2008年06月01日

エローラ石窟群に行く:インド世界遺産


 エローラ遺跡は、昨日ご紹介したアジャンタ遺跡の近くにあります。
 アジャンタと同じ1987年に世界遺産(文化遺産)に登録されました。

 この遺跡は、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教という3つの宗教の寺院として造られました。
 もちろん、共同寺院ではなく、造られたり使われた年代は異なります。5世紀から10世紀にかけて造られました。

 この遺跡が他の遺跡と違うところは、岩盤を堀抜いて(掘り下げて)造られていること、そして、その規模がとても大きいことでしょう。ただし、これは、最も大きなヒンドゥ教のカイラーサ・ナータ寺院の話で、この他にもエローラ石窟は近くに点在しています。

 エローラ石窟が最初に造られたのは5世紀ころと言われています。

 前の記事の「アジャンタ」のところで年表を載せましたが、インド南部デカン高原ではこの時期、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥ教が信仰されていて、お互いの信仰に対して寛容だったと思われます。

 ヨーロッパの遺跡の場合、宗教が異なれば、征服者が被征服者の信仰対象を徹底的に破壊しました。
 征服者の宗教を統治に利用するという政治的な意味合いが強いのだろうけれど、壁画や彫像は顔の部分を削り取られたりしています。

 ところが、アジャンタでもエローラでもそのような破壊の跡は見られなかった。
 支配者側(王家)がいろいろな宗教を信仰していたため、このように寛大だったのではないでしょうか。

 カイラーサ・ナータ寺院は、先にも書いたように岩盤を掘り下げて造ったもの。高さ(深さ)が34mもある。まさにシヴァ神が住まう神殿としてその偉容を誇っています。

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第32窟  女神像(ヤクシー)
胸をみんなが触るものだから、ピカピカに磨かれています(笑)。これを見て思ったのは、これまでに何人の観光客がこのように磨いたのかと言うこと。触るのは一瞬なので、相当の数の人たちに触られた証と言うことでしょう。

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第32窟  女神像(ヤクシー)
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posted by ネコ師 at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | インド編 | 更新情報をチェックする

アジャンター石窟寺院に行く:インド世界遺産


 (キュラソー島のオリジナル写真を追加しておきました。)

 今日は、突然、インドの仏教遺跡、アジャンターのお話です。
 カリブ海から、太平洋側に来たと思ったら、突然、インドに戻ってきた?(過去ログ:タージマハールがインドの世界遺産紹介の最初でした)

 なぜ、インドなのか。理由は簡単です。写真の整理ができたのが、インドだからです。何とも脈絡のない記事です。
 
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 インドは、とても広くて、場所によって文化が大きく異なるため、とても一つの国とは思えません。

(Wikipediaの「アジャンター」の項はあまり良くないですね。何が書いてあるのかさっぱり分からない。ネットで見ても、Wikipediaから引用できないため、ほとんどのHPで遺跡の説明をしていない。)

 アジャンター石窟寺院は、インドの首都ニューデリーの南方約1,000Kmのワゴーラー川沿いの岩壁に、岩をくりぬいて造られた仏教寺院群です。大小30の部屋が連なっており、長さは500mに及びます。

 1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

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 アジャンターの全景写真です。
 下の写真をクリックすると大きくなります。大きくしないとよく見えないので、大きな画像サイズにしました。

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 実は、この遺跡このとはあまり記憶に残っていません。写真を見ていて少しだけ思い出しましたが。でもそれは少しだけ。世界遺産なのに、他の世界遺産にある、あの圧倒的な迫力がこの遺跡には感じられなかった。

 下の写真にあるように、最初に展望台から石窟の全景を眺めます。そのあと、石窟まで行くのですが、絶壁をくりぬいて造られているため、外からはただの洞穴しか見えない。

 一つ一つの石窟は、あまり大きなものではなく、僧侶が寝泊まりした生活空間です。ただし、9,10,19,26,29窟の5つはチャイティヤ窟と呼ばれる大きな空間を持つ石窟です。

 石窟が最初に掘られたのは、紀元前1世紀から紀元後2世紀のサータヴァーハナ朝時代であるらしい。
サータヴァーハナ朝は、紀元前3世紀から紀元後3世紀ころまでデカン高原で栄えた王朝で、この時代、王たちはバラモン教を信仰しましたが、仏教やジャイナ教も発展しました。この時代(2世紀ごろ)のインドは、北にはクシャーナ朝、南にサータヴァーハナ朝という2つの王朝が栄える時代でした。

 インドの最初の統一王朝はマウリヤ朝で紀元前4世紀のことです。マウリヤ朝の最盛期をきづいたのはアショーカ王で、仏教を保護しました。また、紀元後1世紀に興ったクシャーナ朝は、2世紀半ばのカニシカ王の時に最盛期を向かえ、仏教を保護しました。

 その後、6世紀半ばまでの間に、石窟は拡大されていきましたが、何らかの理由で放棄されたらしい。それが発見されたのは、1819年のこと。イギリス人が虎狩りの途中で偶然発見したようです。

 インドの歴史は複雑で分かり難い。そこで、年表を整理しました。

前500   コーサラ・マガダ国繁栄
  この頃、ジャイナ教・仏教成立
前317頃  マウリヤ朝成立(~前180頃)
前268頃  アショカ王即位(~前232頃)
紀元    クシャーナ朝成立(~3世紀)
100頃   サータヴァーハナ朝繁栄
130頃   カニシカ王即位(~170頃)
160頃   ガンダーラ美術
200頃   クシャーナ朝、ササン朝に服属
320頃   グプタ朝成立(~550頃)
376頃   チャンドラグプタ2世即位(~414頃)
400頃   法顕、インドを訪れる
550頃   グプタ朝滅亡
606頃   ハルシカ王、ブァルダナ朝を興す。
645    玄奘がインドに訪れ、ナーランダ僧院で教典研究にいそしみ、657部の仏典を唐に持ち帰った。
651 (ササン朝ペルシャ滅亡)
インド、分裂期に入る

 石窟の内部は、あまり記憶にありません。たぶん、目を引くようなものがなかったためだと思います。ただし、アジャンターの壁画は教科書にも載っているくらい有名なのですが、なぜか覚えていない。

 下の写真が有名な壁画です。
 下の写真をクリックすると大きくなります。

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 当時は、まだ、観光地として整備されていなかったせいかもしれません。今はだいぶ変わっているかも。

 やはり、もう一つの有名な石窟遺跡、エローラの方も見てみたい! その要望にお応えします。

posted by ネコ師 at 02:52| Comment(0) | TrackBack(0) | インド編 | 更新情報をチェックする

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