳しく、靴を脱ぎ、ベルトも外して、さらにパソコンを手荷物の中に入れている場合にはそれを取り出しておく必要があります。これをやらないと怒られます。いろいろ嫌な思いをします。

 ボリビア国内の航空券は、日本国内からは直接予約できないようです。ツアーの場合には地元の旅行会社が間に入るため問題ないのですが、個人旅行の場合には、上の2カ所の国際空港に降り立った後、国内便を予約することになります。通常は、2、3日前であれば、スクレまでの航空券は入手可能です。時期により混み具合が変わるので、前日にチケットを買えるかどうかは分かりません。スクレでは年中何らかのイベントが開催されているので、その時期に当たると予約できないこともあります。

 ラパスからスクレまでは、飛行機で40分くらい、サンタ・クルスからでは25分です。

 標高を考えると、サンタ・クルスがお勧めです。ラパスの飛行場は標高4,000mの高地にあります。高山病になったら、とにかく早く低地に下りなければ生死にかかわるようです。低地のサンタ・クルスから入国し、スクレ(2,800m)、ラパスと回るのが高地に慣れるためにも良いようです。

 これらの入国地からスクレまで長距離バスもありますが、12時間から15時間もかかる上、”とても危険”なため、お勧めできません。

 今年1月にバスの事故が立て続けに4件発生し、死者92名、負傷者217名という状況です。バス同士の正面衝突、横転事故、橋からの転落など事故の状況は様々です。その後も事故は続いています。これが実態です。

 スクレに乗り入れている国内航空会社は、Aerosur、Tam、Goaの3社です。Tamは、中南米で有名なTamとは別会社で、ボリビアの空軍が運営しています。どこが良いかというお勧めは特にないのですが、Aerosurの値段は高いです。国内便は、現地の旅行社で簡単に予約できますので、心配はありません。

 サンタ・クルスまでの25分のフライトでも、ちゃんと機内サービスが付きます。搭乗するときにサンドイッチを渡されます。食べたことはありませんが。

 スクレの空港は管制施設が自動化されていないため、スクレが曇っていると運休になります。

 現在、雨期のため、運休、遅延はしょっちゅうです。先々週、サンタ・クルスへ歯の治療のために出かけましたが、この時は、小雨模様のため、朝の11時のフライトが、午後5時になりました(歯の治療は、昨日でやっと終わりましたるんるん)。このため、その日の歯医者の予約は結局キャンセルという状態でした。雨期には、スクレに来るのも、スクレから出るのも天候次第、という感じです。スクレは、まさに、「陸の孤島」です。

 最後に、ボリビアの国内便は、出発時刻よりも早く出発することがあることを覚えておいた方が良いと思います。昨日サンタ・クルスから戻りましたが、行きも帰りも10分早く出発しました。

 予約していた乗客がすべて搭乗したので早めに出発した?
 そう考えるのはサービスに慣れている日本人だけです。すべて航空会社の都合で決まります。客のことなど眼中にありません。


posted by ネコ師 at 10:51| Comment(2) | 世界遺産 スクレ市 | 更新情報をチェックする

2010年02月18日

世界遺産スクレのラ・グロリエタ城


 スクレの見所は、世界遺産に登録されている市内や恐竜の足跡だけではありません。
 スクレ市内から車で15分くらいの所に、『お城』があります。それも、ディズニーワールドから持ってきたような、尖塔とヒョウタン屋根のあるロマンチックなお城です。

 いつも通りかかるので、そのうち行こうと思うのですが、なかなか行けません。
 まず、お城の由来を勉強しないと、現地で説明を聞いても単語力がついていかないので、何を言っているのか分からずじまいになります。歴史的な史跡を訪れるには、下準備が必要です。と言うわけで、まだ行っていない『ラ・グロリエタ城』ですが、由来を調べてみました。この解説をしているwebサイトは、日本語では一つもありません。「お城があります~」、「写真を取りました~」、という記事だけです。この様子を見ると旅行ガイドにも書かれていないのかも知れませんね。

 以下に、ネットで調べた由来を掲載します。原典はすべてスペイン語です。ネコ師の翻訳なのでいい加減なのをご承知の上お読みください。

 道路からしか見たことのない未訪問の『お城』がものすごく魅力的なものに思えてきました。スクレに戻ったら、今週末にでも行ってみたいと思います(ネコ師は今、歯科治療のためサンタ・クルスにいます)。
ラ・グロリエタ城

 この公国(El principado)は、ボリビアの首都スクレ市内から5Kmのところにあり、ポトシへの街道の途中にあります。『ラ・グロリエタの宮城』には、かつてラ・グロリエタのプリンスが住んでいました。

 『ラ・グロリエタ公国』の呼称は、1898年12月29日、ローマ教皇レオン13世によってフランシスコ・アルガンドナャ・レビリャ王子とクロティルデ・ウリオステ・ベラスコ王女のために下賜されました。

 ラ・グロリエタは、花に包まれた絵のような素敵な場所で、茂みや岩の間から突然、一連の尖塔とおおとぎ話を連想させるファンタジックなお城が出現します。この城はボリビアで最も美しい城であり、1970年に国宝に指定されました。ラ・グロリエタは、歴史の場所であり、ファンタジアに満ちています。このお城の幽霊については、いくつもの言い伝えがあります。
[出典:Wikipedia 西語版 http://es.wikipedia.org/wiki/Clotilde_Urioste_de_Argando%C3%B1a、日本語訳:ネコ師]

プリンセス "Clotilde Urioste Velasco" はどんな人?

