2009年11月09日

シャンゼリゼにおけるアタウアルパとフェルナンド7世との対話


 ボリビアでは、今年が「アメリカにおける自由独立の最初の叫び二百年」という節目の年にあたることから、様々なイベントが行われています。

 ボリビアの独立は、1825年8月6日ですので、独立200周年はまだ先の話です。

 どちらも首都スクレが舞台になります。ボリビアの憲法上の首都は、最高裁判所の置かれているスクレで、ラ・パスではありません。

 昨日、この二百周年を記念して地元のサン・フランシスコ・ハビエル大学が刊行した「BICENTENARIO DEL PRIMERA GRITO DE LIBERTAD EN AMERICA, 25 DE MAYO DE 1809- 2009」という本をパラパラ読んでいて、思わず引き込まれてしまいました。まるで推理小説、冒険小説のようです。

 この本は、南米地域で最初のスペインからの独立運動の火ぶたを切った1809年5月25日のスクレにおける独立・自由化運動を中心に、その前後の国際情勢を踏まえた歴史を記載した書籍です。

 最初に目を引いたのは、『シャンゼリゼにおけるアタウアルパとフェルナンド7世との対話(DIÁLOGO ENTR ATAHULPA Y FERNANDO VII. EN LOS CAMPOS ELISEOS)』という項目でした。なにやら、二人の会話の議事録が掲載されています。

 アタウアルパは、(実質的な)最後のインカ帝国皇帝として有名ですが、スペインの侵略により、クスコで1533年に殺害されたはず。時代が合わない。それに、フェルナンド7世って誰? シャンゼリゼってパリ?

 もちろん、フェルナンド7世はスペイン国王です。在位は1808年、1813年~1833年でした。
 

 以下、上記の本の翻訳(ネコ師翻訳)を掲載しますが、標記方法はスペイン語読みになります。日本語の書物ではなく、ボリビアの学者が自国の歴史と世界の歴史をどのように捉え、歴史上の出来事に重点を置いているのか、興味深いと思います。

 ネコ師は、(過去ログをご覧になれば分かるように)日本で紹介されている一部の研究者の書籍に依拠した情報ではなく、現地の情報を大切にしたいと思っています。


【いきなり脱線】
(スペイン語の読みは、日本人にとってローマ字発音とほぼ同じです。確か、過去記事で書いています)

 パリのシャンゼリゼ大通り(Champs Élysées)をスペイン語では、Campos Elíseosと書きます。シャンゼリゼとは、「極楽のような」という意味です。このため、地名に使われるようです。ちなみに、ベートーベンの『エリーゼのために』のエリーゼはスペイン語ではElisa(エリサ)です。おめでたい名前です。

 以下、本の翻訳(P12)です。( )はネコ師の注釈です。分かりやすいように箇条書きにし、意訳しています。

シャンゼリゼにおけるアタウアルパとフェルナンド7世との対話


 本テキストは、スペイン王室に関係する「1809年5月25日の歴史」を作り上げた人々の思想を反映している。それは、フランスの侵攻に対しスペイン国内で生じた思想と類似性があり、また、(アメリカ大陸での)反乱と自由化運動に対する十分な根拠付けとなっている。

・ 1792年 ヨーロッパの他の君主制の国々と共にルイ16世殺害行為に対する報復としてフランスに対し宣戦布告(フランス国王ルイ16世とその后マリー・アントワネットは1793年1月、パリで斬首)。

・ 1795年 スペインはフランスとバーゼル和平協定調印。これにより、イギリスに対しフランスと協調して対抗することになった。スペインとイギリスの軍事競争(revalidad militar)は経済力に関係していた。イギリスは当時、産業革命の最中にあり、アメリカ大陸のスペイン植民地はイギリス商人にとって欲しいものだった。イギリスとの戦争は、スペインからその植民地を分断し、スペインは軍備を維持し、また、商品を供給するための植民地からの経済的収入を失った。同様に、戦争による支出は、スペインに深刻な経済危機を招き、その後長きにわたりこの状況が続くことになった。

・ イギリスへの対抗策の一環として、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルテは、大陸封鎖を宣言。これは、イギリス商人がヨーロッパ大陸で商売ができないように監視地域を設けるというものだった。イギリスを完全に孤立させるため、ナポレオンは、ヨーロッパの中でイギリス商船に対して支援を行っていたポルトガルを征服する必要があった。このため、ナポレオンは、スペインに対して、ポルトガル侵攻のために自国の軍隊がスペイン領土を通過する許可を求め、宰相マヌエル・ゴドイ(Manuel Godoy)によりその要請は承認された。

