世界遺産に登録されている古都スクレの中でも、このラ・レコレタ修道院は市を代表する観光名所の一つになっています。今日は、50枚の写真を使って、この修道院をご案内します。
ラ・レコレタ修道院は、スクレの南側の市内を一望できる高台にあります。以前ご紹介しましたラ・レコレタ展望台は、この修道院の一部です。ここは別名、恋人たちの丘(La Munaypata (cerro de los enamorados))と呼ばれ、市民の憩いの場にもなっています。
ラ・レコレタ修道院(Monasterio de La Recoleta)
修道院に併設する博物館
修道院から、展望台方向を望む。
広場の一角にあるフランシスコ会の学校
二階部分は、修道院訪問者の客室になっているそうです。訪問者といっても観光客ではありません。
展望台から市内を望む。
展望台までの道
車の通れるメインの道路は別にありますが、ここが近道になっています。週末には数店の出店が出ます。
展望台から見た修道院
正面左側の白い建物が修道院です。
ラ・レコレタ修道院の内部
修道院の建設は1600年に始まりました。段階的に建設され、本格的な工事は1608年に始まり、完成までに55年を要しました。
ラ・レコレタ修道院は、元々は華麗なバロック様式を持つサン・フランシスコ教会として建設されました。サン・フランシスコ教会が町の中央部分に新たに建設されたことから、修道院として使われることになりました。
修道院内部には、回廊に囲まれた4つの中庭があります。
二階に登ります。暗いので足下にお気を付けください(笑)。
二階より中庭を見下ろす
大統領暗殺の場所
1828年、ペルーのアグスティン・ガマラ(Gamarra)将軍の率いる軍隊がボリビア併合を目的に侵攻。ボリビア国内の親ガマラ派(gamarristas)によって兵舎に改築されたレコレタ修道院で、1829年1月1日、第三代大統領として12月25日に選ばれたばかりのペドロ・ブランコ(Pedro Blanco)が暗殺されるという事件が起こりました。それが、この場所です。
この前年、ボリビアの解放者のスクレ元大統領(スクレ市は彼の名前に由来します)は、国内の反体制派への対処が困難と判断し、ベネズエラに去っています。
向こうで待っているのがこの博物館のガイドさんです。写真撮影に夢中のネコ師が迷子にならないよう(?)、見張っています。
この博物館の内部は、勝手に歩き回ることはできず、ガイド付きのチームで廻ることになっています。最初はガイドに監視されているようで不満だったのですが、観光客が修道士の修行のゾーンに迷い込まないように気を遣っているようでした。
修道院の聖具室には、少なくとも13の
フランドル絵画(記事の最後で解説しています)が飾られています。幼少のキリスト画や前回ご紹介した長崎でのフランシスコ会の殉教者(日本26聖人)の回想の絵もあります。(関連記事 『
大航海時代、日本はどこの国の領有下?』)
地球の裏側の、しかも日本の鎖国時代の出来事が、ここスクレでつながっています。とても奇妙な感覚に襲われます。
修道院の内部は、芸術的・伝統的・宗教的要素を備えた貴重な品々がありますが、中でも、セドロ*1(葉巻の箱に使われる香木)で作られた聖歌隊席に施された彫刻は有名です。
聖歌隊席より礼拝場を望む
香木セドロに彫刻が施された聖歌隊席
壁に描かれたフレスコ画が当時のまま保存されており、17世紀のコロニアル時代にタイムスリップした気持ちになります。
中庭を取り囲む回廊。
回廊の柱が外側に傾いているのが分かるでしょうか。これは、建物が古くて傾いてきた分けではなく、当初から傾けて作られたものだそうです。傾けることにより、雨が回廊に入り込むのを防ぐ効果があるとか。
修道院内部は、博物館として公開されています。中庭が4つもあるくらいなので、内部はとても広いです。公開されているのは一部分で、修道士の暮らす区画は非公開になっています。
このデッカイ本は何なんでしょうか?
たぶんラテン語で書かれた聖書だと思うのですが。それにしてもデカイ字です
さて、これは何でしょう? 巨大な楽譜のようにも見えますが。
このように、台が対面式になっています。この説明を聞いたのですが忘れてしまいました
これ、なんだか分かりますか。ピアノではありません。なんと修道士が亡くなったとき使った棺桶です。1967年まで使われていたとか。棺桶をリユーズするとは、経済的です(汗)。
昔の写真がありました。セピア色に色あせた昔の写真はノスタルジーを感じさせてくれます。
オレンジの木の中庭
オレンジの葉っぱです。
ラ・レコレタ修道院の最大の魅力は、千年杉ならぬ千年セドロの木(El cedro milenario)です。
インディオ・チャルカ族は、樹齢千年のセドロの木で作られたトーテム・ポールを崇拝していたことが分かっています。1965年に、このセドロの木は国の記念物に指定されました。
オレンジの木の中庭の横にあります。
この木の回りを右から左に3回廻ると、願い事が叶い、反対方向に廻ると、その年に結婚する、と信じられています。スペイン侵略以前から、この木はインディオの崇拝の対象となっており、豊穣の神とみなされていました。
炭素14を用いた年代測定調査によると、樹齢1400年から1600年とされています。
この木が重要視されるのは、この地が、かつては広大な森林だったことを示す唯一の痕跡であるからです。植民地時代には、この地域は、セドロの木で満ちていたと考えられています。しかし、少しずつ伐採、消費され、その数は減少し、このような大木はここ以外ではもはや見ることはできません。
セドロの木材は、椅子、仏壇、 ドア、手すり、家具、衣装箱など使われ、教会で多く使用されています。また、ポトシの旧造幣局の建物にも使われています。
セドロ(Cedro)を西和辞書にある杉と訳すのは間違いです。セドロ(Spanish cedar)は、センダン科で高級家具材で有名なマホガニーの一種です。日本の杉(Japanese cedar)は杉科です。
展望台から修道院を望む
フランドル絵画(ネーデルラント絵画)について、ちょっと解説
記事の最初の方に出てきたフランドル絵画(ネーデルラント絵画)は、15世紀から17世紀にかけてベルギー北部のフランダース(フランドル)地方で隆盛した絵画です。フランドルはフランス語読みで、英語ではフランダース。
フランダースと聞くと思い出すのが、『フランダースの犬(1872年)』。主人公のネロが見たがっていたルーベンスの『キリストの昇架』は、アントウェルペン大聖堂にあります。ルーベンス(1577-1640)は、バロック期のフランドルの画家で、彼の両親はアントワープ(アントウェルペン)出身。ルーベンス自身も数年間アントワープに住んでいました。ラ・レコレタ修道院の建設は1600年に始まっていますから、ルーベンスと同じ時代ということになります。
17世紀のボリビア、オランダ、そして日本。何のつながりもないようでいて、スクレでつながっていました。
ラ・レコレタ修道院は、設立当時、「Nuestra Señora de Sión de la Recolección(追想のシオンの聖母)」修道院として設立されました。
参考:Sucre en Imágenes de Antaño, 1991