 グロリエタ城は、フランシスコ・アルガンドニャ・レビリャ王子(Francisco Argandoña Revilla)とクロティルデ・ウリオステ・ベラスコ(Clotilde Urioste Velasco)王女の居城でした。

 フランシスコは、1850年にウアンチャカ鉱山と関係する元鉱山主の家族の子どもとして、ポトシで生まれました。

 一方、クロティルデは、1857年に、スクレの名門の家に8人兄弟の3番目として生まれました。彼女が18歳で、彼は25歳の時、二人は結婚しました。二人の間には子供ができなかったことから、王女は、母親としての愛情を最愛の人形のように孤児に注ぎました。このお城は、イタリア系アルゼンチン人の建築家ドミンゴ・アントニオ(Domingo Antonio)が建築しました。これは、国宝となり、国力、富を世界に示しました。そして、この夫婦の善行は、ローマ教皇レオ13世(在位:1878年2月20日-1903年7月20日)に知られるところとなりました。

 お城の庭は、イタリア人庭師マルティネリとトネリによって、ベルサイユ宮殿の庭園をモデルに造園されました。そこには、人造湖、噴水、苗畑、ちいさな養鶏場、ローマ神話の女神ベスタ(Vesta)の神殿、瞑想のための建物などが含まれます。そこは、おとぎ話から引き出したような素晴らしい場所です。世界遺産スクレの観光で、見逃してはならない場所のひとつです。
この王女様は、 1933年に亡くなっています。
原典:http://www.viajeros.com/diarios/sucre/castillo-de-la-glorieta
翻訳:ネコ師

プリンス "Francisco Argandoña Revilla" はどんな人?


 ラ・グロリエタのプリンス、Francisco Argandoña Revilla候は、前述したように、1850年、ウアンチャカ鉱山と関係する元鉱山主の子どもとして、ポトシで生まれました。チリのValparaにある「マッカイ大学」で鉱物学を勉強します、ボリビアに戻り、Huanchaca鉱山会社で働き始めました。その後、200,000ペソの株券を取得し、1868年にスクレに住み着きました。ここで、幅広い社会貢献や慈善活動を行いました。

 1874年に、Clotilde Urioste嬢と婚約します。1878年に、Huanchaca鉱山が全盛期を迎え、フランシスコとクロティルドは銀を抽出する事業を始めました。1879年に、ボリビア政府に対して貸し付けを行い、これにより、ボリビア政府は太平洋戦争(注)の戦費を賄うことができました。
(注)Guerra del Pacífico)は、1879年から1884年にかけて、ボリビア・ペルーとチリとの間で行われた戦争。

<駐フランス、駐スペイン特命全権大使>

 1890年、フランシスコ・アルガンドニャは、膨大な資金を貯蓄しており、鉱山以外のものに投資したいと考えていました。そこで、金融取引の専門家であった義兄弟のClodoveo Urioste Velascoに相談したところ、最も良い商売は銀行だとの助言を受け、銀行を設立しました。

 1892年に、「フランシスコ・アルガンドニャ銀行」が、1890年および1891年の法律に基づき、商業貸付銀行として開業しました。フランシスコ・アルガンドニャの資金を銀行業に投資するのにこの時期の条件として重要なことは、彼の銀行に対して、20年間(1892年-1912年)の有利な条件が与えられたことでした。

 1894年、アルガンドニャとウリオステの生活は、外交官の生活として始まりました。フランシスコ・アルガンドニャは、チリのサンチアゴにある「el Palacio de la Moneda」におけるボリビアの通商代表に任命されました。まもなく、ボリビア政府は、フランシスコ・アルガンドニャをla Santa Sede 及び las Cortes de Europa臨時特命全権大使に任命しました。.

 この名誉を受け、夫婦は、パリに居を構え、凱旋門の隣のビクトル・ユーゴー通りに高額な不動産を購入しました。また、ローマ、サンクトペテルブルク、ベルリン、マドリードの裁判所でボリビアを紹介し、重要な外交活動を行ないました。その中で、ボリビアの歴史、地理、ボリビアの習慣に関する紹介を行い、外交の世界でも広くボリビアの存在を知らしめました。

 1910年8月7日、短かく患った後、この世を去りました。
[出典:Wikipedia 西語版 http://es.wikipedia.org/wiki/Clotilde_Urioste_de_Argando%C3%B1a、日本語訳:ネコ師]

 今日は、事前の資料調査のため、次回、写真をアップします。
 世界遺産スクレは、奥が深いです。幽霊の話ってなんなんでしょうね。興味津々です。
 二人のお墓は、スクレ共同墓地にあります。関連記事で紹介しています。
 プリンセスの肖像画は、チャルカス博物館にあります。すごい美人です。連記事で紹介しています。

 記事の無断転用は禁止です。

posted by ネコ師 at 11:57| Comment(0) | スクレの博物館 | 更新情報をチェックする

2010年02月17日

桜並木を描いてみる

 今日は、歯の治療でサンタ・クルスに来ています。
 暇なので、Photoshopの使い方を覚えるために、桜並木を描いてみました。といっても、加工してみましたという方が正解ですが。

Sakura1.jpg


 水面に映る桜がきれいです。


 元画像は、以前住んでいたつくばで撮影したものです。
 これはきれいな並木なのですが、写真で見ると迫力に欠けます。撮影の腕が悪いせいだと思います。

Sakura2.jpg
posted by ネコ師 at 17:25| Comment(2) | イラスト | 更新情報をチェックする

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