・ 1808年3月、アランフエスの反乱(Motín de Aranjuez)が発生。この結果として、(スペイン宰相。カルロス4世の王妃の愛人といわれている)ゴドイは罷免され、カルロス4世(Carlos IV)は退位し息子に王位を譲る。彼はフェルナンド7世(Fernando VII)としてスペイン王位に就いた。その数日後、フランスがポルトガルへ侵攻するためスペイン領土に入ったとき、フランスは、フェルナンド7世の即位を認めなかった。このため、スペイン国王と王室一家は、ナポレオンと会ってその承認を得るためフランスとスペインの国境にあるバイヨーナ(Bayona)に引っ越した。バイヨーナでの会合で、ナポレオンはスペインに対する要求を明らかにした。それは、1700年からスペインに君臨しているブルボン王朝(dinastía borbónica reina)は腐敗しきった王朝であると考えており、自分の家族の中から適任者を王位につけたいというものだった。これに対し、何ら反抗することなく、フェルナンド7世は無条件にスペイン王を退位する文書に署名した。そして、彼の父、カルロス4世はナポレオンに引き渡され、スペイン王位は、ナポレオンの兄であるホセ(José)が任命される。スペインはこのようにしてフランスの手中に入った。

・ 1808年5月2日、大規模な暴動がマドリッドで起こった。マドリッド市民は、フランスの軍隊に対し蜂起したが、すぐに鎮圧される。しかし市民による蜂起はスペイン国中に広がり、フランス支配の弱い地域へと広がっていった。多くの村や町が自治的評議会を組織し、後世の歴史家が革命評議会(Juntas de Revolucionarias)と呼ぶ組織が作られていった。フェルナンド7世はこのような運動における戦いのシンボルとしての役割を果たした。

・ 1808年9月、フェルナンド7世の名の下に統治を図る王室中央革命評議会が組織された。 評議会の目的はフランスに対する戦いを統合することだった。

以上翻訳

 今日は、ここまでです。

 これまで、スペインという国は、盤石の国家だと思っていたけれど、こうしてみると中身はぼろぼろだったことが分かります。1809年当時、スペイン国内がかなりひどい状態だったことを知りました。中南米諸国の独立と支配国スペイン本国の状況は、常にリンクして見る必要があるように思います。

 この本を読んで、ナポレオンがここで登場するのか、って驚きもしました。
 歴史は、視角が違うと、全く別のものに見えてきます。

 ちなみに、この3年前の1806年、ジブラルタル海峡の西でのトラファルガーの海戦において、ネルソン提督率いるイギリス海軍がフランス、スペイン連合艦隊を壊滅させています。この時の開戦の状況図はWEBで調べればわかります。

 この続きは、また、そのうち。

 「アタウアルパとフェルナンド7世との対話」の背景を理解するには、もう少し時間がかかりますね。

 (この記事は、ずっと非公開のままになっていました。なぜ、非公開にしたのか覚えていないのですが、特に問題なさそうなので公開します。この続編を書いてからと考えていたのかも知れません。未だに続きは書いていません。)


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posted by ネコ師 at 16:14| Comment(0) | 世界遺産 スクレ市 | 更新情報をチェックする

2009年11月07日

ブログのトップバナーをフラッシュにしました


 トップバナーをフラッシュにしました。
 正常に表示されない場合、CTRL+F5でキャッシュの更新をしてください。
 IEとFirefoxでは正常に表示されています。

 やっとフラッシュ版にしました。前々からフラッシュにしたかったのですが、Seesaaブログでトップバナーにフラッシュを貼る方法が分からず、今日になってしまいました。

 トップバナーにフラッシュを貼るのと記事に貼るのとでは、方法が全く違います。Firefoxでは表示されてもIEでは表示できないなど、結構めんどくさいことになります。

 これまでのGIFアニメのトップバナーは、どうしてもサイズが大きくなるため、使えるスライドの数が限られていました。このため、空飛ぶセサールを泣く泣くカットしたのですが、今回のフラッシュ版では復活しました るんるん やはり、セサールがトップバナーにいないと、どうも猫ブログらしくありません。

 うるさいフラッシュではなく、世界遺産スクレとアンデスの雰囲気を楽しめるように作ったつもりですが、・・・、いかがでしょうか。

【追記】
 さて、Seesaaブログで、トップバナーをフラッシュにする方法ですが、・・・、とても説明がめんどくさいので、書く気がしません。このブログでアップした素材の作り方、設定方法、ツールの使い方など、なんでも詳細に説明している本ブログの倉庫「なんでも保管庫」でも書いていません。ご希望があれば書きますが。

2009年11月04日

ルーブルの猫


 前々回の「博物館の夜」を書いていて、なぜかフランスのルーブル美術館(Musée du Louvre)を思い出しました。

 きっと、ケーブルTVで「ダ・ヴィンチ・コード」を見たためだと思います。良くできたストーリーだと改めて感心しました。

 ルーブル美術館は非常に広いので、見て回るには体力がいります。
 やはり目玉は、『モナ・リザ』。

 トム・ハンクスがダ・ヴィンチの絵画の前でいろいろ推理するシーンを見て、あっ、あの場所か、と思い出しました。

 有名な絵画でも、間近に見ることができるのが外国の美術館の良いところです。
 セサールも、ルーブルに飾られるくらい有名なら、・・・、ネコ師は今頃、大金持ちです(てへ)。

adadm.jpg


 久々のセサール君です。少し、クリックしてあげてください。フラッシュがスタートします。




 夜遊びの大好きなセサール君は、夜な夜なご近所を徘徊しているようです。

 「セサールの耳が薄い」と家からメールがありました。夏の間、その薄い耳を蚊に集中攻撃され、病院通いでご本人は大変だったようです。これから冬になり、またまた薄い耳では寒さがこたえます。耳が薄くて良いことはありませんね。

2009年11月02日

スクレは今日もパレードだ!


 今日は、中央マーケットに買い物に行きました。帰りに中央広場を通りかかると、何やら仮設の階段椅子の組み立てをしています。何だろうと思って売店で聞いたら、パレードがあるとか。

 前回はグアダルーペの聖女祭でしたが、今度は、スクレ市内の大学が中心になってパレードをするそうです。その数60チーム。また、深夜までのパレードです。

 すっかりパレード好きになってしまったネコ師は、さっそくホテルに戻り、カメラを抱えて街に繰り出しました。

 街の中は前回と同じような感じです。パレードの通る主要な通りは車両乗り入れが禁止になっています。通りには多くの見物客がパレードが通るのを待っています。

 ダンスを踊りながらなので、パレードの速度はゆっくりしています。前がつかえると小休止の繰り返しで、全然進みません。

 そこで、自分から進んでいくことにしました。そうしたら、前回のネコ師お気に入りのグループを発見! なんか、あとはどうでもいいや、とばかり、このグループに密着して撮影。でも、夕刻なのでうまく撮れない。

Entrada_Universitaria023_FI2.jpg


 まあ、こんな感じで、また、カメラ親父になって、1時間ばかり撮影して帰ってきました。さすがに前回のように14時間撮影する元気はありません。

 フラッシュのスライドショーでアップします。50枚くらいあるので、すべて見るには6分くらいかかります。

停止ボタンがないので、一度スタートすると止まりません(汗)。時間のあるときにどうぞ。

 画像をクリックするとスタートします。
 大きな音が出ますので、音量にご注意ください。




 ここで気づいたのは、あの高価な衣装は1回切りではなかったということ。少なくとも、2回は使うことが分かりました。

 しかし、踊る方も、見る方も、そして、また写真を撮りに出かける私も、みんなこういうのが好きなんだ。

 しかし、スクレの街って、なかなか奥が深い。昨日の「博物館の夜」といい、二度目のパレードといい、日本人の想像を超えた文化ですね。日本では、夏祭りを2回やるところってないと思いますし。

 古いだけの世界遺産じゃないことが分かりました。

 フラッシュに背の大きな子がやたら写っていますが、・・・。この子がいるために、このチームは引き立っています。

 行進の先頭に、背が高くてかわいい子を配置しているようです。後ろに行くほど背が低くなります。先頭の4人がリーダー格で、時々、ホイッスルを鳴らしながら、全体の流れを作ります。なかなか魅力的なかけ声もあり、何度見てもこのチームはいいなぁと思います。

 今回は、このチームの男性も写っています。皆真剣に?、たまに、差し入れのビールを飲みながら踊っていました。男性群も負けず劣らずかっこいいです。このチーム、どこの学部か調べてみたいと思います。

 今日は、結構気温が上がったので、皆、あちこちで水分補給をしていました。

 このパレード、恐ろしく距離が長いらしいです。スクレ市内はすごく小さいのですが、そのずっと外れからスタートするようです。こんど正確に計ってみたいと思いますが、たぶん、5Kmはあるのではないでしょうか。

 もっと距離を短くしたら、真夜中まで踊らなくてすむし、疲れないのに。すぐに、合理的に考えてしまう日本人には、ボリビア人のこんな部分が理解できません。まぁ、そこが魅力ですが。

posted by ネコ師 at 13:43| Comment(2) | 世界遺産 スクレ市 | 更新情報をチェックする

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